第5話 彼女がいた頃

「妙とはその後、連絡とってる? 元気?」

「妙ね、結局、短大に行ったの」

「……そうなんだ」

 妙は小さくていつも一生懸命な子だった。相変わらず高校時代にもぼんやりしていた僕に告白してきたのは妙で、僕は自分が「リア充」であることを不思議に感じていた。

 女の子はみんな、北澤みたいなタイプが好きだと思ってたから、本当に驚きだった。

 三年になって付き合い始めた僕らは、僕らしくプラトニックなままでいたにも関わらず、妙の成績は転がり落ちるように悪くなっていった。かわいそうに、本人も暗い顔をするようになり目も当てられないほど成績が落ちた時、僕は別れを切り出した。

 嫌いになったわけではなかった。

 小さい彼女が日に日に小さくなっていくのを見るのが辛かった。僕のせいじゃないかと思ったのは自意識過剰じゃないかと思ったりした。

 妙は頷いた。

 ゲームオーバー。

 これ以上、彼女に近づくのはいけないと思った。運良く、僕と彼女のクラスは離れていた。

「でもね、西くんのせいじゃないよ。悲しくならないで」

「どうして?」

 どうしてそう言い切れるんだろう?

「妙ががんばりきれなかったのは、妙の弱さだと思うの」

「友達だろう?」

「そう。だから言える。あの頃、西くんの話もすごくたくさんしたんだよ。だからこそ言えるの。西くんはやさしい人だよね?」

 今の文脈から結論がそうなる理由がわからなかった。だけど南野さんの言葉は「確か」だというように力強かった。

 逆光になった南野さんはにっこりと笑う。

「次のコマ、空いてる?」

「ごめん、次は必修なんだ」

「そう。じゃあ今度、お互いに都合のいい時によかったらお茶しない?」

「うん、いいよ」

 東さんとの不思議なコーヒータイムが頭をよぎった。それはついさっきのことだったのに、なぜか遠い昔の出来事のようだった。

 僕たちはお互いの連絡先を一応交換しようと、QRコードを見せた。


 必修の時間、僕の隣にサッと北澤が座った。いつも一緒にいる、楽しそうな連中は置いてきたようだった。僕の隣に北澤がいたらいけないということはない。

「弓乃に引きずり回されてるんだって? あいつ、強引でしょう?」

「自分の彼女が他の男と一緒にいるなんて嫌だと思わないの? それに、まだ二回だけだよ」

「…………」

 ちょっと長い沈黙がそこにはあった。

「ごめん。そういう噂聞いたからカマかけた。そっか、二回か」

「北澤が講義受けてる間に暇だからって」

「わかってる。弓乃が言ったんだろう? 西はそういうこと言い出すタイプじゃないし」

 そういうことを言い出すタイプじゃない僕が、この前はプランを組んで彼女を翻弄したとはとても言えない。北澤にとって僕は、落ち着いていて、大人しく、無害なタイプなんだ。

「弓乃は破天荒すぎんだよ。付き合ってて疲れる」

「……ベタ惚れだろう?」

「そう見えるかな? なんか恥ずかしいな」

 この男の照れた顔なんて見たこともなかった。いつも女の子に目を向けて、余裕でやさしく微笑んでる。それ以外に北澤のイメージがない。欠落している。

 ずっと友達だったのに、こいつのイメージが薄っぺらく見えるというのはどうしてなんだろう?

 高校から始まってもう丸三年も同じクラスなのに。

「東さんが一筋縄じゃいかないことはよくわかったよ」

「そうだろう、弓乃に関わるとろくなことないぞ」

 その言葉は、まるで呪いの言葉のようだった。

 東さんはこの時間、どこで何をしているんだろう? 講義を受けてるんだろうか? それともまた……。

「どうした?」

「トイレ」

 嘘をついてしまった。急がなければならない。必修の単位は落とさずに取らないと自分が困る。

 いないことを確かめればいいんだ。

 そこにいないことだけを見て取れればいいんだ。

 ……いた。

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、……。

 肩で息をする。さぁ、困ったぞ。ここから先のプランがない。

「西くん!」

 飛びついてきそうな勢いだった。僕はそっと体を逸らしてそれを回避した。ハグされてどうする。相手は友達の彼女だ。

 しかし、三年間の付き合いの中で、北澤の何人目の彼女なのかは忘れた。長続きしないタイプなんだな、と今さら思う。

「東さん、講義は?」

「休講~」

 ふう、と息をつく。

「悪いけど、東さんが休講だからって、僕たちも休講とは限らないんだよ。日差しも強くなってきたし、こんなところにいないで涼しいところへ行ったら?」

「ほら、日傘」

「…………」

 メリー・ポピンズか?

「ワガママ言わないで移動してよ。そうでないと」

「肌? 日焼けが気になるの?」

 僕の心臓がいつまでも君の心配をしてしまうと。口には出さないけど、つまりはそういうことだ。察してほしい。

「オーケー。西くんにそんな顔させるくらいなら、生協で買わない雑誌でもめくってる。……嘘。コーヒーラウンジで読むような本を探してくる。だから来週の水曜日の三限、空けておいて。いつも通りここで待ってる」

 日傘をくるくる回しながら去っていく東さんの背中を見送って、講義室に戻る。もうとっくに教授は来ていて、遅刻だよ、と注意を受ける。

「こいつトイレで」

と北澤から思ってもみなかったフォローが入る。ありがとう、と言う前に、さっきまで東さんと話していたことはとても言えないと思った。

 ……最近、思ったり考えたりすることばかりだ。

 それを望んでるわけでは決してないのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る