第16話 その頃、某国では 1
森の中にある質素だが広い館。
そこは魔術師の手によって念入りに隠された場所であった。
「姫様、おはようございます」
「おはよう、ルーシア。
私はもう姫ではないわ。 子供のころのようにリーアと呼んで」
姫と呼ばれた女性は寝台から起き上がりながら、幼馴染である魔術師の女性に微笑んだ。
金色の髪の魔術師は苦笑を浮かべる。
「いえ、私には姫様はいつまでも姫様ですわ」
彼女が忠誠を誓った相手はこの姫以外にいない。
年下だが子供のころから聡明で国を思う気持ちの強い姫だった。
魔術師の女性は彼女の側近になれたことを誇らしく思っている。
手早く用意を済ませ、二人は部屋を出て行く。
この館には必要最低限の使用人しかいない。
元・姫であっても、食事の支度も含め家事のすべてを手伝う。
この館に来る前は何も経験したことのない白い柔らかな手は、今は手荒れに悩まされている。
「姫様、お手を」
毎回、魔術師であるルーシアがその手を癒す。
「ありがとう。 でも情けないわね、庶民の生活も出来ないなんて」
暗い顔でため息を吐く。
「フェリア姫様」
姉のように慕う幼馴染まで暗い顔になってしまい、フェリアは慌てる。
「ごめんなさい。 こんなことで音をあげるなんて」
明るく笑う女性の顔は、半分が青黒い痣で占められていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
海に囲まれた島国の一つ。
その一番大きな町にある、悪趣味なほど飾り立てた屋敷。
大きな部屋の中で筋肉質の男性にしなだれかかる女性。
「次の女性はまだですの?」
その男性は口元を歪めて女性の身体を抱き寄せると、宥めるように背中をさする。
「まあ、もう少し待て。
どうせあの国は大きいだけで中身は空っぽだ。 俺の要求を拒めはしないさ」
赤銅色の肌は傷だらけだが、それは海の男の勲章のようなものだ。
肩の下まである黒い髪を乱暴に掻き上げ、赤い瞳が不敵に笑う。
歴戦の勇者。 命知らずの海の男。
そんな言葉で祭り上げられ、まだ三十代後半のその男性は周辺の島国の代表となった。
長老たちが邪魔臭いことをすべてこの男性に押し付けたともいう。
そのため、勝手に他国に対し戦など起こさないのであれば、多少の乱暴くらいは大目に見てもらえるのだ。
彼は気に入った女性はすべて屋敷に留まらせ、側に置きたがった。
それが彼の趣味の一つだったのである。
数ヶ月前の出来事である。
その女性はこの町の海岸に打ち上げられた漂流者だった。
代表の男性はその妖艶な姿を見て、一目で惚れてしまう。
「お前のためなら何でもしよう」
褐色の肌に白い髪をした女性は、代表である男性の一番のお気に入りになった。
「うふふ、苦労を知らない女の泣き叫ぶ姿が見たいわ」
女性が邪な願望を囁く。
「ふむ」
代表はどこかの富豪の娘でも攫って来るかと思ったが、そういう家はたいてい大国との繋がりがある。
「どこかに金に困っている貴族や商家はないか」
この島国は名産の香辛料や薬草のお陰で裕福である。
戦にならぬように金や脅しで合法的に女性を攫ってくることは出来ないものか。
部下に訊いてみると、意外な返事が返って来た。
「へえ。 では、デリークトの『呪われた姫』はどうでしょ。
顔は痣で醜いらしいですが、品はいいし、気位は高いようですぜ」
白い髪をした女性がニンマリと笑う。
「そうね。 相手が美人だとあなたが惚れてしまうわ。 それは嫌よ」
「ならば決定だな」
女性の甘い言葉に鼻の下を伸ばして承諾した。
代表の部下は頷き、さっそくデリークトへと使者を送る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
デリークト公国の中心にある港町。
その町の豪華な宮殿に公爵の一家が住んでいる。
両親と娘とその夫。
傍から見れば幸せな一家の姿であるが、そこにはもう一人の姫の姿が無かった。
第二子でありながら次期公爵になることが決まっている妹姫は公女と呼ばれている。
彼女の夫はこの国の宰相の息子で、小さい頃から婚約者として、この国の政治を支える教育を受けた。
跡継ぎの男子に恵まれなかった公爵は娘の夫に彼を迎え、後を任せることを決めていたのである。
それは現在の公爵もそういう経緯でこの地位に就いたからだ。
しかし長子であるフェリア姫は顔に大きな痣を持っていた。
フェリア姫は幼い頃からあまり外にも出ず、婚約も辞退している。
そのため、妹姫が彼を婿にすることで後継者となることが決定した。
そして、婚礼の日が近づき、姉姫は公宮を去ったのである。
婚礼の日。 祝典の最中、公爵に南方諸島連合からの親書が渡された。
「フェリア姫を妻にしたいだと」
隣国の代表の噂は公国の者ならば誰でも知っている。
乱暴者で多くの女性を無理矢理攫って来て囲っているという。
断れば、そんな粗暴な者がどう出るか分からない。
「閣下。 幸運にもフェリア姫様は未だ独り身でございます。 何の問題もないかと」
会議の席で国民の代表である多くの貴族たちからの声に、公爵は反論出来なかった。
確かに多くの貴族たちが言うように、大事な大国の姫を乱暴に扱うことはないかも知れない。
多くいる妻の一人だとしても、何不自由ない暮らしが出来るのかも知れない。
「父上様。 私はやはり反対です」
そんな父親の甘い考えに、妹姫は娘として断固、反対した。
「南方諸島連合は大事な交易相手だ。 これは仕方がないことなのだよ」
身分のある血筋の者たちの政略結婚など、ごく普通である。
「それでも、あんな国に姉上を差し出すなんて」
妹姫は父親よりも多少隣国の情報に詳しかった。
「次々と妻を迎えて、その後、彼女たちがどうなったか分からないのですよ!」
あの代表が連れて歩く妻は常に一人か二人。
その他の妻たちの姿を誰も見たことがないというのだ。
公爵妃である母親は白い手で顔を覆った。
フェリア姫の母親である彼女にも痣はあった
ただ、自分の娘のように人目に見える場所ではなかっただけ。
「痣は公爵として、国の民への呪いを我が一族が一身に受けているという証でもある」
その昔、この国のある一部の者たちがエルフの村を襲った。
その報復で公爵一族に呪いが降りかかったと言い伝えられている。
それ故、その痣は公爵家の誇りでもあった。
「でも、最近ではそれを忘れている国民もいます!」
本来ならば痣は公爵家の跡継ぎを意味する。 しかし妹姫である公女には痣はない。
それを奇跡だと言って一番喜んでくれたのは姉姫だった。
「姉上を『呪われた姫』だなんて、酷いわ」
涙を浮かべ、悔しそうに顔を歪めた妹姫。
「あれは反対派の貴族による扇動だ。 お前たちが気に病むことではない」
父親が宥めても彼女は首を横に振るばかりだ。
「私が代わって差し上げられたら良かったのに」
ポツリと呟く彼女の肩を、夫である若い宰相候補がそっと抱き締める。
公宮の一室に戻り、若い公女とその夫が話し合っている。
「せめて、あの呪いを解く方法はないのでしょうか」
「姫様、フェリア様には高名な騎士アキレー様と魔術師ルーシア様が付いております」
幼い頃からの婚約者故に、どうしても名前で呼ぶことが出来ない夫に、若い妻は苦笑する。
「そうですね。 あのお二人ならば何とか婚礼までに、姉様を連れて逃げてくれるでしょう」
しかし、それはフェリア姫本人の意志によって叶わぬ願いに終わったことを、彼女はまだ知らない。
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