第26話 魔術式

 その夜、クレオパスはもう一度あの瓶を見る為にこっそり地下室に降りて行った。


 明日は別の魔術解析があるのではやく眠った方がいいのだが、気になる事は調べなければ落ち着かない。


 文字を読むだけなので魔力をあんまり使わない事だけが救いだ。


 ミメットには軽く話して地下室に入る許可はとっている。きっと、この後で彼女経由でカーロにも伝わるだろう。


 それだけならこそこそする必要はない。ただ、ミーアに見つかってジュース嫌いになってしまったら大変だ。なのでこっそり夜中に動いているというわけだ。


 もし、クレオパスに使い魔がいればこんな事をせずにすんだだろう。ただ命じるだけですむのだから。


 なのに、自分にはそれは出来ない。


 ミュコスの民は例外を除いてほぼ全員が『使い魔』と呼ばれる精霊の相棒を一人付ける事が許されている。十歳の誕生日に一族の当主から渡されるのだ。


 だが、クレオパスはその珍しい『例外』だった。


 だから自分で動かなければならない。


 でも、これは自分の勉強になるので、ある意味いいのかもしれない。そう思ってずっと我慢して来た。


 今も同じ事を自分にしっかりと言い聞かせる。


「よしっ!」


 わざと独り言を言って気合いを入れた。そうして瓶を手に取る。すぐにミュコスでは上級文字と呼ばれる魔術文字が浮かび上がった。

 この文字は絵を元にして出来た文字なので無駄にたくさんある。覚えるのは大変なので、小さい頃は、師匠に文句ばかり言っていた。そうして必ず『ミュコスの民にとって魔術はとても大切なものだ。だからそれに関する文字を覚える事は必要な事なんだよ』と諭されるのだ。

 その頃の事を思い出し寂しくなってしまう。


「……父さん」


 自分の中に封印してしまっている言葉を口に乗せる。いつからか彼の事を『父』とは呼べなくなってしまった。そう呼ぶ資格は自分にはないとクレオパスは思っている。


 ふぅ、とため息を吐き、改めて気持ちを切り替える。そうして冷静に文字を読んだ。


 魔術式は状態保存の術だった。中身の腐敗を防ぎ、いつまでも安全に飲む事が出来るようにしている魔術。ミュコスでもそういう瓶はよく売られている。


「なんだ……。よかった」


 読み取って安心したのか独り言がでる。とんでもない術ではなくてよかったという安心感が心に満ちる。


 多分、このジュースは猫の獣人の街で売っていたものなのだろう。猫獣人がショコラの実を渡すかわりに人間は魔道具を提供しているのだ。


 それにしてもこれは誰が作っているのだろうと気になってしまう。それを知る事は同時に猫獣人と正当な取引をしている者を知る事が出来るという事だからだ。


 署名くらいはあるだろう。そう考え瓶のラベルをじっくり見る。そして後悔した。


 署名自体は問題ない。猫獣人に酷い事をする者達ではない。でも、クレオパスにはいい感情を持っていないであろう者達だった。


「シンガス家か……」


 ため息を吐く。


 ミュコスの王家の片割れと言われるシンガス家の当主一族はクレオパスに血を分けた男であるホンドロヤニス・メランと敵対していた。


 元々、ホンドロヤニスが悪いのだ。


 ショコラの実を加工すれば魔力回復薬になる。だが、それの魔力回復成分だけを取り出せば『魔力増幅薬』になってしまうのだ。魔力を増やすが、体に似合わぬ魔力量を作るので、少しずつ体を蝕んでいく恐ろしい薬。

 そして効果は一時的でしかないので、一度使ってしまうと、元に戻った自分の魔力料では満足しなくなり、また使いたくなってしまうのだ。


 ホンドロヤニスはそれを使って魔術で悪さをしていたそうなのだ。そして、そんな恐ろしいものを作った罪でメラン一族を追放になった後は、別の所で魔力を持たない者に酷い事をしていたらしい。そして、偶然そこに住んでいたシンガス家出身の令嬢と戦いになったのだそうだ。


 シンガス一族は『守りのシンガス家』と呼ばれる。防御や治療などが得意な一族なのだ。その一族が戦いをするという事自体が、ホンドロヤニスの罪深さを意味していた。


 詳しい事は知らない。細かい所はシンガス家が秘匿したのだ。きっと、ホンドロヤニスは彼らの弱点でも突いたのだろう。


 そのシンガス一族がこの瓶を作ったのなら、猫獣人の街に来るのも彼らだということだ。


 彼らは、あんな男の血の上での息子であるクレオパスに会ってくれるだろうか。少なくともいい感情は持っていないはずだ。


 どんどん気分が暗くなっていく。


 これ以上ここで瓶を見ていると朝まで落ち込んでしまいそうだ。それはクレオパスの本意ではない。明日は別の猫獣人の土地で調べものをするのだ。


 そうと決まれば眠らないといけない。寝不足では上手くいくものも上手くいかないだろう。


 瓶を元の所に戻し、さっさと階段を上がっていく。そうして台所を横切ろうとした。


「みーちゃった!」


 いたずらっぽい声が聞こえる。慌てて振り向くと、リルが得意満面でコップを差し出していた。


「二度もこそこそ飲むなんてずるい。リルにもちょうだい!」

「リルさん、違うよ」

「何が違うの?」


 ジュースを飲みに地下室に行ったんでしょ、と嬉しそうに尻尾を振りながら言う。


「ワワン!」

「ワワンじゃない」

「じゃあ、ワンワン!」

「リルさん!」


 ふざけ始めるリルに自然と笑いがこみ上げて来る。


 ミーアならこうはならないだろう。きっと優しく慰められ、悩みを全部しゃべってしまうに違いない。そして、真実を知った彼女にまた怯えられてしまうのだ。


「リルも飲む!」

「おれも飲んでないって。じゃ、一緒に水でも飲もう」

「えー、お水ー?」


 ワゥーと可愛らしい不満声を出している。そんな事をしても子供っぽいだけだ。


「でないと今度はリルさんが夕食のデザート抜きにされるよ。明日とか」

「え? 嫌!」

「だったら水にしよう。水。おれ今日で懲りた」


 そう言うと、リルは素直にコップを渡してくれる。クレオパスはさっさとそれを水でみたし、自分のぶんも用意する。そしてリルと共にリビングに向かった。


「それにしても今日のママ怖かったねー。見てたリルもちょっとびくってしちゃった。『ミーア! クレオパスくん!』」

「……再現すんなよ、リルさん」


 げんなりしながら言う。実際、あの時のミメットは怖かった。ミーアなどその場から逃げ出そうとしたほどだ。すぐにミメットに捕まって『に゛ゃぁーー!』と悲鳴を上げていたが。


 ミメットはジュースの残量をきちんと管理しているのだとあの時によく思い知った。今回は昨日全部飲みきっていたので特に分かりやすかったのだろう。


 リルはあんなに文句を言っていた割には美味しそうにお水を飲んでいる。


「これ飲み終わったら休もうか」

「そうだね」


 そんな事を言いながら尻尾をふりふりしている。

 その仕草をかわいく感じ、つい頭をなでた。

 リルはワウワウと鳴いて喜んでいる。本当に子供っぽい。妹がいたらこんな感じなのだろう。少しだけミーアが羨ましいと思った。


「ねえ、クレオパスさん」

「ん?」

「お付き合いっていうのってこんな感じなの?」

「……え?」


 リルの唐突すぎる爆弾発言に、クレオパスはしばらく固まる事になってしまった。

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