鎌倉通信 壱

 安穏をむさぼる貞応二年(1223)が、暮れようとしている。

 一年の汚れを払う掃除をした。餅も搗いた。正月料理の良い匂いが店の方まで漂っている。

 材木問屋丸太屋の商売もまずまずだ。

 それなのに、正月を迎える高揚感に陰りがある。強気の嘉平は認めないが、兎丸を見失って半年が経とうとしている屋敷から笑い声が消えて久しい。

 怪我をした梅は銭を持たせて実家に帰した。不満げな義母高子は家内の仕事を放り出して遊び歩く。

 妻の加奈は相変わらず寝たり起きたりで、傷ついた足を抱えた娘の澪は笑顔を忘れてしまった。

 式神三匹も気まずかったのか、稲村ケ崎に帰ってしまい、火が消えたような家庭になった。


 兎丸を得て、生き返っていた安倍時景は、情けなく寝込んでしまった。

 安倍親職は相変わらず忙しく、寝込んでなどいられない。兎丸の失踪に、落ち込んでいる暇もないのだ。兎丸の行く先を卜筮してみれば、遠くではあるが活き活きと活動していると出た。(会えるかと)問えば、可と出る。よし、待つぞと決めれば、脇目もふらず、己を叱咤し仕事に万進するのみだ。

 三寅若君の御所造営は、未だ揉めている。鎌倉陰陽師の意見が別れるので、京都陰陽寮に尋ねていたのだが、その返事が十二月十九日夜半届いたのだ。その勘文を披露された鎌倉陰陽師は、『最吉』と申す者あり、『半吉』と申す者あり、まとまらない。親職はといえば、なんと『不快』と言上したのだ。

 京都が何と云おうと、同僚が何と云おうと、親職は己の卜筮を信じ、他人に迎合しない。

 近しく奉仕し、心の趣をも過たず寄り添った実朝を喪ってからも、親職はがんばった。

 執権北条氏に仕えることが仕事と心得、一族の為にがんばった。

 だけど、何だか虚しい今日この頃、兎丸のことは考えない。あの賑やかな式神三匹とも、しばらく会っていないぁと、ふと思った。


 忠吉が、八幡宮に行ってみたいと宋子に訴えた。お伺いを立てたと云うべきだろう。

 なぜに? 宋子は、美しい瞳に皮肉を込める。

「八幡宮には、ネズミの頭取がいるんだ。どうして江ノ電がないのか聞きたい」

「忠吉、お前は、何を聞いているのだ。お前は、時の迷子なのだ。未来から来たのだと何度も云っただろう」

 分かったのか、分からないのか、忠吉の目は虚ろだ。

「今ある鶴岡八幡宮は、お前の知り合いのネズミがいる宮ではないのだ」

「ほんとにそうなのか? 確かめてみたい」

「行こう、行こう。己で確かめればいいじゃないか。八幡宮のネズミさまが何と云うか、おれも楽しみだ」

 カー助が、宋子に進言する。ほんとに気の良いカラスだ。

「はい、はい、それでは行きましょう」

 三匹は、鶴岡八幡宮に向かって北上する。

 八幡宮の上空は、晴れ渡りトビが数羽旋回している。

「ちょっと聞いてくるわ」カー助は恐れ気もなく、そのトビに向かって飛翔した。

 上空のトビが、カー助に向かって急降下して来る。

 忠吉は、後ろに倒れんばかりにカー助を見つめたが、トビは広げた羽にカー助を抱き込むと本宮へ向かって飛んで行く。

「ああぁ、カー助、カー助、危ないよーぅ。どうしよう」

「大丈夫だよ。あのトビは、カー助が何者か分かっているようだ。奴らが戻るまで、しばし此処で待とう」

 八幡宮のネズミに如何にして出会おうかと思案していた宋子は、トビの思わぬ助っ人に安堵して、行きかう人々を避けて宮の入り口にある朱塗りの反り橋の下に回り込んだ。

 鶴岡八幡宮の赤橋の歴史は古い。寿永元年(1182)、神殿に向かって右手に源氏池を左手に平家池を造営した時を同じくして架けられた。天上の神にお目にかかる架け橋なので、将軍家もこの橋の手前で輿を下りた。


 池の片端に寄り身を低くした。忠吉は、思わず宋子にすり寄った。

 ザクザクと人間の立てる足音が絶えない。街中も人出は多いが、八幡宮の内も劣らずに人々が行きかい、式神と云えども、うかうかと歩いてはいられない。

 ザクザクザク、ウトウトウト、忠吉は、小春の日差しにふらりと眠りの淵に落ちて行く。

 カー助が消えた本宮の辺りから黄色い塊が近づいて来る。兎丸が両手を広げたほどの大きさで、決して大きなものではない。ふわりと池を越えて二匹の上で留まった。早くからこの怪異に気付いていた宋子は、じっと見つめて身構えた。

(なんだ、蝶々かぁ、脅かさないでよ)

 それは小さな黄色い蝶々が群舞しているのだった。十年も前になるか、やはりここ八幡宮に黄色い蝶が群集し、陰陽師が百怪祭を行い祓ったことがあった。こたびの群れは、それほど大きくなく、誰も気にしている様子はない。

 群れから落ちこぼれた一匹が、ふわりひらりと忠吉の頭に止った。忠吉は、それに気付くこともなく、のんびりと昼の眠りを貪っている。

「蝶どの、何か御用かな?」

「忠吉を迎えに来ました。大変申し訳ございませんが、宋子どのは、今しばらく、ここにてお待ち下さい」

「ふーん、やはりわたしは招いてもらえぬか」

「どうぞ、お許し下さい。騒動になると、頭取が仰せです」

「こら、忠吉。友達だぞ、起きろ」

 呑気なネズミは、半分だけ起きてみるが、頭上の蝶に気付かない。

「そ~ぉこ~、誰としゃべっているんだ~」

 目覚め切らない忠吉だ。

「忠吉、起きて。さあ、行くわよ」

 小さく黄色い蝶は、忠吉の鼻先で親し気に羽ばたいた。もしかして、忠吉と共に時を超えた青虫の生まれ変わりか。

「へぇ、誰だ、おまえ」

「ネズミ頭取の迎えだ。早く行け」

 何時も先頭にいる宋子は、不機嫌を通り越して、怒鳴声を上げた。

 置き去りにされた宋子は、じわじわと不安が大きくなるのが我慢できない。気を紛らわせようと、のらりと立ち上がった途端、首筋を掴まれ高々と持ち上げられた。不覚であった。常ならば、背後の気配も見逃しはしない宋子だ。四角顔の小粒の目が、宋子を覗き込んでいる。

「きゃ、にゃーおー」


 八幡宮のネズミ頭取の元に到着し、受け入れられた忠吉を見届けたカー助が池の畔に戻って来た。

「そーこー、何処だぁー、宋子」

(あれれぇ、世話の焼ける仲間だわい)

 カー助は、八幡宮を睥睨する位置まで素早く飛び上がる。

 暮れも押し詰まったこの日、三匹の式神は、離れ離れになってしまった。

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