第2話 母と娘

 駐車場には車は一台も駐車していなかった。曇天どんてんの平日の昼にお墓参りをするのは私だけかと思うと少し淋しい気持ちにさせられた。去年のお墓参りの時は快晴の日曜日だったので、駐車場には十台以上の車が駐車されていて、小さな子供が意味も分からずにハシャギ声を上げていた事を思い出した。私は階段に一番近い駐車スペースに車を駐車した。今年になって買ったばかりの新車ラパンはオシャレでカワイイと若い女の子に人気の車だ。ホントは好きなピンク色にしたかったのだが、キャラでないとバカにされるのがしゃくだったのと、捜査で尾行に使用する時に目立って尾行対象者にバレるのを懸念けねんして、無難ぶなんな黒色に泣く泣くしたのだった。


 車を降りて、花束とお線香とお弁当、それに年代物のラジオカセットデッキを持ってお年寄りに優しくない急な階段を上って行く。途中の水場で備え付けの木桶に水を溜めて、更に階段をゆっくりした足取りで上って行く。普段鍛ふだんきたえている私でもこれだけの手荷物を持って階段を上がると、さすがに息が切れてくる。


 階段を上りきると目の前に相模湾の眺望ちょうぼうが広がった。この景色が望めるので、急階段を上ったテッペンにお母さんのお墓を建てたのだ。泳ぎが苦手だったが海が大好きだったお母さんの為に、生前出来なかったせめてもの親孝行のつもりだ。もっとも購入資金は当時高校生だった私には用意出来なかったので、お母さんが加入していてくれた生命保険でまかなった。私はこの場所を探しただけなので、胸を張って親孝行したと言えないのが心苦しくもあった。


 テッペンには海に向かって数十基の墓石が並んでいる。その一番奥まったところにあるのがお母さんのお墓だ。墓石の正面に苗字の【諸星】の文字、側面にお母さんの【諸星朋子】という名前と生年月日と命日が刻まれている。我が家は無宗教なので戒名のたぐいはない。


「久し振り」


 私は一年振りの挨拶を声に出して投げかけた。当然ながら墓石の下で眠っているお母さんからの返事はなかった。


 それから私は気合い入れて、墓石に付いた一年分の汚れを落としにかかった。そして掃除が終わると、お花を供え、お線香に火を灯し、手を合わせて、この一年で私に起こった出来事を報告した。


 報告が終わると墓石の前の石段に腰かけてお弁当を広げた。シャケとオカカとタラコの具が入ったおにぎりが一つずつと、おかずに出汁巻き卵とトリの唐揚げを手作りしてきた。墓前にお母さんの好きだったシャケのおにぎりとおかずをそなえた。おにぎり屋さんをいとんでいたお母さんのおにぎりには遠く及ばないが、一人娘が心を込めて作ってきたのだから大目に見て欲しい。


 お弁当を食べ終わると毎年恒例の儀式の始まりだ。近くに人がいないのを確認して、ラジカセにカセットテープをセットした。


 このラジカセはお母さんが中学一年生の時のクリスマスに両親にプレゼントして貰ったものだ。なぜかこのラジカセにはカセットテープを入れる場所が二ヵ所あった。お母さんの説明では、ダブルカセットデッキと言ってダビングが簡単に出来るようになった画期的な発明品で、当時大流行したそうだ。しかし平成生まれの私にはサッパリ理解出来ない品物だった。当時はバカにしていた品物だったが、今ではお母さんが私に残してくれた大切な形見だ。


 このテープを聴くのはこれで十四回目だ。お母さんが亡くなった後にこのテープを発見し、その直後に五回聴き、その後は毎年のお墓参りの時にこの場所で聴いているのだ。


 【再生】と書かれた大きなボタンを押すと、ガシャンと大袈裟おおげさな音がしてテープが回り始めるのだ。最初の十数秒は服の擦れる音や小さな溜息しか聴こえない。そして咳払いが二度聴こえると直ぐ後に『あー……、あー』と二つ声が発せられ、話が始まるのだ。


『―凛ちゃん、お母さんです。


何かこういうふうに改まって喋るのって恥ずかしいわね……。


えーと、今は十月二十一日の午前七時五分です。


今さっきあなたが学校へ行ったところです。


もう少ししたらお母さんは病院へ行きます。


乳癌の手術をする為です……。


私が乳癌と告知された時、私もあなたも最初はショックを受けたわね。


でも先生の話を聞いて、この癌が初期のものだと分かって、手術すれば治ると言われて安心したわよね……。


でもお母さんその時思いました。


いくら若くて元気でいたとしても、突然死ぬ事はあるんだなぁって……。


お母さんが突然死んだら、あなたに言っておかなければならない事も言えなくなってしまうんだなぁって。


だからこうしてこのテープに録音して残しておこうって……、えー……、録音しています……。


えーと……、うん……、そう、うん、言っておかなければならない事とは……、あなたが私のお腹に宿ってくれた時の話です。


それは……、えーと……、その、あなたは小さい頃からこの事を知りたがっていたわよね。


私はそのたびに何だかんだと言ってははぐらかしてきたわよね……。


そのうちあなたはそんな私の事を気遣ってか、何も聞かなくなったよね。


フフフ、出来た娘。


なんてね……。


でもずーっと知りたかったんでしょう。


それは当然よね。


だから教えます……。


ホントはあなたがもっと成長して、結婚して、子供が出来て、母親の気持ちが分かるようになって、落ち着いて、その時にあなたの顔を見て、私の口から直接話そうと思っていたんだけれど……。


だから、このテープを今あなたが聞いているという事は、私が何かの急な病気か事故にあって死んだという事よね。


どうして死んでしまったのか分からないけど、残念……。


あっ、へへ、前置きが長くなっちゃったわね。


ごめんごめん、じゃあ話すね。


えー、どこから話そうかしら……。


えーと、あれは私が高校三年の時の冬休みに入った日の出来事です……。


私と多香子は渋谷に映画を見に行ったの。


あっ、多香子というのは中学からの親友で、とってもカワイイ娘。


その多香子と私は大学の推薦入学が決まった直後でとても浮かれていたの。


で、映画を見るつもりでいたんだけれども、私が待ち合わせ時間に遅刻しちゃって、仕方ないから次の上映時間までバーガーショップでお喋りする事にしたの。


あなたも経験あるでしょうけど、あの年頃の女の子ってお喋りに夢中になると時間とか周りの事とか気にならなくなっちゃうでしょう。


それでお喋りに夢中になっていたらいきなり「泥棒!」って叫ぶ声が聞こえて、男が一人階段の方へと走って行ったの。


すると直ぐに「待てこの野郎!」って声がして、後ろの席に座っていた三人組の中の二人の男が逃げて行った男を追いかけて走って行ったの。


突然だったから私たちは何が起こったか分からなかったんだけど、残っていた一人の男が近付いて来て、多香子のバッグが盗まれたって教えてくれたの。


見ると、確かに椅子の背もたれに引っ掛けてあった多香子のバッグがなくなっていて、私たちは凄く慌てた。


お喋りに夢中になっていてバッグを盗まれた事に気付かなかったのよ。


すると男が「今追いかけて行った仲間がきっとバッグを取り返して来てくれるよ」って言ったの。


暫くすると追いかけて行った二人がホントにバッグを手にして戻って来たの。


私たちは凄く喜んで男たちに御礼を言ったわ。


男たちは法明大学の学生で、私たちに最初に話しかけてきた男が立花、泥棒を追いかけて行った二人が室伏と春山と名乗った。


三人は大学の映研、あっ、映研というのは映画研究会ね。


そこで自主映画を撮っていると教えてくれた。


それで、その日も撮影予定だったんだけど、出演者にドタキャンされて困っていると言ってきたの。


で、これも何かの縁だから私たちに代わりに映画に出て欲しいって頼んできたの。


あなたはきっと怪しい話って思っているかもしれないけど、当時の私たちは信じちゃったのね。


自分で言うのも何だけど純真だったのよ。


女子校にずっと通っていたから男がどういう生き物か知らなかったし、それに、あなたには内緒にしていたけど、私は、あっ、多香子もね、二人とも高校で演劇部に入っていたのよ。


その事を男たちに言うと「ラッキー、これは運命だ」とか「コンクールに入選すれば映画関係者の目に留まってスターになれるかもよ」とか調子のイイ事言ってきて、私たちもついその気になっちゃって、OKしちゃったの。


バカでしょう……。


で、撮影場所だというホテルに連れて行かれて、あっ、ホテルってちゃんとしたホテルね、一応。


おかしなホテルだったらさすがに入る前に逃げ出していたわよ。


あなたは知っているかどうか分からないけど、渋谷の公園通りを上ったところにホテルがあって、そこのセミスウィートの部屋。


部屋に入るとシナリオとジュースを渡された。


シナリオの中身は家出少女の何てことない話だったんだけど、私たちは何だかテンションが上がっちゃって、女優モードに入ってその気になってセリフ合わせなんかしてはしゃいだわ。


その間、男たちはカメラとか照明とか撮影の準備をしていた。


立花が監督で、室伏が照明、春山がカメラを担当していた。


そうこうしているうちに何だか頭がボーッとして眠気が襲ってきたの。


多分ジュースに睡眠薬が入れられていたんだと思う。


気付いた時には遅かった……。


男たちが何か言いながら近付いて来た……。


笑い声もした……。


それで……、後は言わなくても何となく分かるでしょう……。


抵抗しようとしたけれど、どうしようもなかった。


薬が効いて体が思うように動かなかったのよ……。


気が付くと多香子と私は裸でベッドの上に寝かされていた。


春山がいやらしい顔してカメラを向けていた。


多香子は私より早く目が覚めていたみたいで泣いていたわ。


部屋の中には男が一人増えていた。


「泥棒君です」立花がニヤケタ顔をして紹介した。


初めから仕組まれていたのね。


みんなグルだったのよ。


私たちはそれにまんまとはまっちゃたのよ。


ホント大バカ……。


立花が言ったわ「警察に言えば撮影した映像をバラまくぞ」って。


言われなくても警察なんかに言えやしない……。


それに親にもね。


それから私たちはホテルを出て帰路についた。


途中、多香子とは一言も言葉を交わさなかった。


家に帰って部屋に入ると涙が零れてきた。


布団をかぶって声を出して泣いたわ……。


それからずーっと部屋に閉じこもった。


親はそんな私を心配したけれど、私は無視した……。


それから……、三日経った夜、突然家に警察の人が訪ねて来た。


警察の人は多香子が人を殺したって言った。


法明大学のキャンパスで多香子が立花をナイフで刺し殺したって……。


信じられなかった。


きっと多香子は私以上に傷付いていたのね。


私は悲観に暮れてばかりだったけど、多香子は怒りの気持ちが溢れちゃったのね……。


多香子は警察に捕まって何もかも話したみたいで、私も警察に呼ばれて事情を聞かれた。


知られたならば仕方ないものね。


正直に起こった事を全て話したわ。


それが多香子の為にもなると思ったから。


多香子は悪くないと言ってやった。


悪いのはあの男たちだって。


殺されて当然の事をしたんだって……。


呆れた事に男たちには余罪がたくさんあった。


私たち以外にも同じような事をされた被害者がいたのよ。


撮影を担当していた春山の部屋から犯罪の証拠のテープがたくさん押収されたって刑事さんが怒って教えてくれた。


それからが大変。


事件が報道されるとマスコミと世間が騒ぎ出したの。


女子高生が大学生に集団で襲われて、そいつらに復讐しようとして、リーダーの男を刺し殺したっていうのがセンセーショナルで、ゲスな人間の好奇心を刺激したのね。


その影響で多香子の家は勿論、どこから漏れたのか私の家にもたくさんのマスコミや野次馬が押し寄せて来た。


私は未成年の被害者だったからおおやけには名前や顔は出なかったけれど、それだけ騒がれれば近所の人や学校の人たちには気付かれて、私は学校へ通えず家からも出られなくなった。


多香子のところは私のところより酷かったみたい。


多香子は被害者ではあったけれど同時に加害者になってしまったのだからね。


マスコミの半分は多香子に同情していてくれていたけれど、後の半分はそんな男たち

に付いて行った私たちが悪いと言っていた。


悪いのはアイツらなのに、凄く悔しかった。


悔しかったけど何も出来なかった……。


そんな騒ぎから両親は私を守ろうとして、北海道に住んでいる明美叔母さんのところへ避難させられた。


更に両親は被害届を出して裁判になったら私が余計に傷付くのを心配して、私に被害届を出させなかった。


私は勝手な事をしてと両親に怒ったけれど、本心ではホッとしている部分もあった。


私は裁判に出て、あの忌まわしい出来事を大勢の人の前で証言するなんて事は耐えられそうになかったから。


多香子に対して後ろめたさはあったけど、被害届を出せなかったのは両親のせいだと言い訳して、仕方ない事だと自分を納得させた。


お母さんズルいよね。


親友を見捨てたんだから。


でもそんな行いにバチが当たった。


北海道に避難したおかげでマスコミに追われなくなって落ち着いた頃、自分が妊娠している事に気が付いた。


ショックだった。


どうしていいか分からなかった。


誰にも言えずに悩んだわ。


悩んでクヨクヨしているうちに日に日にお腹が大きくなってっきて、とうとう叔母さんに気付かれた。


叔母さんはその事を直ぐに両親に知らせた。


すると両親は飛んで来て、有無を言わさず私は病院へ連れて行かれたわ。


そして私は分娩台に乗せられた。


そして堕胎する為にお医者さんがやって来てカーテンが閉じられた。


怖かった。


その時お腹の中が動くのを感じた。


私はお腹の中で私の子供が生きたいと言っているんだと思った。


私は分娩台を下りて病院から逃げ出した。


子供を産みたいって思った。


勿論両親は反対したわ。


お父さんに頬を叩かれ「産んだら勘当だ」って怒鳴られた。


それでも私の決心は揺るがなかった。


私は一人で産む決心をして、叔母さんの家を飛び出した。


お腹の子は私の子。


私一人の子。


そう強く自分に言い聞かせた。


でも実際問題私一人では子供を産む事は難しかった。


東京に戻った私は、私の気持ちを理解してくれた高校の演劇部の先輩たちを頼って助けて貰って、何とか赤ちゃんを産む事が出来た。


だけど、赤ちゃんを抱えた私に出来る仕事はなかった。


現実は厳しいと痛感させられたわ……。


あなたは覚えていないでしょうけど、働いてお金を稼ぐ為に仕方なく赤ちゃんのあなたを養護施設に預ける事にした。


ごめんね。


でも誤解しないでね、あなたが邪魔だからそうしたんじゃないのよ。


あなたと一緒に生きて行く為に一時的にそう選択したの……。


それからは毎日毎日寝る間も惜しんで仕事をして、あなたと暮らせる事を夢見てクタクタになるまで働いたのよ。


でも信じて、どんなに疲れていても週に一度は必ずあなたに会いに行って、スキンシップを図ったのよ。


そんな私の事を赤ちゃんのあなたはいつも笑顔で迎えてくれたのよ。


その笑顔のおかげで私は挫ける事なくガンバル事が出来た。


それぐらい赤ちゃんのあなたはカワイかったのよ……。


で、三歳の誕生日にあなたを迎えに行き、ようやく一緒に暮らす事になったのよ。


それからはずっと一緒よね。


全ては覚えていないでしょうけど、少しは記憶にあるでしょう……。


小学生になる前までは、あなたを私の運転するトラックの助手席に乗せて全国を走り回ったよね。


フフ、親としては無茶苦茶な行動だったかもしれないけれど、楽しかったよね。


小学生になってからの事は説明はいらないわよね。


この商店街の一角でおにぎり屋さんを始めたのよね……。


こんな話をしたのはあなたには自分の生れた時の経緯について知る権利があると思ったからよ。


私にとっては思い出したくない事もたくさんあったし、あなたにとっても知りたくない話だったかもしれないけれど、思い切って話した……。


これを聞いてあなたがどう思うか分からないけれど、絶対に自分の事を嫌いにならないで欲しい。


それにお母さんの事も嫌いにならないで欲しい……。


あなたには父親は存在しない。


あなたは私一人の子供。


それでいいわよね……。


私たちに酷い事をした男たち――』


「朋子さん、いるー」

「はーい」


 二軒隣のお総菜屋さんのオバちゃんがお母さんを呼んで、お母さんが出て行く足音が聞こえ、しばらくして戻って来る足音が聞こえ、録音が止まる。


 私は大きく息を吐いた。このテープは何度聴いても慣れる事はない。ここにお墓を建ててから、私は毎年ここでこのテープを聴く事にしているのだが、何年経っても私の怒りが収まる事はなかった。


 このテープの続きが録音される事はなかった。


 あの日、お母さんは病院へ行く途中でトラックにかれて亡くなってしまったのだ。横断歩道の信号待ちをしている時、隣にいた小さい子供が車道に飛び出したのをお母さんが身をていして助けたのだ。子供は助かったが、お母さんは病院へ運ばれて間もなく亡くなってしまったのだ。助かった子供とその母親は、騒ぎのドサクサに紛れて姿を消してしまっていた。警察はその母子の行方を追ったが見つける事は出来なかった。私は知らせを聞いて病院へ駆けつけた時には、お母さんはすでに病院の地下の冷たい霊安室に安置されていた。


 私がこのテープを見つけたのは、お母さんが亡くなってから一週間が過ぎた日だった。お母さんの思い出を探して、お母さんが好きだった音楽を聴こうとしてラジカセを出したら、このテープが入れっぱなしになっていて、それを再生して偶然お母さんと私の秘密を知ってしまったのだ。

 

 初めてこのテープを聴いた時の衝撃は忘れられない。お母さんがお父さんについて話せない何か特別な事情があるのだろうと感じてはいたが、まさかこんなひどい出来事がお母さんの身に起こっていただなんて想像もしていなかった。小さい頃はお父さんの事を知りたいと思っていたのは事実だけれど、大きくなるにつれてお父さんなど必要ないと気持ちは変わっていっていた。そうなったのはお母さんの私に対する愛情を感じていて、そのお母さんとの二人の生活に充分満足していたからだ。


 このテープを聴いて今まで疑問に思っていた事も分かった気がした。小さな私を近所の空手道場に通わせ、自分の身は自分で守れる女性になって欲しいと口癖のように言っていた事。自分の髪をショートにしていて女らしい事に興味を示さなかった事。私にも女の子らしい格好をさせたがらなかった事。男の人を警戒して、お店でも男の人と二人きりになるのを嫌がっていた事。小さい頃でさえ私の事を好きと言って近付いて来る男の子を異常に気にしていた事。全てがこの事に起因きいんしていたのだ。


 そしてこのテープを聴いて私の中に芽生えた最大の疑問。あの時、お総菜屋さんのオバちゃんに呼ばれなければ、お母さんはあの後に何を言うつもりだったのだろうかという事だ。その事をずっと考えているが、いくら考えても正しい答えは出なかった。


 しかしテープを聴いて確かな答えもあった。それは、あの日お母さんがあの男たちに出会わなければ全く別の人生を送れていたという事だ。きっと推薦入学でそのまま大学に進学し、普通に恋愛をし、希望の職に就いて、幸せな結婚をして愛する男性との間に子供を産む。そんな人生を歩めたという事だ。


 間違ってもトラックの運転手にはならなかっただろうし、小さなおにぎり屋の店主にもならなかっただろう。乳癌にはなったかもしれないが、あの日あの場所で見ず知らずの子供を助けてトラックに轢かれて亡くなる事はなかったはずだ。


 お母さんの人生を望まない不幸なものにしてしまったのは、鬼畜のような男たちに出会った結果の不幸の連鎖れんさだ。


 お母さんの人生を無茶苦茶にしたあの男たちが許せない。このテープを聴いて私は強く思ったのだった。

 

 そして私はテープを聴いた翌日から事件について調べ始めた。


 事件はインターネットが普及する以前のものだったので、ネットで検索をかけても詳しい事はあまり分からなかった。そこで私は国立図書館に通い、当時の新聞と週刊誌の記事を見つけて読みあさった。


 それで分かった事は、主犯は多香子さんに刺殺された立花龍男・二十四歳。法明大学の四年生で大学には二年留年していて、授業にはほとんど出ていなかった幽霊学生であった。立花が映研の部員であったのは事実だった。刺殺されたあの日も映研の部室に行く途中で、立花たちの姿を捜して大学構内を彷徨さまよっていた多香子に見つかったのだ。そして立花は多香子が家から持ち出してきた果物ナイフでいきなり背中を一突きされた。それから倒れたところを馬乗りにされ執拗しつように何度も刺され、辺りを血の海となったそうだ。立花は救急隊が駆け付けた時には亡くなっていて、多香子はその場で現行犯逮捕されたようだ。


 室伏哲也と春山新一は法明大学の三年生と二年生で二十一歳と二十歳だった。やはり映研に所属していて、そこで立花と知り合い仲良くなったらしい。春山の方は高校時代からカメラを回し自主映画を撮っていたらしい。


 四人目の男はどの記事にも少年Aとだけ記されていた。当時同大学の一年生の十八歳で映研にも所属していた事までは伝えられていた。お母さんの遺言テープから、この男が多香子さんのバッグを盗んだ奴だという事は確信していた。


 男たちが事件を起こすきっかけは、立花と室伏の二人が自主映画の製作費を捻出する為に、当時一般に出回り出したアダルトビデオの制作会社でアルバイトをした事から始まったみたいだ。


 二人はその制作会社でノウハウを身に付けると、春山を誘って自分たちで制作会社を立ち上げたらしい。当初は女優に水商売や風俗に勤める女性たちを口説いて出演して貰っていたが、制作した作品が思うように売れなかった為、素人の女性をスカウトしようとしたようだが上手くいかず、そこで考え出したのがコンクールに出品する自主映画の主演女優を探していると嘘をついて、騙して無理やりビデオに出演させようとしたらしい。しかしそれも上手くいかず、借金ばかりが増えていったので、追いつめられた立花が実家の薬局から睡眠薬を入手してきて、それを使って女優を確保する事にしたらしい。最初の方は犯罪を犯しているという意識があり恐る恐るやっていたのだが、無理やり出演させられた女性たちが誰一人警察に訴え出る者がいなかったので、徐々に罪の意識が薄れていったみたいで、ついには未成年の少女にも触手を伸ばしたようだ。その結果がお母さんたちの事件へとつながったのだった。


 少年Aがどの時点で参加したかはどの記事にも記されていなかった。


 多香子について書かれた記事もたくさんあった。当時十八歳だった多香子の事は少女Aとして報道されていた。名門女子校に通う女子高生の衝撃的な事件に対して同情的な報道もあったが、週刊誌の多くは好奇心をき出しにしたゲスな報道がなされていた。


 警察関係者からの情報として多香子の犯行動機が記されていた。それによると、多香子は凌辱りょうじょくを受けて汚れてしまった自分を悲観して自殺しようとしたが、自殺しても自分を汚した相手が生き残る事が許せないと考え直し、犯行に及んだらしい。


 記事の中にはお母さんについても触れているものがあった。ある週刊誌ではお母さんの事は少女Aと一緒に男たちの被害に遭った少女Bとして記され、少女Bが男たちを刑事告発しなかった事が伝えられ、その事で少女Aを見放したと非難するように報じていた。お母さんがこの記事を読んだかは分からないが、もし読んだとしたら相当傷付いただろうと思った。そしてこのような無責任な記事を書いた人間に私は怒りを抱いた。


 室伏と春山と少年Aは、刺殺事件から十日後に強姦と恐喝の罪で逮捕されていた。


 一年が過ぎた頃、室伏たちの裁判の結果が新聞の片隅に小さく載っていた。検察は二人に対して懲役七年を求刑していたが、判決はそれより軽く懲役五年の実刑が言い渡されていた。何を根拠に減刑されたかは分からなかったが、この裁判官が女の気持ちを理解しない奴だという事は確かだ。


 その判決に対して二人が控訴したかはどの新聞にも書かれていなかった。


 少年Aにどの程度の刑が科せられたかは分からなかったが、室伏たちよりは軽い罰だという事は容易よういに想像出来た。


 多香子の受けた刑罰についても調べてみたが、少年A同様未成年の為、その真相は分からなかった。


 一通り事件の事を調べた後に、お母さんの遺品の中にあった古いアドレス帳の中に多香子の名前を見付けた。その時、多香子の苗字が須藤である事を知った。私は早速そこに書かれていた電話番号に電話をかけてみた。しかしその番号は別人のものになっていた。そこで私は書かれてあった住所を訪ねてみる事にした。そこは杉並区の閑静な住宅街の一角で、電話がつながらなかったので予想はしていたが、案の定その住所には多香子の家はなく、代わりにオシャレなデザイナーズマンションが建っていた。


 私はそこであきらめずに、近所に古くからある家を探して多香子の家の事を聞いた。応対してくれた白髪頭のお婆さんは暇を持て余していたのか、多香子の事で知っている事をペラペラと話してくれた。


 お婆さんは事件については多香子に同情していたが、そこは他人事なのだろう、その言葉とは裏腹にどこか楽しそうでもあった。お婆さんの話だと、多香子が逮捕されるとほどなくして大勢のマスコミが多香子の家に押しかけ辺りは騒然としたそうだ。そのせいで多香子の母親は心労がたたって入院してしまったそうだ。入院は長くはなかったそうだが、退院してからは母親の姿を見る事がなくなり、多香子の判決が決まった頃、夫婦は挨拶もなく転居して行ってしまったそうだ。


 お婆さんは転居先を知らなかったが、その代わりに同地区にある親戚の家を教えてくれた。その足でその親戚の家へと訪ねて行くと、応対してくれた五十過ぎの女性はあからさまに迷惑そうな顔をした。親戚だけあってこちらは口が重かった。そこで私はお母さんが多香子と同じ被害に合った事を正直に話し、女性の警戒心を解いた。それを聞いて女性は少し心を開いてくれて、渋々ながら多香子とその家族に起こった事を話してくれた。女性は多香子が少年刑務所に六年間入所させられた事をとてもいきどおっていた。多香子が六年の刑に服した事に反して男たちがそれよりも軽い刑だったからだ。


 事件は多香子の家族にも暗雲をもたらしていて、母親が周囲の好奇の目に耐えかねて引きこもりになった為、父親は勤めていた銀行を退職して、夫婦で事件との関係を知られていない土地へと転居していったと教えてくれた。


 多香子とその家族もお母さんと同様に、あの男たちによって人生を大きく狂わされたのだった。


 親戚の女性は私がどんなにお願いしても、現在多香子が暮らしている場所は教えてくれなかった。事件から十九年が経過していて、穏やかに暮らしているので嫌な過去は思い出させたくないというのが理由だった。その気持ちは分からなくもなかったが、私はどうしても多香子に会って話を聞きたかったので、用意しておいた手紙を女性に託した。女性は手紙を多香子へ渡してくれるとは確約してはくれなかったが、手紙は預かってくれた。


 手紙にはお母さんが亡くなった事、お母さんが男たちを告発しなかった事を後悔していた事、何故それが出来なかったか、私の生い立ち、男たちへの怒り、男たちの消息を調査している事、是非一度会って直接話を聞きたいという事、そして私の住所と電話番号とメールアドレスを記した。


 しかし手紙を渡してから九年、多香子からの返信はなかった。


 石段に座り一時間が経過した。私は食べ終わったお弁当をしまって、お墓の中のお母さんに別れを告げてお墓を後にした。


 

 



 

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