仮面の男は夢を語る

海月大和

仮面の男は夢を語る

 真夜中の公園で、少女はブランコに腰掛けて俯いていた。


「はぁ……」


 快活そうなショートカットの黒髪が溜め息で揺れる。真夏の夜の蒸し暑さを表すかのようにだるそうに、少女は顔を上げた。


 夏服を着た少女は、もう何時間もここに座ってうなだれていた。家には帰っていない。いわゆる素行不良というやつだった。


「ふぅ……」


 再度溜め息を吐く。少女は悩んでいた。進路のことだ。少女は高校三年生。そろそろはっきりと身の振り方を示さねばならないが、そうも簡単にいかない理由が彼女にはあった。


「やぁ、お嬢さん」


 そんな悩める少女へ、声を掛ける者がいた。少女は見ているようで見ていなかった目の前の様子を確認して、ぎゅっと顔を顰める。


「なにあんた?」


 さもありなん。目前にはタキシードを着て仮面を被った男が立っていたのだから。少女はその男を見た瞬間、中世の仮面舞踏会を思い描いた。目だけを隠す、場違いなマスクがそうさせた。


「ただの通りすがりの者です」


 上品で男性にしては高い声で、男は言う。


「……あたし、フシンシャって初めて見たよ」


「フシンシャとは心外ですね。確かに私は怪しいですが、悪意なんて欠片も持っていませんよ?」


「怪しい自覚あるのかよ。ははっ、面白い言い方するね」


 少女はなげやりに答えた。なんだかもう捨て鉢な気分だったのだ。男は座っても?と隣を指差した。好きにしなよと少女は呟いた。


「どうせならお話しませんか?」


「勝手に話せば?」


 突き放すような言い草に、仮面の男は肩を竦める。


「では勝手に話しましょう。あなた、夢は持っていますか?」


「……」


 少女は答えない。悩みの一端に土足で踏み入られた気がして、無言で顔を歪めた。


「私、大きなお仕事をやり遂げた後でして、今すごく気分が良いのです」


 言葉通り、上機嫌に男は言葉を紡ぐ。


「ですから、悩みがあるなら相談に乗るのもやぶさかではない」


「うるっさいな。黙れよ」 


 何様のつもりだ。少女は吐き棄てた。知ったような風に言うな。そう思った。


「反抗期ですか……」


 やれやれとでもいったように、男は首を振る。そして、パチンと、無造作に手袋をした指を鳴らした。


『かほちーさぁ、大学行くの?』


 耳元で声がして、ばっと少女は振り返った。


「……なに、今の?」


 それは友達の声で、しかも今朝話した内容そのままで。少女は男を睨みつけて言った。


「手品ですよ。こう見えて私、マジシャンなのです」


「……ああ。それで、そんなカッコしてんだ?」


「いえ、これは趣味です」


 言って、男は再度指を鳴らす。


『え~? そだねぇ、とりあえず行っとくかな』


 今度は少女の声。またも今朝話した内容そのまんまだった。


「あんた、すごいね。どうやってんの?」


 少女は驚いて思わず尋ねる。男は演技くさく手のひらを上向け、


「タネも仕掛けもありますが、秘密です」


 それから立てた指を口元に持っていき、わずかに笑った。


「フツー、タネも仕掛けもありませんって言わない?」


「嘘はいけません。癖になりますから」


 笑みを引っ込めて、男は夜空を見上げる。遠くを見ている感じだった。


「あんた、変わってるけど悪い奴じゃなさそうだね」


 少女はいくらか警戒を解いた口調で言った。男はそれを聞いて顔を引き戻す。


「悪意はないと言ったでしょう?」


「そうだっけ」


 沈黙。少女はきぃとブランコを揺らした。


「あたしさぁ、夢ってないんだよね。なんの仕事に就きたいとか、そういうの」


 不意に話し出した少女の横顔を眺めていた男は、無言で続きを促した。


「でも世間は夢を持てっていうじゃん? とりあえず大学、なんて言ってるあたしってダメな奴なんかな」


 きぃきぃとブランコを漕いで、少女は独白する。


「夢とは職業のことではありませんよ」


 仮面の男はこともなげに言った。


「そして、持てと言われて、はいそうですかと持てるものではない」


 ざざっと音を立てて、少女はブランコを止めた。


「言うじゃん。なに、大人のヨユーってやつ?」


 皮肉っぽく笑う少女に男は肩を竦める。


「何もないということはないでしょう? たとえば『大勢の人を笑顔にしたい』。これだって立派な夢です」


 少女は笑みを消した。まさに自分が漠然と思っていたことだった。


「曖昧でも夢は夢。追いかけるに足るものと思いますが?」


 見透かしたような男の台詞が、少女を黙らせた。茶化す気分にもならない。ブランコを思いっきり漕ぎ、少女は反動をつけて跳んだ。


「よっと!


 すたっと着地した少女は、くるりと振り向いて男に向き直る。


「あたし、そろそろ帰るよ。今日はあんがとね」


「いえいえ、なにほどのこともありません」


 ふわりと微笑んで、仮面の男は立ち上がった。


「ねえ」


 少女は悪戯っぽく笑う。


「最後にその仮面取ってよ。イケメンの気配がする」


「それは出来ません。これが私の本体ですから、そうそう取り外せないのですよ」


 澄まし顔で気負いなく言う男。少女はあははと声を上げて笑った。


「やっぱりあんた面白いね。じゃあ……」


 ちょいちょいと少女は手招く。仮面の男は首を傾げ、少女に顔を近づけた。


 瞬間。


 少女は男の仮面にキスをした。


「相談に乗ってもらったお礼。じゃね~!」


 去っていく少女を呆然と見送って、仮面の男はマスクに手を触れた。そしてぽつりと呟く。


「これはこれは。一本取られましたね」


 それから、ふふっと笑う。


「いいでしょう。こちらもそれ相応のお礼をしましょうか」


 パキンと指を鳴らし、男は深く深く笑った。


「よい夢を。お嬢さん」






















 その日、少女は夢を見た。あるいは、沢山の子供に囲まれる保育士。あるいは、自分の小説を買う人を偶然見かけた小説家。あるいは、旅行者に溢れた機内で微笑むキャビンアテンダント。


あるいは……。

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