しだんのあめ

 マコーレーの屋敷の屋根の上で、ユハは巨鳥となった。

 手早く行ったわりに準備が上々のできであるのは、アララギが事前に用意をしていたからだ。その筋書きと材料をいただき実行するだけなので、特別難しいことでもない。

 アララギはリリュシューと共に今は玖那くなとカシーに拘束され、屋根のある外回廊の片隅に身を潜めている。

 雲や空を飛ぶ魔物で見えないが、月はすでに高い位置にまで上ってきていることだろう。

 月明かりがあまり望めないのは心許ない、というのは人間の話だ。夜目の利くユハには関係ないが、ローラムは目を細め、一つの目であちこち見回している。

 ローラムが手にしているのは、赤い早夏だ。火蜜かみつを撃たれたことで深王しんおうの力が弱まり、早夏を赤く毒づけるのに必要な量が増えてしまったが、おかげでそれ以上ローラムに無理をさせずに済むと思えば、不幸中の幸いだったのだろう。

 ユハは隣によじ登って来た臥朋がほうに気付き、くちばしをかちかちと鳴らした。臥朋もこくりと頷き、ローラムに進捗状況を報告する。

「親分殿。大部分の幽鬼どもは、ノジーらが深幽境に引きずって行きましたぞ」

 残っているのは人への残虐行為を止めない者、虫の息となった者と、ユハたちだけらしい。

 報告を受け、ローラムがぺこりと頭を下げる。

「ありがとう、臥朋。あとは撒くだけだね」

 礼を言い、ローラムはお守りのように手の中でいじくっていた早夏を樽へを戻す。たぷんと音がして、早夏は樽の中に満ちていた液体に浮かんだ。

 赤い早夏から絞り出した、赤い果汁。

 アララギから取り上げた樽いっぱいの早夏全てを赤くし、さらに絞り出した果汁はそのまま毒液となる。本人であるローラムと早夏の毒に耐性のあるユハ以外の幽鬼には、少量でも体内に取り込めば致命傷になりかねない。

 臥朋が樽には触らぬように数歩下がる。

「傷だらけで辛いかもしれないけど、頼むよ」

 ローラムがユハを見る――だらりとだらしなく下がった翼、所々肉が見えている羽の隙間、抉られたように裂けている足。ローラムだって同じようなものだ。

 たくさん怪我をしたが、自分の怪我よりもローラムが傷だらけであるほうが、よほど辛い。

 口に出して言う暇もなく、言おうとしても聞き流されてしまったが、無理だけはしてほしくないと思いながら、ユハはローラムが毒を作るためとは言え、血を流すところを見ていた。

 そのうえ、それを散布し魔物を追い出すために力を使わせるなんて、できやしない。

 必死に止めようとしたところでユハがローラムを止められるはずもなかったが、物は試しにやってみろというカシーの言葉に、ローラムは三彩羽さんさいばを振った。

 アララギを真似て。

 正統な深王の系統であるローラムなら、それだけで突風が起こる。

 ――実際は、自分の服すら揺れないほどの、微風であった。

 火蜜が程よく利いているのだ。自分ではどうにもできないとわかると、ローラムはそれまで頑固に粘っていた意見――自分が果汁を風で散布させるというやりかたを、あっさりと棄却した。

 ユハは大きく息を吸い込むと、ぴたりと止めた。こくりとローラムに頷く。

 ローラムが早夏の果汁を両手で掬い、臥朋にかからないよう屋根の外へ投げるように放つ。

 ユハが翼を羽ばたかせ、朱璽鬼しゅじきの特技でもって、果汁を吹き飛ばし周囲に降らせる。

 さながら、赤い雨を、死を、撃ち込んでいるようだった。

 

 

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