承久の乱 終

 寒さが緩み、鎌倉の山がムズムズと動き出す。

 兎丸主従も、竹林を抜けて山から山へと闊歩する。ぜんまい、わらび、むかごに野蒜のびる

 春の野山は、お食べお食べと慈悲深い。

「でん、でん、で~ん、未来の乗り物、えーのぅーでぇん~~」

 ご機嫌で先頭を行く兎丸の鼻唄に、式神三匹は仰け反った。



*** 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも ***  

 どのような世であっても後鳥羽上皇を裏切ることは決してありません。

 だから「官位を頂戴ね」と、実朝は詠った。

「可愛い奴だ」と、後鳥羽上皇。

 日の本を統べる道具として鎌倉を上手く使えると自信が生まれる。それなのに、実朝は無惨に殺された。時の執権北条義時は、惨事の直前に易々と逃げ出した。凶事を知っていたに違いない。

 後鳥羽上皇は、激怒する。

 実朝亡き後、混乱する鎌倉につけ入るチャンスだと義時を討つ院宣を発した。


 承久三年(1221年)五月十九日、京都の後鳥羽上皇ごとばじょうこうの元に官軍が集まっているとの飛脚が到着した。十五日に出た飛脚が、早や十九日には到着している。四日ほどで着いたことになる。この頃の飛脚とは後の早馬であろう。鎌倉飛脚とか六波羅飛脚と呼ぶ。

 源家三代が滅びた後、当然の顔で鎌倉を牛耳る北条氏に密かに反旗を翻す者がいる。そんな空気を読み取った後鳥羽上皇が、執権北条義時を討伐せよとの院宣いんぜんを発したのだ。

 倒幕ではない。義時個人を討てと命じたのだ。これにより反義時派の蜂起を促し、内戦による自壊を画策したのだ。上皇の思惑は、幕府を温存し自由に操ることだった。

 安倍親職は、不穏な情報の到着時刻を以って卜筮ぼくぜいを行った。

 心の底に繁栄の文字が躍っている。自ずと「鎌倉は太平でございます」と力強く宣した。

 尼将軍北条政子は、諄々じゅんじゅんと説いた。

 義時個人に対する追討を、巧みに幕府追討すなわち武士への攻撃に塗り替えた。

 山よりも高く海よりも深い源頼朝の御恩を忘れたのかと叱咤した。今、立つのは武家である己の身分を守る為ぞと激励した。

 五月二十一日、京都への侵攻が決まった。先頭に立つのは、義時の長子泰時。

 北条泰時やすときは、御成敗式目を定めるなど北条家の中興の祖として名高いが、確り朝廷にも刃向かっている。

 翌二十二日、小雨の降るなか、泰時に従うのは、わずか十八騎だ。泰時が、僅かな兵と共に迷わず出陣したのは称賛され、ここに英雄泰時は誕生する。

 しかし、泰時は直ぐに引き返して来て「後鳥羽上皇が自ら出陣して来た時は、どうするのだ? 本当に、朝廷に弓引いて良いのですか」と、父親義時に再度確認している。迷っているのだ。

 だが、勇敢に出陣した泰時を追って「いざ鎌倉」と武器を取った軍勢が続々と後を追った。東海、東山、北陸と各地で京方を蹴散らした。京へ向かった軍勢が増えに増え、十九万にも膨れ上がったのは、「勝利する方に味方する」のは当たり前と損得勘定で幕府軍に加わった武家が多かったからでもある。

 この承久の乱の勝利により、幕府と朝廷の二元政治に終止符が打たれ、武家のみが天下を統べる政権が江戸幕末へと続く。



 後鳥羽上皇は実朝惨殺の直後、凶事を予見出来なかった陰陽師が腹立たしいと鎌倉下向中の陰陽師の職を停止した。

 すごすごと帰京する陰陽師の中、この鎌倉に骨を埋めようと決心したのか親職は戻らなかった。

 残った陰陽師は、承久の乱勝利の後、幕府内における身分を確立する。

 乱以前は、将軍のお側に仕え、もっぱら祈祷や呪術を行う「御筒衆」という身分であったが、以後はその身分を保障される実務系官人として、先例の調べや土地の実測など技能をもって奉仕する職能者としての道を歩み出す。

 親職は、兎丸を側に置き陰陽道を仕込もうと考えたが、様変わりして行く陰陽師の仕事よりは、天性の奇異なる才を生かせる道が良かろうと思案する。

 やはり宮仕えを嫌った晴秀の血をひいた者なのだと確信したが、側に置けない寂しさも味わった。

 気ままな兎丸は、「でん、でん、えので~~ん」と謡いながら、何時かきっと、えので~~んに乗るのだと夢想する。



 官軍の敗北を聞いた後鳥羽上皇は、比叡山延暦寺に協力を求めたが、延暦寺は幕府軍との戦乱を望まなかった。日頃の寺社抑制策の結果だろう。虚しく下山した上皇を待っていたのは完敗の報せ。

 自由を失った後鳥羽上皇は、洛中を次々と移された末、ついに隠岐島に配流と決まった。

 これまで在京御家人の支配権は朝廷にあったが、乱の後には、すべての権利が六波羅探題に移り、国家の軍事力は完全に幕府のものとなった。没収された院方所領は、その多くに東国御家人が地頭として配置された。

 義時の所領は、相模国から易々と両手を伸ばし拡がっていく。


     *

 隠岐島に流れた恨みはムクムクと育ち東へ飛んだ。

 鎌倉の上空を覆った暗雲が執権北条義時邸へゆっくりと降りて行く。

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