鎌倉陰陽師 兎歩外伝

千聚

第 一 章

 春を惜しむ鎌倉の浜辺には、波が恥ずかし気に打ち寄せる。

 気取った潮風が、乙女の髪を心地よく揺らした。

 時の政治を司る小さな街は、しばしの平安をむさぼり穏やかな陽の光りが溢れていた。

 穏やかな日輪にちりんに向かって、一条の光りが真っ直ぐに生まれた。太陽はおののき、のどかな顔を振り捨てて、抗うように激しく瞬いた。

 見てはいけないものを見た気がするあかねは、動くことも出来ず立ち尽くす。その右目の端に、今しも稲村ヶ崎の崖から湧き出した二つの影が映った。いかに小さな浜辺といえども、材木座の浜から稲村ケ崎の人影は見えないはずだ。

 しかし、見えるはずのない人影の囁きが茜の耳を伸ばした。

 二人は、安倍晴秀あべのはるひでと従者の少年であった。

 晴秀は、三代将軍源実朝みなもとのさねともに近侍する鎌倉陰陽師の安倍親職あべのちかもとの息である。父の下で、助役すけやくを務めていた。


「何と、不吉な!」

 空を見上げた晴秀の鋭い声。

「えっ、何でございますか?」

 問う佐助に、晴秀の華奢な右人差し指が上空に伸びる。

「あれを見てみろ」

「あ~ぁ、はい、あの光りは何でございますか?」

「あれは、白虹貫日はっこうかんじつと申して、太陽を主君に、白虹を兵と見立て、主君に弓引く不穏の前兆と云われている」

「何か、良くないことが起こる兆しでございますか」

「そうでなければ良いのだが‥‥‥」

 白虹を見あげる二人の姿を潮風がゆらゆらとなぶる。


 そして二ケ月も経たないうちに、晴秀の懸念の通り鎌倉幕府第三代将軍である主君源実朝に刃向かう和田一族の乱が起こった。


 建暦けんりゃく三年(1213)五月二日

 鎌倉湾の東に三浦の半島が真っ暗な影となって横たわっている。その付け根から満たされない思いが灼熱となった舌を伸ばして行く。


 予てから幕府とのいざこざを起こしていた和田の一族の長、和田左衛門尉義盛よしもりを大将に立てた一門と親類に友柄も含めた百五十騎とその部下を合わせて三百余騎が蜂起した。双方の矢が雨となって降り注ぎ、打ち合う刀の先から盛大な火花が散った。勢いづいた和田勢は大倉御所を囲み一斉に火を放った。燃え盛る御所から将軍実朝は、辛うじて北にある法華堂へ脱出した。

 幕府にお味方と駆けつけた武者たちと和田勢は、鎌倉中のあちこちで戦ったが、「討ち死にするぞ」と覚悟の和田勢は、合戦をためらわず幕府軍を蹴散らした。

 日が暮れるまで善戦したが、交替する兵はなく疲れて果てる者が増えていく。退却した和田勢は、戦いの場を由比ヶ浜に移した。


 鎌倉の西の外れ腰越海岸を凡そ千騎の軍兵つわものがザクサザクと進む。軍勢はどちらに味方すべきか迷っていた。進軍していながら迷っているのだ。この頃は、よくある状況だった。

 鎌倉湾を目前に、将軍実朝の御教書を受け取った大将は幕府方につくと決めたようだ。小競り合いを繰り返しながら、海岸線を東へ東へと進軍する。

 小雨の中、待ち受けるのは三千騎。瀕死の和田義盛を救おうと駆けつけた援軍だ。和田勢は勢いを盛り返した。新たな合戦は始まった。

 なだれ込む千騎余は、地獄の蓋を開けるが如く、被っていた蓑笠を一斉に上空に放り投げた。

 すでに傷つき倒れ、或いは命つきた両軍の兵の上にカッパカッパと蓑笠が落ち、罪なきむくろを弔っていく。


 戦火は、再び若宮大路を北上する。市街各所で激戦となり、両軍ともに死者を出すも合戦は終わらない。


 鎌倉中を見下ろす鶴岡八幡宮の神殿から一本の矢が飛んで来て、攻め寄せる一人の武将の内兜を射落とした。武将は落馬し、苦しそうな顔をしてこと切れた。


 鎌倉湾に流れ込む川べりには、二百以上の首がさらされた。

 由比ヶ浜に数百の松明がゆらゆらときらめく。波打ち際に建つ簡易の小屋に、生首が並べられていた。

 鎧兜の男が、松明をかかげ、首実検をしているのだ。

 将軍実朝に爺と慕われた有力御家人の和田義盛が、その実朝に弓引いた世に云う『和田の乱』であった。


 和田義盛は、源頼朝以来の有力御家人だ。

 生まれたばかりの実朝を抱いたことが自慢の種だった。 その主、実朝に弓引き和田一族を滅ぼしたのは、義盛が慢心したせいか、それとも白虹が現れたからか。


 年が明けて茜は子を産んだ。

 誰の子か、茜にも分からない。

 去年の春、稲村ケ崎の崖下に遠く見た遠戚の安倍晴秀の姿が現れほほ笑んだ。小さい頃、一度会ったことがある。その穏やかな眼差しは、まだ禿髪の少女の心を虜にした。


 実の親とは思えぬ顔で「誰の子だ」と問い詰められ、逃げ道のない茜は、「晴秀さま」と呟いた。

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