雨乞い
月が変わり、六月五日の勉学の日だ。
稲村ケ崎から通学した兎丸の喉は、ヒリヒリだ。朝早くからジリっと照り付ける太陽が意地悪顔に見える。
立木の葉が萎れて飾り物のようだ。兎丸が通りかかると、「喉が渇いた。助けてくれ」とばかりに、埃をかぶった枝をカサカサ揺らす。
「雨が降らんのう」
時景が嘆く。
雨が降らない。子供らは楽しい毎日だが、作物づくりには大問題だ。
「兎丸、今日は二人で五龍祭をしようではないか」
「ごりゅうさい? 五龍祭とは何ですか」
「雨よ、降ってくれと竜王さまにお願いするのじゃ。このまま雨が降らねば、作物が枯れ飢餓が起こる」
庭先に
爺と孫が共に衣装を整え、額ずいた。式神三匹もしたり顔で後ろに控えた。
今を去ること二百年ほど前、我らが先祖、安倍清明が八十五歳でこの世を去られた。その前年には高齢をものともせず、清明は五龍祭を行い、雨を降らせ飢饉で飢える人々を救ったのだと時景の蘊蓄が続く。
(二百年前?)
兎丸は両手を後ろに回して、にぎにぎした。
(えーと、十、二十、三十 ‥‥‥)
「どうじゃ、二百まで数えられたか」
「まだです。百で止まりました」
「百まで行けば、直ぐであろう。それが二つだ」
兎丸は、両手を空に差し出し見つめている。
「うーん、困ったのう。宋子どの、何とかいたせ」
「みゃ、みゃぁお、みゃぁーお ‥‥‥」
唐猫の宋子がしゃべり出すと、兎丸は真剣に耳を傾けている。
時景は、日頃の疑問を新たにする。
兎丸は、鎌倉陰陽師には向いていないのでは? と云う懸念だ。官人陰陽師として勤め出した親職は、卜莝も行うが、暦を読み、地相を占い、天体の怪異の結果を奏上する。
読み書き覚束なく、算術も不得手となれば、学者や博士は目指せない。
まだ幼いと云えなくもないが、父親の晴秀は、この年には神童の呼び声を聞いた。
やはり、兎丸は、安倍の血筋ではないのでは???
その頃、兎丸は海の中だ。
命の恩人となった留吉らと素潜りに余念がない。石蔵爺さんの傍に寄っても迷い人は近づいて来ない。
兎丸が元気過ぎて、冥途の道案内にはならないと悟ったからか。
(誰もいないなぁ、どうしたら援けてあげられるのかなぁ)
兎丸の頭と身体は、別々に動いて水練に問題はない。
五龍祭は、毎朝行ったので稲村ケ崎へは帰らなかった。
稲村ケ崎の山道、海道を越えて毎日行き来するのは難しい。時間ばかり食ってしまう。
稲村ケ崎の老爺弥助が訪ねて来た。兎丸は、海に出かけて留守だ。
「おー、弥助。ご苦労だな。心配で兎丸を迎えに来たか」
「いえ、心配などと滅相もございません。ただ、佐紀どのが‥‥‥ 若は、このままこちらでお暮しになるのかと‥‥‥」
弥助は、遠慮勝ちに言葉を紡ぐ。
「うーん、今のところは、そのような話はない。兎丸が稲村に帰らぬのは、ちと訳がある。内密に行っているのだが‥‥‥」
「恐れ入りますが、わしはこれでも口は固い方でございます」
「分かっとる、分かっとる。実はな、兎丸と二人で五龍祭を行っておる。微力ながら、この日照りを何とかせねばならぬ。祭祀の何たるかを教える意味もある。口で説いてもせんない故な」
「それは、とんだお邪魔を致しました。わしも雨が降りますよう、お祈りさせて頂きます」
「うむ、そなたは下男とは云え、何でもわきまえた良き男よのう。兎丸に剣術やら体術やらも教えていると聞いた。この鎌倉では文武両道が望ましい。兎丸の武術の才は、如何ほどか」
「はい、身体能力に優れ、覚えも良く、幼いながらも相手の動きに機敏に反応致します」
「弥助、それは、親の欲目ではないのか」
「いいえ、この弥助、及ばずながら晴隆若さまや佐紀どのの倅佐助にも剣術指南を致しました。晴隆さまは、やんちゃではございましたが、武家の生まれの佐助には及ばず‥‥‥ ですが、兎丸若さまは、その上を行く才能を垣間見せます。他人さまにはいざ知らず、時景さまに大げさに自慢して何になりましょう」
「分かった、分かった。そなたを疑ったのではないのじゃ。兎丸をどのように養育すれば良いか思い迷っていた故な、許せ、許せ」
「滅相もございません。僭越ではございますが、時景さま、どうぞ若さまをよろしくお願い申し上げます」
薄っすらと涙を浮かべて弥助は帰って行った。
「雲が生まれた」
庭先の
兎丸は、その目を円め、耳を立てた。
「うむ、数日の内には雨が降るであろう。兎丸もよう頑張った」
いきなり、カー助が、飛び立った。
「雲の赤子を見に行きました」
宋子が告げた。六月十日の昼であった。
兎丸は、久しぶりに稲村ケ崎へ帰ることにした。
翌々日の十二日から鶴岡八幡宮の供僧が雨乞いの修法を始めた。
三日目の六月十四日、めぐみの雨が降り出し一日中止まない。喜びの波が生まれ、鎌倉中は云うに及ばず相模の国を駆け巡る。
三十日以上もつづいた日照りが終わったのだ。仏法の霊験は明らかだと民も
兎丸一家は知っている。雨が降ることは、四日も前から決まっていたのだ。
何やら気分が優れぬと寝込んでいた佐紀は、たちまち床を払い働き始めた。四匹も戻ってきては寝ていられないと笑顔をしかめて見せた。
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