澪の不幸

「何を騒いでおられる」

 屋敷を出て、声を掛けて来たのは安倍晴元だ。

「あっ、これは晴元さま。お騒がせしております。実は、兎丸の行方が分からず探しております」

「ほぉ、それで猫やらカラスやらが騒いでいるのか。家には来ておらぬぞ」

「さよでございますか、もしや遊びに来ているではないかと‥‥‥」

「あいつだ、あいつだ。兎丸を攫おうとした男の一人だ」

 波吉が、裏から走り出て来た。

「これ、誰に断って我が屋敷に踏み入った。どいつもこいつも許さぬぞ」

「これは失礼を致しました。この子は、兎丸が心配なあまり、つい、その、裏で薪割をしているのは、この家で働く男ではございませんか」

「うむ、そうだが‥‥‥ あ奴は‥‥‥ 」

 男が裏庭から顔を覗かせた。くだんの薪割男か。

「旦那さま、子供が入り込んで‥‥‥」

「勘助、お前、兎丸を知らないか?」

「へぇ、いえいえ存じません」

 云いながら、勘助はそろそろと後ずさると身を翻して走り出す。


 みんな走っている。嘉平を先頭に、少年二人、猫とネズミ。最後を晴元もはぁはぁ走る。

 先回りしたカー助が、勘助目がけて飛び降りた。

 みんなに取り囲まれた男は、半泣きで烏帽子の上で両手を合わせ蹲った。

「きさま、きさま、何をした? この晴元、のー顔にー、ど、ど、泥を塗りおって」

 晴元が、どもりながら怒鳴っている。晴元の指図ではないのか、それとも云い逃れか。

「兎丸は、何処だ?」

「早く云え」

「にゃぁ、にゃぁ」

「かぁ、かぁ」

「ちゅう、ちゅう」


 二人の男に銭を貰い、「あれが、兎丸」と教えたのだと白状した。

 その男らは、すでに捕まえた。

 兎丸は、何処に隠れたのか。にしては、度が過ぎる。

 誰か、例えば、神さまが、そっと隠してしまったのか。

 叫べ、兎丸。

 宋子に、忠吉に、カー助に、「助けに来い」と咆哮せよ。


 主を失った式神三匹は、澪の傍で過ごすことが多い。

 澪は頻りに宋子に話しかけ、宋子も首を傾げながら応えているような風情である。

 宋子が、しゃなりと廊下を歩く。奥から出来て来た梅と鉢合わせだ。

 宋子は引かない。そのまま廊下を押し進む。梅は思わす端によけ、思わず頭を下げてしまった。

 怒りが、むぁとせり上がった。振り向きざまに宋子の尻を蹴り飛ばした。

 中庭に飛ばされた唐猫は、声もなく走り去る。

 誰かが、梅の背中を押した。怒りを露わにした小さな澪だ。

 縁から落ちる時、思わず伸びた右手が澪の袖を捉えた。二人は一つになってゴロリと中庭に転がった。

 気を失った梅は、澪の上で大の字になり動かない。曲がった澪の足が悲鳴を上げたが、澪の口は泣き声さえ上げられない。惨事であった。


 梅に蹴飛ばされた衝撃に、宋子は垣根の下に潜り込み、垣根を抜けて道の向こうまで走った。振り向いて、蹴飛ばした相手を見極めるのが本来の宋子である。振り向いていれば、澪が梅を押したのも確認できたはずだし、二人が重なりあって転がるのも見たはずだ。だが、宋子は見逃した。不覚である。もちろん兎丸がいない今、宋子の言葉を伝える人物はいない。役立たずの式神たちだ。


 何が起こったのか、誰にも分からない。嘉平は頭を抱えた。内も外も問題山積みだ。

 宋の商人の船の修理の為に、上質の材木を手に入れた。いくらか手付も受け取った。それなのに、かの宋人は、新しい船を手に入れたからと材木の引き取りを断ってきたまま姿を消していたが、その男が現れたのだ。

 兎丸が溺れた時、舟に引き上げ、水を吐かせ救ってくれた。手早い対応で、兎丸はすぐに蘇った。

 宋商人・陳万里は、好漢だと思っていた。その男は、他所で手に入れた船を操り六浦むつらの港から消えていたのだ。

 その陳は、いけしゃあしゃあと嘉平の前に現れ、「注文の材木はもういらぬ」と云うばかりか、北の産物を買わないかと云うのだ。外国とつくにの産物ではない、日ノ本の産物だ。陳が反故にした良質の材木は嘉平の倉庫に眠ったままだ。まあ、他の客を見つければいい。しかし、本当にそれで良いのか、宋人の勝手を許しては、日ノ本の為にならなのではないか。銭の問題ではない。

「きさまぁー、何様だー、よくもおれの前に面が出せた。違約の落とし前をつけろ」

 何時になく、冷静さを欠いた嘉平の声が震えている。

 その震えに、陳万里の口元から隠しようのない笑みが滲んだ。実は、陳も少しは悪かったなと思っていたのだ。

 それに、小さな悪さも仕掛けた。

 だから、丸太屋を儲けされてやろうと、出しにくい面をもう一度出したのだ。もっとも、宋人の男の心の底は、和人の商人に対し、心底申し訳ないという気持ちはない。南方に追われている宋国の生まれで、身辺の騒がしさと治安の悪さに、ちょっと逃げて来た陳万里。貴族のなれの果てである万里は、気位も高く、倭国の商人など、まともに付き合う相手ではないのだ。


 嘉平の怒りは頂点に登っていく。


 そんな嘉平に、澪の事件が知らされた。縁から落ちて足を負傷したと云う。奥へ走れば、足をあらぬ方向に曲げた娘は、額に汗を滲ませ、血の気がない。

「骨が折れている。このままでは、足を切り離すことになるだろう」

 無断で、嘉平の後を追った万里が腕組みしている。

「きさまぁ、向こうへ行け、じゃまだ」

「そんな事を云っている場合か、可愛い子でも足がなければ、嫁にも行けぬぞ」

 万里は、兎丸を助けたことがある。医術の心得があるのか、どちらにしても知識が嘉平よりあるのは確かだ。

 嘉平が目を剝けば、万里が頷いてみせる。

「治るかどうかは分からない。だが、足を切り落とさないよう、やってみよう」

 足音高く、薬師がやって来た。何時も出入りの男だ。

「やや、これは‥‥‥」

 嘉平は、この男では無理だなと思いつつ、

「なんとかなりませか」と、情けなく聞いてみた。

 薬師の首が力なく揺れる。

「わたし、折れた骨を元の位置に戻す… やってみる。あとは、解熱の薬をあげて」

 和語の達者な陳万里の言葉が乱れた。

 じっと万里の顔を伺った薬師は、頷きながら、嘉平に向き直る。

「お任せなすっては如何でしょう。こちらは宋のお方ですな。知識も経験もおありのようだ」

 部屋の隅に控えていた高子が、ずいと前に膝を進めた。

「嘉平どの、澪の足を治して下さいませ」

 曖昧に頷く嘉平を見やり、万里は、澪の曲がった足に手をかけた。


 万里は、そっと丸太屋を出た。澪の足が、今後どうなるかを見届けることは出来ない。

 六浦の湊で、配下が待っている。荷を積んだまま出航することになるだろう。

 船底の隅には、秘密の積荷もあるのだ。白い温かい荷は、万里の重荷になっていた。


 澪は、うなされている。

「うーん、うーん、うさぎ」

(ああぁ、やっぱり兎丸か)

 兎丸が、姿を消して以来、丸太屋の景色が夕暮れたままだ。

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