マッドな科学で青春よ回れ!

violet

秋音フェロモン~リアルJKの甘い香り

 人は匂いで恋をする。


 運動部員の汗の匂い。女子の石鹸や香水の匂い。


 そしてリアルJKの匂い。


 気温39度。喧しい蝉の鳴き声が響き、夏の日差しによりカンカンに照らされたこの世界で、俺は微かに大好きな人の匂いを嗅ぎ取った。


「おはよう。夏木」


 麗しき声で、俺の名を発した。


「おはよう。春野」


 俺は挨拶を返して春野を見た。陽光をキラキラと反射させる長い黒髪。各パーツが整った、小さな顔。俺と同じくらいの、高めの身長。程よい大きさの胸。細い手足。綺麗で皺一つない制服。


 高校の正門にて、そんな完璧な女性と出会った。春野は俺に近寄ると、正門を怪訝な表情で見つめ、口を開く。


「ねえ、なんだか様子が変じゃない?」


 春野の言う通り、学校の様子がいつもと違う。確かに今日は、一学期最終日。明日から夏休みで、特別な日ではあった。しかし普段なら険しい形相で仁王立ちしている、生徒指導の教師がいない。そして学校玄関付近が生徒達で賑わっていた。


 何事かと、俺と春野はそれに近寄る。


「秋音サマ! 秋音サマ!」


 喧しい蝉の鳴き声を凌駕する程、大きな生徒達の叫び声。俺はその叫びに不吉な単語を確かに聴き取った。


「ほらお前ら、さっさと教室に行け!」


 正門にいなかった生徒指導の教師、田島先生だ。この事態の対処をしていたようだ。田島は群がる生徒達を押し退ける。


 生徒達が田島によってかき分けられたことにより、俺と春野も騒ぎの張本人を確認した。


 癖の強いボサボサの黒髪。縁が太くて黒い眼鏡。低い身長。意外と大きい胸。それを隠すように着た、真っ白な白衣。


 俺の幼馴染み。秋音だ。


 そしてその秋音は田島と相対する。


 きっと怒られるぞ。


 そう思っていたのだが、なんと田島は、あろうことか秋音に向かって片膝をついたのだ。


「秋音、サマ」


 そう言うと田島は、強面を紅く紅潮させ、まるで乙女のように潤った目で秋音を見つめたのだ。誰もが驚愕する光景だ。


「うわ」


 隣にいた春野がドン引きの声を上げた。俺だってそうだ。


 そして秋音はこちらに気がついた。秋音はにやりと笑って近寄ってくる。すると生徒の群れと田島が、秋音に引き寄せられるかのように一斉に移動した。


「やあ非モテ君。明日から夏休みだね」


 低刺激で低トーンな声が響いた。俺はその言葉に、事態を何となく理解する。秋音に引き寄せられている生徒は皆、男子だった。田島も男性である。こいつらは、どうやら秋音に好意を寄せているらしい。


「秋音。どうせまた変なものを開発したんだろ」


 俺はため息をついた後に言った。秋音はモテるほうではない。確かに秋音は、よく見ると小顔で肌も綺麗で、顔のパーツも整っている。しかし髪の毛はボサボサだし、縁が黒くて太い眼鏡はダサい。毎日、白衣を着ていて異様だし、眼鏡越しでも目立つ隈によって、不気味な印象だ。


 昨日は皆、普通の様子だった。それが今日だ。一日でこれだけの生徒と教師が秋音の魅力に一斉に気がついた、なんてことは考えにくい。


「そう。その通り。この媚薬フェロモンによって思春期の男子はたちまちメロメロになってしまうの」


 秋音は得意気に語った。


 秋音は天才だ。彼女に作れないものは無いと言って良い程、何でも作れてしまう。しかしはた迷惑なことに、その才能は俺を惚れさせる目的のみに発揮していた。


「ほら夏木。嗅いでみて。良い匂いでしょう」


 秋音はそう言いながら、俺に身体を密着させてきた。確かに秋音から妙な香りがした。女の子らしい、男子が好むような、フェチズムをくすぐられる香りだ。


「ちょっと!」


 春野が怒って秋音を引き剥がす。


「ふふ。春野。もう遅いよ。あなたの恋人は、もう私のもの」


 秋音はどや顔を春野に向けた。その言い草だと、どうやら即効性があるようだ。しかし俺は妙に冷静で、むしろ状態を確認するために、秋音を見つめた。


「ほら夏木。だんだん私のことが好きで好きで堪らなくなってくるでしょう?」


 俺の視線に気づいた秋音は、そう言ってキメ顔を向けてきた。まあ確かに可愛い顔だ。今日はいつも以上に可愛く見えてくる。もし春野がこの世にいなかったら、俺は恐らく秋音と付き合っていたのではないか。そう思える程に魅力的に見えた。


 しかし所詮その程度だ。こいつらのように理性を失ってひれ伏すなど、到底出来そうにない。


「いや。悪いけど全然」


 俺は正直に話すと、秋音はたいそう驚いた。


「え、嘘。夏木は男だよね。ちゃんとついてる?」


 秋音はそう言うと、俺の股間に手を伸ばす。


「ば、馬鹿!」


 慌てて俺はその手を振り払った。


「むう」


 秋音の眼鏡越しのジト目。そして秋音は、側にいた田島に手の甲を差し出す。


「キスしなさい」

「はい、喜んで!」


 即答。田島は片膝をつき、秋音の手をそっと握った。そして指示通りその手にキスをしたのだ。


「ふむ。効果はやっぱりあるみたいだ。やはり夏木は男じゃないのでは」


 そして先程のジト目を、再度俺に向けてきた。なんてことを言いやがる。


「あのなあ。彼女持ちの俺に言い寄るの、いい加減やめてくれる?」


 春野の前ということもあって、俺は強めに言った。


 すると秋音はジト目の表情から、徐々に頰を赤らめて、顔は俯き、目は上向きに、眉は逆はの字になった。もうすっかり見慣れた、秋音の怒った表情だ。


「私は夏木以外どうでも良いから」


 秋音はそんな捨て台詞を吐いて、早歩きで去っていった。


「秋音サマ、秋音サマ」


 秋音の媚薬フェロモンによって魅了された男子生徒と田島が、秋音を追いかけていった。あれを見ると、秋音の発明は上手くいったのだろう。


「また厄介なものを……」


 隣にいた春野が、ぎりぎりと歯ぎしりをしていた。最も気が気でないのは春野だろう。秋音によって理不尽に恋人を奪われてしまっては堪らないはずだ。


「大丈夫だよ、春野。見ただろ。俺には効かなかった」

「う、うん。そうね」


 そして俺と春野は教室に向かう。





 秋音のフェロモンによって魅了された男子生徒の反応は様々だった。先ほど秋音の周りにいた奴らは、反応が極端な例だったらしい。教室に向かう道中も、秋音とすれ違った男子生徒が次々と魅了されていったようだ。先ほどのような明らかな反応でなくとも、例えば秋音を遠くから切ない表情で見つめる男子生徒や、秋音の後ろ姿を盗撮し、その写真をニヤニヤと眺める男子生徒が沢山いた。


 教室にたどり着けば、何人かの男子生徒の姿が見当たらなかった。ホームルームが始まっても担任の教師がやってこない。


「いよいよ只事じゃなくなってきたわね」


 春野が言った。幼馴染みの俺ほどではないにせよ、春野も秋音との付き合いは長い。さすがに秋音が引き起こす異常事態には慣れたようで、他の生徒よりも冷静だった。


 そして、教室に設置してあるスピーカが、ブツブツと音を発した。


『あーあー。夏木。体育館に来なさい。繰り返す。体育館に来なさい』


 女性にしては低トーン低刺激の声。秋音の声だ。


「夏木。行っちゃ駄目よ。きっと罠だわ」


 春野が言う。


「でも、このままって訳にも行かないだろう」


 俺は教室を出ようとした。しかし、片手を春野が握って俺を引き止める。


「ねえ。お願い。秋音のこと、好きにならないで」


 俺は春野を見た。美人で、いつも強気な春野。そんな彼女が、涙目で俺を見つめている。


「心配なの。夏木が媚薬フェロモンの所為で、秋音に夢中になってしまうんじゃないかって。秋音の発明だけは、本当に凄いから」


 そう言って春野は、涙を隠すように俺の胸に顔を埋めた。俺はそっと春野の頭を撫でる。


「大丈夫だから。今も媚薬フェロモンとやらが効いていないだろ。でも、もし俺の様子がおかしくなったら……」


 俺の胸に埋めていた春野の顔を、両手で上げた。すると目を紅く腫らした春野の情けない顔が、俺の瞳をまっすぐ見つめてくる。やっぱり泣いていたようだ。


「その時は春野。お前の魅力でもう一度俺を惚れさせてくれ」


 そう言った後で、俺は少し恥ずかしくなった。なかなか臭い台詞を吐いたものだ。


「ええ、分かったわ」


 春野はそう言って花笑みを浮かべた。自分に自信があるからこそ、あっさりと了承出来てしまうのだろう。実に春野らしくて、そういうところも俺は大好きだ。


 俺は春野の手を握る。そして、秋音がいるであろう体育館へ向かった。





 体育館。そこで今日、終業式が行われるはずだった。


「遅かったね。夏木。それと、春野」


 秋音の声が館内に響く。秋音はステージの中央にいた。生徒指導の田島を人間椅子にして、そこに腰掛けていたのだ。


 行方不明だった男子生徒もいた。そいつらは駆けつけた女性教師達を羽交い締めで拘束していた。


「みんな、作戦通りに」


 秋音が高らかに言った。


「はい、秋音サマー!」


 どこからともなく返事が響く。その直後、唐突に背中を押されて、俺は転んでしまった。


「夏木! ぐむ……」


 叫んだ春野。しかし、秋音に魅了された男子生徒に口を押さえられ、拘束されてしまう。そのまま春野は、秋音のいるステージにまで運ばれてしまった。


「おい、秋音! ふざけるな! やり過ぎだ!」


 俺は怒鳴った。大切な人を傷つけられたのだ。当然だ。


「ふざけてなんか無いっ!」


 秋音は、ヒステリックに叫んだ。秋音が声を荒げるのは珍しい。彼女の本気具合を感じ取った俺は、ひとまず黙った。


「ここに、二つの媚薬フェロモンがあります」


 秋音はそう言って二本の試験管を見せつけてきた。


「一つは女の子が女の子を好きになってしまう、百合フェロモン。これを春野に飲ませて、私に惚れさせる。そうすればほら、夏木に恋人はいなくなって、私が恋人になれる」


 秋音は楽しそうに語る。理屈が飛躍しているのは、興奮しているからだろう。


「もう一つは、今私が使っているフェロモンの超強力版。これを直接飲んでしまえば、さすがの夏木でもメロメロになっちゃう」


 さあ、と秋音は意気揚々と俺に言う。


「夏木! あなたが自ら、このフェロモンを飲むというのなら春野は助けてあげる」


 もはや犯罪者の言動に、俺は言葉を失う。


「夏木。私って髪の毛はボサボサだし、ダサい眼鏡掛けているし、ファッションも糞もない白衣を着ているけどね。でもきっと、春野よりも夏木が好きだし、愛してみせるよ」


 秋音が必死に気持ちを訴えてくる。それは俺でも痛いほど伝わってきて、つい同情してしまう。


「ねえ夏木。こんな私じゃ駄目かな」


 秋音の声が上ずった。目に涙を浮かべていた。今一番苦しんでいるのは、秋音かも知れない。ここまで追い詰めてしまった俺に、果たして責任はないのだろうか。


「わかったよ、秋音。俺がそれを飲む。もし俺に効果がなかったら、その時は諦めてくれ」


 俺は決意を固めて言った。もしかしたら、一世一代の大勝負なのかもしれない。秋音の発明に敗れるのか。それとも、俺の恋心が勝つのか。


 勝機が無い、という訳でもない。何せ、現状で俺に媚薬フェロモンは効いていないのだ。もしかしたら、強化された媚薬フェロモンだって、耐性があるかもしれない。


「じゃあ、こっちに来て」


 秋音の指示通り、俺はステージに向かう。その途中、ちらりと春野を見た。男子生徒に口を押さえられながら、とても不安げな表情で俺を見つめている。


 ああ。俺が負けたら、春野はひどく傷つくだろうな。いくら強気な春野だって、女の子なんだ。いや、男女問わず、恋人が奪われてしまうのは悲しいだろう。


「はい、これ。言っておくけど、飲まずに捨てたら男子生徒全員を利用して、春野に媚薬フェロモンを飲ませるから」


 そんな脅し文句を言いながら差し出してきたそれを、俺は受け取った。


 試験管に入ったピンク色の液体。先ほど秋音が身を寄せて来たときに嗅ぎ取った匂いよりも、濃厚で芳醇な香りだ。なるほど確かに、これは飲んだらやばそうだ。


 俺はもう一度春野を見た。まじまじと俺と試験管を見つめている。


 悲しい思いなんて、させてたまるか。


 俺は一気に飲み干す。


 ドクン……!


 心臓が異常に強く脈打った。身体中に張り巡らされた血管を伝って、全身に媚薬フェロモンが浸透したのを実感する。


 しかし、それよりも目眩が酷い。焦点が定まらない。


「夏木」


 誰かが俺の名を呼んだ。誰でも良い。凄く聞き心地が良くて、なんだか心がときめく。


「なぁ、つぅ、きっ!」


 可愛らしい声。もっと俺の名を呼んでほしい。呼んでほしくて、俺は声のする方を向いた。


「ほら夏木。私のことが好きで好きで堪らないでしょう?」


 低トーン低刺激の声。そして見慣れた容姿。普段は無表情の癖に、見栄を張って必死にキメ顔を見せつける女子生徒。子供の頃から、何度も何度も見た、一人の女の子。


「なんだ、秋音か」


 俺の言葉に、秋音は目を見開いた。


「う、嘘……どうして効いてないの」


 そして秋音は、絶望の表情を浮かべた。


「はは。そっか。夏木は私のことが嫌いなんだね。媚薬フェロモンを打ち消すくらいに、私のことが嫌いなんだ」


 秋音は自嘲気味に言った後、泣き崩れた。


「そうじゃない。秋音は俺の大事な幼馴染みだよ」


 激しい目眩はもう治まって、しっかりと秋音を捉えることが出来た。ゆっくりと秋音に近づいて、泣き崩れている秋音をそっと抱きしめる。


「えっ? 夏木……?」


 戸惑った声をあげる秋音。俺は構わずぎゅっと抱きしめる。秋音から甘い香りがした。香しい、リアルJKの匂いだ。その香りがとても心地よい。それだけじゃない。秋音を抱きしめている感触。それが堪らなく心地よい。


「俺は秋音のことが好きだよ」

「本当に?」

「ああ。だから頼むよ。春野を解放してくれ」


 秋音は少しの間沈黙した。


「まあ、収穫は充分かな」


 そんな呟きをした後、制服のポケットから何やらスイッチを取り出す。


「このスイッチを押せば、学校中に煙が立ちこめる。その煙を吸えば、媚薬フェロモンの効果は消えるし、ついでに記憶も飛ぶ」


 そして秋音は、錠剤を取り出した。


「これを飲めば記憶は飛ばない。春野にも飲ませてね」


 俺は秋音の指示通りに錠剤を飲んで、春野にも飲ませた。それを確認してから秋音はスイッチを押す。思いのほか大量に煙が排出された。視界が完全に真っ白になった頃、バタバタと何かが倒れる音が次々と響いた。


 煙がようやく晴れると、体育館中の生徒や教師達が倒れていた。




 秋音が開発した媚薬フェロモンによって学校中がパニックになった事件を、俺たちは媚薬フェロモン事件と呼ぶことにした。


 結局、終業式は媚薬フェロモン事件によって次の日に延期となった。


 今はその帰りである。春野と二人きりの帰り道。外はまだ明るくて暑い。


「明日から夏休みかあ」


 ありふれた言葉をつい呟いてしまった。


「ようやく、って感じだよね」


 春野が言った。媚薬フェロモン事件によって夏休みが一日遠退いてしまったから、その気持ちはよく分かる。


「私、明日家族と浅草旅行行ってくるね」


 さっそく明日デートに誘おうと思った、そんな矢先だった。


「へえ。何で浅草?」

「知らないわよ。あ、ああ。浅草寺。浅草寺行きたいんだった」

「何だその今思いついたみたいな言い方」

「うるさいわね。蹴るわよ」

「はいはい。行ってらっしゃい」


 いつも通りの強気な春野。しかしこれで、明日は一日中暇になってしまった。


「ねえ。夏木だけ媚薬フェロモンが効かなかったのはさ」


 明日の計画をぼんやりと考えていると、春野が不意に口を開いた。


「夏木は既に狂おしいほど秋音のことが好きだったから。平常時からそんな状態だったから、媚薬フェロモンが効いてないように見えただけ。ということは無いでしょうね」


 そしてじろりと、春野は俺を睨んだ。


「そ、そ、そんな訳ないだろう」


 しまった。動揺して噛んでしまった。


「でも私見たのよね。力強く秋音を抱きしめて、クンクンと秋音の匂いを嗅いでいるのを」

「い、いやいや。匂いは嗅いでないから! 抱きしめたのだって、秋音を宥めるために必要なことだったし」

「でも夏木。あなた断言したよね。秋音のことが好きだって」

「あ、あれは幼馴染として、友達として好きって言っただけで……」


 なんて俺は言いながら、あの時のことを思い出す。


 秋音を抱きしめて、ふわりと鼻腔をくすぐった香り。


 女子高生の甘い香りを。

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