第25話 その頃、町では 4


 ミランは使用人である少女を探していた。


「ロシェ」


中庭に面している作業場で、魔鳥の羽をむしっていた姉妹を見つける。


「あ、はい。 地主様」


ミランは黒い髪と褐色の肌をした大柄な男性だ。


若いが、由緒あるサーヴの町の旧地区の大地主である。


「何度も言ってるが、地主様じゃなくてミランでいい。


今晩、屋敷で打ち合わせがある。 酒とつまみの用意を頼む」


「はい、ミラン様。 かしこまりました」


丁寧に礼をして台所に向かう姉妹を見送る。


「ああ、若様、こちらでしたか」


隣のウザスの港町へ買い物に出ていた使用人の老夫婦が、戻ったと挨拶に来た。




「どうだった」


ミランと執事夫婦は仕事用の書斎へと移る。


「ええ、それが」


夫婦は少しためらいがちに顔を見合わせる。


 痩せた老人の執事ロイドが意を決して言葉を続けた。


「ネスさんのことは、やはりウザスでも評判になっております」


ウザス領主に一泡吹かせるような優秀な地主の片腕の青年がいる。


祭りで空に花を咲かせるような凄腕の魔術師でもある。


今まで扱いに困っていた不法就労の亜人たちまで、ごっそりとサーヴにもっていかれた。


「ウザスは平和になったかと思えば、安い賃金で働いてくれる者がいなくなったと困っておりました」


「ふんっ、散々邪魔者だと言って酷い扱いをしてたくせに」


「それもすべてサーヴの魔術師のせいだと」


ロイドの妻であるハンナも、勝手な言い分には顔を顰めていた。




 サーヴの町では新しい鉱山が二つも稼働を始めている。


人手はいくらあっても足りない。


しかも人族以外でも同じように食事や宿舎、給料がもらえるとあって、多くの亜人がサーヴに移住した。


「新地区の空き館を多くの方が改装して宿舎にしてくださったお陰です」


サーヴには昔から少数だが貴族がいる。


王都やウザスといった大きな町には住めない下級の貴族たちだ。


生活にも困っていた彼らにミランが資金援助を申し出て、鉱山で働く者たちの宿舎や食堂といった施設を増やしていった。




 同じようにいつも食堂でたむろしていた若い猟師や兵士たちも忙しく働いている。


鉱山で働くガタイのいい男性たちは、亜人の他に罪人なども多い。


町の治安を守るための警備に雇われたのである。


「やはり峠の隊長さんは人望がおありですね」


ロイドは、最近国の国境警備兵から引退し、ミランの私兵になったトニオを買っている。


息子であるトニーだけでなく、浮浪児たちや、仕事にあぶれていた若者たちもまとめて鍛え直してくれた。


「この町は安泰でございますね」


子供のころから面倒を見てもらっている老夫婦の言葉に、ミランは少し顔を背けた。


「そうだな。 あの魔術師がいれば、だがな」


隣の国との境にある砂漠を越え、訳アリの魔術師は未だエルフの森から戻らない。




 夜になって地主屋敷にボツボツと人が集まって来た。


煉瓦職人や木工屋など、数人の職人たちだ。


「わざわざすまん。 実はネスの提案で公衆浴場というものを造ることになった」


ザワザワと顔を見合わせる職人たちにとっては、そもそも浴場といえば水をかぶるだけの場所だ。


お湯に浸かるという習慣が無い。


「知らない者も多いと聞く。 小さいが我が屋敷にある浴室を参考に見てくれ」


サーラという名の女性使用人が案内をして、地主屋敷の別棟へ案内する。


ほとんど大きな木箱のように作られている部屋。


木造の浴槽にお湯が溢れるほど溜まり、暖かな湯気が白く立ち昇っていた。


「ほおお、これが浴室というものか」


「身体を清潔にするだけでなく、ご病人や力仕事で疲れた方を癒したりするそうです」


職人たちは代わる代わる中に入り、壁を触ったり、湯船に手を入れたりして調べている。




「これの大きいのを造るのか」


若い大工職人が唸った。


「ああ。 だがお前なら出来るさ」


町の木工屋主人は、腕の良い若い大工職人の背中を叩く。


「建物自体は普通の家と同じだろ」


「おい、親父さん。 ただの家じゃねえぞ」


背の高い煉瓦職人が口を挟む。


「壁や天井に湯気を逃がす仕掛けがいる、床は排水。 木材自体もかなり限定されるだろ」


ネスから発注を受けているこの煉瓦職人のデザは、床に使う防水の煉瓦を製作中だ。


「まあ、そこはあの魔術師様が何とかしてくれるさ」


がっはっはと大声で笑う木工屋の主人と共に会議用の部屋へと戻る。




 職人たちが部屋に戻ると大きな紙が広げられていた。


「ネスがそこにいる煉瓦職人と一緒に描いた図面だ。


一度に入れる人数はだいたい5人から7人を予定している」


ネスは入浴する人数は時間を指定して入れ替えればいいと提案していた。


「家族か、もしくは仕事帰りに仲間と入るという想定だ」


浴室は、一つしか造らない予定である。


「大丈夫なんですか、そんなんで」


デザはこんな風呂に入ったことはないが、鉱山関係者とか町には労働者が増えている。


彼らが入るとなると狭いだろう。


「俺としちゃあ、当分は旧地区の住民専用にするつもりだ」


ミランは新地区の者たちが入りたいと言って来たら「そっちで造れ」と言うつもりだ。




「どっちにしろ、完成しなきゃ意味はない」


ミランは職人たちの顔を見回す。


「これはネスが熱望してたことだ。


あいつが帰って来た時に驚かせてやりたい」


ニヤリといたずらっ子の顔で笑う。


職人たちも同じように笑みを浮かべ、ワイワイと騒ぐ。


「ふ、こっちはいつも驚かされてばかりですからな。


わしらだってネスさんをびっくりさせてやりますよ」


木工屋の主人が職人たちの中心となって請け負い、契約書が作成された。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ソグさん」


トカゲ族の亜人であるソグの家は、サーヴの町の旧地区の畑の近くにある。


夕食後、家の外に椅子を出し、月を眺めながら酒を飲んでいた。


「どうした?、カシン。 エランは見回りか」


ソグの家の隣には、父子で住む獣人がいる。


息子のカシンはまだ十四歳。 狼犬の獣人だ。


「はい。 今日は一人です」


そう言ってソグの隣、地面に腰を下ろす。


カシンは父親である黒狼の獣人のエランと体格はほぼ変わらない。


「ソグさんはネスさんのこと、どう思っていますか?」


真っすぐな少年獣人の眼に、ソグは眩しさを感じる。


「我ら亜人を差別しない、面白い御仁だと思っておるよ」


カシンはフンフンと鼻を動かす。


「僕は信用出来ないっていうか、何だか怖いんです」


「母親を攫った者と同じ人族だからか?」


カシンはぐっと唇を結ぶ。




 カシンは今でも時々悪夢を見る。


幼い自分とやさしい母。 手を繋いで歩いていた港町。


その手が突然消える。


「母さーん!、母ーさーんー」


父であるエランが駆け付けた時には血まみれの息子だけが残されていた。


 あれからカシンは親子連れを見るのが辛くなった。


「だけど、この町で色んな子供たちを見て、自分はまだ幸せなんだと気づきました」


教会には自分より幼いのに、親と死に別れたり、捨てられた子もいる。


そして、その目の前には仲良く過ごす親子もいるのだ。


「誰も他の親子をうらやんだりしないんですね」


いつもニコニコと笑う彼らの幸せはどこにあるんだろう。


「人族は不思議ですね」


獣人のカシンにはよく分からないことだらけだ。


ソグはうれしそうに、成長した若い獣人の頭をぐらんぐらんと撫でた。


うろこに覆われた顔の表情は分かりにくかったが。


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