鎌倉陰陽師 兎歩外伝
千聚
第 一 章
序
春を惜しむ鎌倉の浜辺には、波が恥ずかし気に打ち寄せる。
気取った潮風が、乙女の髪を心地よく揺らした。
時の政治を司る小さな街は、しばしの平安をむさぼり穏やかな陽の光りが溢れていた。
穏やかな
見てはいけないものを見た気がする
しかし、見えるはずのない人影の囁きが茜の耳を伸ばした。
二人は、
晴秀は、三代将軍
「何と、不吉な!」
空を見上げた晴秀の鋭い声。
「えっ、何でございますか?」
問う佐助に、晴秀の華奢な右人差し指が上空に伸びる。
「あれを見てみろ」
「あ~ぁ、はい、あの光りは何でございますか?」
「あれは、
「何か、良くないことが起こる兆しでございますか」
「そうでなければ良いのだが‥‥‥」
白虹を見あげる二人の姿を潮風がゆらゆらとなぶる。
そして二ケ月も経たないうちに、晴秀の懸念の通り鎌倉幕府第三代将軍である主君源実朝に刃向かう和田一族の乱が起こった。
鎌倉湾の東に三浦の半島が真っ暗な影となって横たわっている。その付け根から満たされない思いが灼熱となった舌を伸ばして行く。
予てから幕府とのいざこざを起こしていた和田の一族の長、和田左衛門尉
幕府にお味方と駆けつけた武者たちと和田勢は、鎌倉中のあちこちで戦ったが、「討ち死にするぞ」と覚悟の和田勢は、合戦をためらわず幕府軍を蹴散らした。
日が暮れるまで善戦したが、交替する兵はなく疲れて果てる者が増えていく。退却した和田勢は、戦いの場を由比ヶ浜に移した。
鎌倉の西の外れ腰越海岸を凡そ千騎の
鎌倉湾を目前に、将軍実朝の御教書を受け取った大将は幕府方につくと決めたようだ。小競り合いを繰り返しながら、海岸線を東へ東へと進軍する。
小雨の中、待ち受けるのは三千騎。瀕死の和田義盛を救おうと駆けつけた援軍だ。和田勢は勢いを盛り返した。新たな合戦は始まった。
なだれ込む千騎余は、地獄の蓋を開けるが如く、被っていた蓑笠を一斉に上空に放り投げた。
すでに傷つき倒れ、或いは命つきた両軍の兵の上にカッパカッパと蓑笠が落ち、罪なき
戦火は、再び若宮大路を北上する。市街各所で激戦となり、両軍ともに死者を出すも合戦は終わらない。
鎌倉中を見下ろす鶴岡八幡宮の神殿から一本の矢が飛んで来て、攻め寄せる一人の武将の内兜を射落とした。武将は落馬し、苦しそうな顔をしてこと切れた。
鎌倉湾に流れ込む川べりには、二百以上の首がさらされた。
由比ヶ浜に数百の松明がゆらゆらときらめく。波打ち際に建つ簡易の小屋に、生首が並べられていた。
鎧兜の男が、松明をかかげ、首実検をしているのだ。
将軍実朝に爺と慕われた有力御家人の和田義盛が、その実朝に弓引いた世に云う『和田の乱』であった。
和田義盛は、源頼朝以来の有力御家人だ。
生まれたばかりの実朝を抱いたことが自慢の種だった。 その主、実朝に弓引き和田一族を滅ぼしたのは、義盛が慢心したせいか、それとも白虹が現れたからか。
年が明けて茜は子を産んだ。
誰の子か、茜にも分からない。
去年の春、稲村ケ崎の崖下に遠く見た遠戚の安倍晴秀の姿が現れほほ笑んだ。小さい頃、一度会ったことがある。その穏やかな眼差しは、まだ禿髪の少女の心を虜にした。
実の親とは思えぬ顔で「誰の子だ」と問い詰められ、逃げ道のない茜は、「晴秀さま」と呟いた。
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