飛べ兎丸 弐

 翌朝、丸太屋の下男末吉が駆け込んで来た。

「兎丸さまに、兎丸さまにお願いがありまして、まかり越しました」

「末吉さん、どうしたの。佐紀、お水を下さい」

 ゴクゴクと喉を鳴らした末吉は、驚くべきことを語った。

 丸太屋の澪が、誘拐かどわかされたと云うのだ。

 昨日、兎丸たちが帰った後、惨事は起こった。嘉平から「お力を貸して頂きたい」との伝言だ。

「はい、直ぐに参ります」

 兎丸の即決に、末吉は涙を浮かべ先に立った。

 兎丸の後ろには、当然という顔の猫とネズミが続く。


 澪の母、加奈は寝込んでいたが、兎丸に報せるよう頼んだのは、加奈だった。

「兎丸さまは、もう立派な陰陽師さまです。きっと澪を救い出してくれるでしょう」

 加奈は、兎丸と一緒にやって来た式神を頼みにしたのではない。誰にも告げなかったが、あの火事の折、兎丸は炎の中から澪を助け出している。陰陽師の早業と思えば、納得がいった。

 昨夜遅く、丸太屋嘉平には脅しの投げ文があった。

 兎丸が来ても役に立つとは思わなかったが、焦燥している妻の願いを叶えたのだ。


 加奈の話によれば、この庭に男が二人踏み込んで来ると、あっという間に澪をさらって行った。

 前から企てられた悪行か。

 丸太屋嘉平は、この鎌倉では有名な男だ。組織で動き出している幕府とは違い、嘉平の頭の中に生まれたことは即座に決行された。災害の多い鎌倉で、人を助け、飯を振舞うのは誰にでも出来る善行ではない。もちろん、金も必要だ。だから熱心に商売にも励む。賛辞を惜しまない庶民ではあるが、嫉妬や揶揄も当然混じる。庶民ばかりではなく、「幕府を差し置いて」と陰口をきくかたもいた。

 ともかくも、嘉平が金持ちだと云うことは誰でも知っていた。その娘を盗み出し、金をせびるのは誰でも思いつく悪事だった。


 投げ文の内容は「砂金の袋を二つ括りつけた、馬を一頭用意せよ」

 日時や場所など詳細のない脅迫文ではあるが、相応の文字で記されていた。武士でも無筆の者は多い。筆の立つ者を家来に持てば良いのだ。

 何かおかしいと嘉平は落ち着かない。


 事件が起きた小家の前庭に、三匹がいる。

「忠吉、足跡だ。二人の足跡を探し出し、後を付ければ澪ちゃんに行きつく」

 指令を下だすのは、宋子だ。なるほどと、兎丸も頷く。

「うーん、いっぱいあって分からないよ」

 庭は、多くの足跡で踏み荒らされていた。

「人攫いは、入って来て、出て行ったのだ。庭を出て行く足跡を探すのだ」

 ネズミが走り、兎が続く。猫は、軍師よろしく辺りを見回した。


 足跡は、先日の豪雨の爪痕が残る路を途切れ途切れに進むが、ネズミの目線で追えば、大きな溝だ。

 目線を上下左右に動かして、遅々として進まない忠吉だが、兎丸と宋子はじっと我慢強く従った。

 小町大路を北へ進んだ三匹は、やがて兎丸が大火事の時、澪を助けた脇道へ。

 大路から外れた小路は、まだ火災の跡は残ったままだ。忠吉の動きが早くなった。

 ネズミは、気付いたのだ。悪人の足跡に黒い影が付いている。それに気付けば三歩四歩先まで認められる。素早く動く忠吉の先に半分焼け落ちた寺があった。

 どう見ても人は住んでいそうにない。

 だが、ネズミは立ち止まり、鼻をうごめかす。猫は、寄り添い胸を張った。

「ここか???」

 兎が囁く。

 宋子は、深いため息をつくと「忠吉、おまえ一人で裏へ回り、中を覗いて来い」と命令する。

 ちらりと宋子を睨みつけた忠吉は、それでも反論することなく、疲れも忘れてチョロチョロと走り出した。

 思わず、踏み出す兎丸に、「兎丸、ここで待機しましょう。子供といえども人間は目立ちますゆえ」

 兎丸は、大きく肩を上下して吐息を漏らした。

 既に、忠吉は、泣き濡れた澪の頬にチュウをしていた。ほとんど失神状態の澪が、薄っすら目を開く。

「あっ」と云う澪の口元を尻尾で軽く叩いた忠吉は、「チュウ」と口元を作る。

 澪は、嬉し気に目をパチクリして応えた。


 酒臭い隣の部屋から、大いびきが聞こえて来た。人攫いに違いない。


 二通目の投げ文があったと店で働く新助が奥に駆け込んだ。

 内容は『直ぐに新助に馬を引かせ、名越えの切通へ向け歩け』だ。

 丸太屋の様子が詳細に分かるようだ。

 馬の準備は出来ていた。しかし、二つの袋を砂金でいっぱいには出来なかった。

 投げ文を新助に渡した嘉平は、じっと新助を見ている。

 目を上げた新助に「どうする?」と目で問う。

「大将さえ良ければ、わたしが行きます」

「危険な仕事だ」

「はい、分かっております。‥‥‥ が、砂金を渡して良いですか? お嬢様と交換でなくとも良いですか?」

「うん、良い。渡してしまえ。だが、袋が八割方しか一杯じゃない」

「あの、袋の底に宋銭を入れ、その上に砂金を入れましょう」

「新助は、それで良いと思うか、それで澪は帰ってくると‥‥‥」

「申し訳ございません」

 新助は、涙声で頭を下げる。

 新助は、今はない加奈の実家に長く仕えた郎党の息子だ。義母高子の勧めで雇った。

 兎丸が、稲村に行ってしまい、少しく気落ちした風情の嘉平に「良い男がおります。使ってみてはくれぬか」と高子が勧めた。

「お武家の出ですか」と辞退したが、「一度、会ってみてくりゃれ」と云われ、会ってみれば少し気弱そうではあるが、気の良い若者だった。

 ともかく店で働かせてみると、武家の出をひけらかす事もなく、なかなかの働きをした。信頼が生まれたところだった。


 考えていても仕方がない。新助は、馬を引いて出発した。


 宋子と兎丸は息を詰め、れ寺を見つめている。

「戻って来た。大当たりだ」

 宋子の呟きに、「いたのか?」と兎丸が問う。

「いた、いた。あいつの尻尾を見れば、上首尾なのが分かるよ」

「いたよ、いたよ。澪ちゃんがいたよ」

「分かっている。澪ちゃんは、元気だったか」

「うん、大丈夫だと思う。ちょっと笑った」

 大きなため息を漏らす兎丸に、「早く、丸太屋へ報せろ」と宋子の命令が飛んだ。

 兎は飛んだ。

 丸太屋の店へ白い塊となって飛びに飛んだ。

 新助に馬を引かせ、送り出した嘉平は疲れ果てて座り込んでいた。

 そんな嘉平に、白い塊が飛び込んだ。


 加奈の腕の中で、澪が可愛げに眠っている。嘉平は、薄っすらと涙を浮かべて愛する者を見守った。

 丸太屋の人足らに殴る蹴るの仕置きを受けた人攫いは、役人に引き渡された。二人の人攫いは、若い男に頼まれたのだと泣きわめいた。掴まされた小銭も酒を飲んでしまい、一文無しだ。

 こ奴らが、あんな投げ文を書けるはずがないと嘉平は思う。砂金はもちろんだが、馬も新助も戻って来ない。

 これでお終いではないなと云う思いが生まれ、嘉平の腹に重く沈んで行く。

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