第4話 娘の決意

 私が警察学校に入学してから一ヵ月くらい経った頃、鯵沢が予告なく警察学校の宿舎に訪ねて来た。鯵沢には警察学校へ入学する事を教えていなかったが、二軒隣に住む総菜屋のオバちゃんに教えられてやって来たのだった。


 鯵沢は私が警察官になろうとしている、その真意を聞いてきた。それに対して私は『犯罪をする人間が許せないから、犯罪をする人間を捕まえる為に警察官を志願したんです』と優等生的な差しさわりのない返答をした。


 しかし、鯵沢はその返答に納得はしなかった。


 確かに私には心に秘めた思いがあったが、鯵沢に答えた言葉も決して嘘ではなかった。鯵沢は私の秘めた思いを見透みすかしていて『母親の復讐の為に警察官になる事は許さない』と強い口調と眼差まなざしを私に向けて迫ってきた。


 まだ十代の私はその気迫きはくされ正直な気持ちを吐露とろしてしまった。『鬼畜のような男たちに出会ってしまった為に、人生を狂わされたお母さんが可哀そうでたまらないの。お母さんの人生を無茶苦茶にした男たちがその後どんな人生を送っているのかを知りたいのよ。素人しろうとのままでは調べるのに限界があるから、それを調べる為に警察官になりたいの』と言ってしまった。しかし、辛うじて【復讐】という言葉を口にする事は耐えた。


 その言葉を聞いて鯵沢はしばらく黙り込んだ。やがておもむろにジャケットの内ポケットに手を突っ込んだかと思ったら、茶封筒を取り出して、それを私の前に差し出した。


 私は何も聞かずに茶封筒の中身を見た。茶封筒の中に入っていたものは、新聞の交通事故を伝える記事のコピーだった。


「読んでみろ」鯵沢がぶっきらぼうに言った。


 私は言われるままに新聞記事に目を通した。記事の内容は関越自動車道でトラックと乗用車が衝突事故を起こし、乗用車に乗っていた男女が死亡した事を伝えた数行の記事だった。死亡した男女の名前は記されていなかった。


 記事を読み終えた私は鯵沢を見た。鯵沢は私の疑問を見越して先に口を開いた。


「その死亡した男の方の名前は、室伏哲也だ」


 室伏哲也。お母さんの人生を狂わせた男のうちの一人の名前だ。私はもう一度記事を読み返した。その記事には日付は記されていたが、何年かまでは記されていなかった。私は鯵沢に何年の出来事だったのかを聞いた。


「二十一年前だ」


 私は頭の中で素早く計算した。そしてその年は室伏が刑務所の刑期を終えて直ぐの頃だと気付いた。


 私は復讐の相手である室伏がすでに死んでいる事にショックを受けた。


 鯵沢は春山についても教えてくれた。二人が出所してからどうしているかを調べたところ、春山には事件や事故を起こした形跡がない事が分かり、鯵沢はそれをもって、春山が現在真面目に更生していると断言した。そして私に、もうそっとしておいてやれと優しくさとした。


 それを聞いて、私は素直に鯵沢の考えに同意出来なかった。警察の記録に事件を起こした形跡がないからといって、本当に春山が何の事件も起こしていない証拠にはならないのだ。それは単に警察に捕まっていない証拠であって、犯罪を起こしていない証拠にはならないのだ。春山という男が悪知恵にけていて、犯罪を起こしていても事件化されていないのかもしれないし、悪運が強くて捕まっていないのかもしれないのだ。


 それに少年Aについては何も分かっていないのだ。


 しかし、私はその考えを口に出さなかった。そして鯵沢にはもう事件の事は忘れると誓った。その言葉を聞いて鯵沢は安心して帰って行った。

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