瓦と陸上クラーケン
都会に比べれば地方のちっぽけな歌劇場ではあるが、造りはしっかりとしており、そこそこの歴史も有している。
舞台で定期的に上演している劇団員ならば知っている隠し通路のほかに、正真正銘の秘密の隠し通路がさらにその地下に根を張るように広がっている。劇団が把握している隠し通路は舞台の裏側から客席の下を通り外へと抜けるものであり、今では舞台演出にさえ使われることもある。隠し通路と銘打ってはいるが、もはや公然の秘密であり、だからこそもう一つ隠し通路が作られているなど、ほとんどの者は疑わない。
その秘密を知る者は領主筋の何人かしかおらず、サヴィアンでさえそれこそ根のように四方へ広がる通路の全てを熟知しているわけではない。
バルコニーから引っ込んだサヴィアンは、足早にその秘密の隠し通路へと向かった。
エルトンの立場は今や、シャノンのせいで悪からただの間抜けへと変わってしまった。間抜けではとやかく言われることはあれど、その報いに死を、と望まれることはない。地下聖堂にいるエルトンを回収し、彼を使ってサヴィアン自身の反転しつつある印象をどうにか好転させなければ。
即座に首を刎ね飛ばさなかっただけ、現状はましか。
まだどうにかする余地がある。
「生ぬるい処理をするからだ。手伝ってやろうか」
男が通路ですれ違いざま、サヴィアンに声をかけた。かき上げた髪に黒い手袋をしている。全身黒い服に身を包んでいるのは、サヴィアンがシャノンとして地下聖堂へ棺を運び込んだ際の担ぎ手の一人だったからだ。
サヴィアンが足を止めて睨み付けると、男は肩を竦めた。
「おー怖いこわい。ボスに言いつけちゃうぞ」
「……そのボスについて行けなくて拗ねているのか。お前の相手をしてやるほど私は暇ではない」
男がふらりと壁際から離れ、足を踏み出す。サヴィアンの襟元を掴むと、それとは反対の手で自分の上着の内側に手を差し入れた。
――拳銃か。
容易く手に入る代物ではないが、金さえ積めば誰でも手にすることができる。
軍から旧式を払い下げられるものを手にするのが一番早く安上がりであるとされるが、この男は一般的な入手経路は使わない。この町に巣食う裏の組織の一つ、サルトリの一員であるからだ。
「ボスの顔も知らねえくせに粋がってんなよ。こっちゃー、てめえの面倒を見てやれと言われてんだ、ごちゃごちゃ余計なこと言うな。可愛がってやりたくなっちゃうだろ」
ぺろりと口の端を舐め、挑発的にサヴィアンを見る男の目は少しも穏やかではない。物騒な雰囲気の中黙っていると、男はサヴィアンに飽きたように手を離した。
この男に借りを作るのは癪だが、人前でノジーを使うわけにもいかない。そんなことをしてしまっては、魔物を操っているのがサヴィアンであると告白しているようなものだ。それこそこの騒動の元凶であると追及されてしまう。領主の私兵はまだサヴィアンでは自由に動かせない。今のサヴィアンにはサルトリ以外に寄る辺がなかった。
「手を貸してくれてもいいぞ」
「いちいち偉そうだな。割り増しでツケとくか」
サヴィアンは男を引き連れ、隠し通路へと降りた。
歌劇場から地下聖堂まで続く通路は、ほぼ一本道だ。歌劇場寄りに二か所ほど枝分かれしているところがあるが、そのどちらもが歌劇場へと通じており、歌劇場のどこに出るかという点でしか違いがない。
男を連れ、サヴィアンは最短の道を行く。
人工的に作られた道である。天然の通路よりも歩きやすいが、暗い。歌劇場へ来たときに置いておいたランタンを通路の入り口脇で拾い、明かりを灯す。
終始無言で列になって歩き、地下聖堂の開けた場所にやってきたとき、サヴィアンはようやく息苦しさから解放された心地がした。恐怖症ではないが、狭く暗い場所にあの男と二人きりというのは、あまりよい心地ではない。
サヴィアンは自分が安置した棺に近付いた。真新しい棺である上に、中央に堂々と置かれているのですぐにわかる。
棺の蓋を開け、サヴィアンは絶句した。
「おうおう。誰がいつこの中で寝ていいと言ったよ。だらしねえな。おら、起きろ」
横から覗き込んだ男がどこかおかしそうに言う。
棺の中には黒い服の男たちが三人、窮屈そうに押し込められていた。それぞれ口に紙を押し込まれ、後ろ手に手を縛られている。
「魔物が! 魔物が、リリュシューさん! 瓦を投げてくる魔物が来たんだ!」
一人が口から紙を除いてやるが早いか訴える。サヴィアンと共に歌劇場からやってきたリリュシューは「はあ?」と眉根を寄せた。
「魔物だと?」
「瓦がナイフみたいに飛んで来たんですよ! 全然当たらなかったんですけど、その間に手が後ろでくっついて、気づけば近寄ってきていたそいつに口に紙を押し込められて! 苦しかったっ。魔物以外にないでしょう、もう、本気で、怖かったんですよ!」
「顔は見たか?」
「いえ、はっきりとは。入り口から襲われて、気づいたら」
「口に紙を詰め込まれた時は?」
「それが目隠しされたんですよ。きっと手がまだほかにもあったんです! クラーケンだったんですよ! 陸上クラーケン!」
陸上クラーケンだったかはともかく、ほかの二人も同様に頷いている。誰もはっきりとした姿を見ていないらしい。
「……別のやつの手だろ。びくびくしてるからそうやって魔物だなんだと思うんだ。もう少しシャキッとしろ」
「そんな、俺たちだけじゃ……リリュシューさんが隣にずっといてくれたら」
「甘えんな。ここにはたくさん色白なやつがいるじゃねえか。健気にもずっと一緒にいてくれるぜ。仲間に入って来いよ」
リリュシューが意味ありげに聖堂内を見回す。地下聖堂は納骨堂でもあるのだ。
「うげえ。やめてくださいよ、リリュシューさん。俺もうおっかなくって。本当ならこの仕事だって嫌だったんですよ、でもどうしてもリリュシューさんがやってほしいって言うから」
「おう、言ったなあ。顔に傷のないやつはお前らくらいだからな。領主さんのお供が物騒な面してちゃまずいだろ」
そうですけど、と言いながら男はほかの仲間に手を伸ばす。リリュシューもサヴィアンもほかの仲間を助けようとしないので、男は自分がやるしかないと判断したらしい。残り二人の拘束を解き口から紙を取り除いてやったところで、男は大声でリリュシューを呼んだ。
「見てくださいこれ! これ、ただの紙じゃなくて、花ですよ! 紙でできた花! 芸術家魔物だったんですよ!」
一度口の中に押し込められていたものである。男の手を掴んで紙の花を子細にあらゆる方角から見分するリリュシューの隣で、サヴィアンはそれを見た。
この町にも造花はあるにはあるが、紙ではなく布で作ることがほとんどで、紙で作られたものは主流ではない。子どもの遊びの一つである折り紙とは比べようもない出来である。
ここにあるのは涎を吸ってへたり、丸められてしまったことでぐちゃぐちゃになってしまっているが、本来ならば商品としても価値が出そうな代物だ。
「ま、今はこんなもんよりこの中にいたやつだ。なあ? どこ行ったんだろうな?」
リリュシューがサヴィアンを見る。意地悪い笑みを浮かべているのはいつものことだ。リリュシューはサヴィアンがしくじるところを見るのが楽しくて仕方がないらしい。サルトリの幹部でなければ、付き合いたくもない相手だ。
棺の中にいたはずのエルトンがいないのは、見張りを襲った者の仕業だろう。外から鍵をかけておいたのだから、エルトンが自力で脱出できるはずがない。見張りの話からすると少なくとも二人はいないとできない所業だ。
「シャノンか」
自分の邪魔をして得をする者はシャノン以外にはいない。見せつけるように掲げた指輪は、領主の印だろう。鬼子が傍らにいたということがその証拠だ。どのような手を使ったのか彼を懐柔し、指輪を回収したのだ。
裏の組織であるサルトリと手を組んだサヴィアンには、サルトリを通じて裏の情報が流れてくる。今のところシャノンと懇意にしている組織の話は聞いていない。念のため確認をすれば、リリュシューも肯定した。
主だった有能な人材はすでにサヴィアンの手中にある。靡かなかった者は密かに町から追放し、あるいは捕らえている。シャノンに手を貸すような者は屋敷にいるメイドくらいのものだが、シャノンと特に仲が良かったメイドはすでにシャノンとして死を遂げている。今ではもう偽物とばれてしまったが、彼女は実によく似た髪をしていた。
シャノンは今度は、誰を味方に引き入れたのだろう。
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