Chapter 2 Ignite ④

 指定された時刻の五分前には既に招集のかかった要員がぞろぞろとブリーフィングルームの席につき始めていた。

 集合をかけられたのは一係〈フェンリルチーム〉と二係〈サーベラスチーム〉。一チームにつき二つの長机を使用し、一つの長机に二人が座る。

 浅黒い肌に筋肉の鎧を纏った巨漢がいた。剃り上げた頭が部屋の灯りに煌めく。コールサイン〈サーベラス1〉、〈サーベラスチーム〉のリーダーである村木三四郎である。その隣にはコールサイン〈サーベラス2〉の辛島が着席している。

 その隣の長机では〈サーベラス3〉である夕夜が欠伸を浮かべており、傍には〈サーベラス4〉の美月の姿があった。

 そして一ブロック離れた場所には〈フェンリルチーム〉の面々の姿がある。

 〈フェンリルチーム〉のリーダー、コールサイン〈フェンリル1〉の三条貴教。シマダ武装警備は服装自由ではあるが、この面々の中で唯一グレーのスーツを着込んでおりネクタイも締めている。

 隣には〈フェンリル4〉、まだまだ珍しい戦闘プロパイダに入社するまでに何らかの組織に属したことのない『新卒傭兵』と呼ばれる新人の千葉紫舟の姿がある。

 背後の席では〈フェンリル2〉の楔キリカと〈フェンリル3〉林葵が未だにプールで濡れた髪をバスタオルで拭いている。

 ブリーフィングルームの前方では〈サーベラスチーム〉のオペレーターを務めるコールサイン〈カラード〉の守口佐和子がホロスクリーンのセッティングを行っており、端末からスクリーンへの映像表示が正常に行われているかテストを行っていた。

 時間になると同時に四人のスーツ姿の人物が姿を現した。その内一人は電動車椅子に乗って移動していた。

「へぇ、役員達がお揃いとはこれまた」とキリカが零す。

 最初に入ってきた男、羽田司が肩まで伸びている長い髪をなびかせながらホロスクリーン脇の席につく。

 その後ろには生々しい傷痕のある相貌の偉丈夫、シマダ武装警備の戦闘業務における最高責任者であり戦術顧問として指揮官を務める久槻響也の姿があった。

 そしてスーツに鋭い目を眼鏡で覆った女、最高総務責任者である樺地冴子が続く。

 その後ろには青白い禿頭に明らかに鍛えられているとは程遠い痩せぎすをスーツ姿の男、最高マーケティング責任者を務める田淵信次郎が入る。その姿を見てキリカが舌打ちをし、葵も「あれ? なんであいつが」と疑問を呟いた。

 最後に電動車椅子に乗った若い女、雪村朝海が席につくと、久槻がマイクを手に取りブリーフィングの開始を告げた。

「急で申し訳ない。これよりブリーフィングを始める」

「急じゃないミッションなんかあったか?」とキリカが口を挟む。

「茶化すな、楔」と三条がたしなめる。

 久槻が咳払いを一つ挟んで言葉を続ける。

「今回の任務は長距離狙撃による『暗殺業務(ウェットタスク)』となる。日時は五日後。場所は千葉県船橋市三番瀬海浜公園」

 久槻の進行に合わせるように、守口が端末を操作してホロスクリーンの表示を進めていく。ホロスクリーンには日時と関東一体の地図が表示され、次に千葉県西部へとフォーカスされる。千葉県船橋市、江戸川区と浦安市にほど近い埋立地に光点が表示され明滅する。

『ウェットタスク』、傭兵の間での暗殺任務を意味する隠語である。

 久槻が口にした『長距離狙撃』という言葉にその場にいた者全員が美月に一瞬、視線を向ける。

「ターゲットの名は『浜村大助』四十四歳」

 ホロスクリーンに中年の男の顔が投影される。その顔と名前にその場にいたほぼ全員が既に知見を持っているようだった。その中でも夕夜が「こいつか……」と呟く。

「みんな既にこの男がどういう人物か知っているようだね。話が早くなって助かるよ」と羽田が言葉を挟む。

「とんだクソ野郎ですよ。殺されて当然だ」

 そう言って夕夜は前に立つ雪村朝海を見る。朝海もそれに苦笑いで応える。

 二〇三〇年代初頭、ナノマシン薬害と呼ばれる大量の医療事故が発生した。

 二〇二〇年代末に勃興したナノマシン技術を実用化する研究が北欧を中心として開始された。無論、日本もこれに追従。

 この時、日本にはある思惑があった。当時の日本は世界中から非難の的とされていた。理由は台湾独立戦争から端を発する兵器の製造と輸出、そしてコンバットコントラクターと呼ばれる傭兵の派遣といった戦闘プロパイダの隆盛にある。日本としてはこのような非難を真面目に耳に入れることはなかったが、また同時にに新たな産業分野の開拓は当面の急務とされていた。

 当時の日本国内総生産の底上げは戦闘産業と兵器輸出によるものであり、これが国際世論の批判の的となっていた。それらに代わる新たな産業と技術としてナノマシンの研究が行われていた。

 主に工業用を目的として実用化されはじめたナノマシンだったが、日本国内においてはこれを医療用の治療薬として用いる計画が立ち上がる。不治の病をも完治させる万能薬としての謳い文句で始まった医療用ナノマシンの実用化計画。医療用ナノマシンの実用化は、難病患者を対象とした臨床治験という形で行われた。この時、選ばれた様々な症状を持つ患者は述べ三百人。

 国も患者も新たな希望を胸に抱いて行われた大規模臨床治験は、ナノマシンの不具合による未曾有の戦後最大の大量医療事故という結果に終わる。

 三百人の患者の内、百九十八人はその場で即死。ナノマシンの除去治療治療は行われたものの、既に体組織内に浸透したナノマシンを完全に除去することは不可能であり、予後不良で一年以内に三十五人が死亡した。その後、十年間で体内の残存ナノマシンの不具合が原因と思われる病で十五人が死亡。現在は五十人の患者が生存している。

 なお、この内一名のみが消息不明となっている。

 生き残った五十人の病は確かにナノマシンによる効能によって完治させることができた。だが代償として、後遺症に悩まされることになる。働き過ぎたナノマシンは宿主の病を治癒したが、それとはまた別の身体機能の不全を引き起こした。

 さらに残存ナノマシンの多くは脳へ到達すると、神経組織へ干渉を開始した。宿主が二度と病という弱点を持たないのように、ナノマシンは身体機能の強化を行った。常人よりも優れた思考能力と情報処理能力、あるいは尋常の領域を超えた身体能力や超感覚。だがそのようなものは患者自身でコントロールできるものではなく、外界の刺激に過敏となりストレスを蓄積させていく。

 またそのような超感覚の原因となっているナノマシンがまだ自分の体内に居座っているということも、被害者達に多大な心的負荷をもたらしている。

 無論、被害者とその家族はこの結果に対し国と製薬会社を提訴。しかしながら対する国もどういうわけか、これに対し反訴。これ以降、現在まで泥沼の訴訟が続くことになる。

 一説によれば、当時の厚労大臣であった二階堂康稔(にかいどうやすとし)が功を焦り、ナノマシンに不具合があったという事実を認識していたにも拘らず、治験を強行したという話がある。国が反訴した理由がここにあるともされていた。

 そして現政権、国家の運営者たちを礼賛する者は、被害者の国への提訴を国家に対する反逆とみなしていた。

 浜村大助もその現政権の礼賛者の一人であり、今も後遺症に苦しんでいる被害者たちの心情を公然と踏みにじって憚らなかい日本人の中の一人だった。また彼に扇動された者たちが被害者とその家族、そして被害者の後遺症を診る医療法人に大小問わない執拗な嫌がらせを行っていた。

「その浜村を中心とした団体が千葉県船橋市の三番瀬海浜公園で集会を行う」

「団体ね……」

 ここ数年、医療用ナノマシン薬害被害者に対するヘイトスピーチは一線を超えたと言ってもよい程に沸騰しており、「他人より優れているくせに国から金をがめろうとするのか」と非難の的となっていた。このような有象無象の暴言と妄言は誤った認識でしかない。医療用ナノマシンの不具合と暴走によってもたらされた超感覚は外界の刺激に対して多大なストレスをもたらし、後遺症に苦しむ被害者であるナノマシンユーザー達をさらに苦痛に追い込む要因になっている。

 無論、そのようにエビデンスを懇切丁寧に説明したところで、ヘイトスピーチを公然と行って憚らない連中が聞く耳を持つわけがなかった。

 医療用ナノマシン暴走事故の生存者は後遺症と超感覚だけでなく、世間の目という日本古来から連綿と続く宗教、あるいは魔女狩りに苦しまされていた。

 そのような被害者に対する言われもない非難がついに実害を及ぼした。

 生き残っていた被害者の一人が浜村がアジテートによって追い詰められ、そして自殺に至った。

 今回のウェットタスクの依頼者はナノマシン薬害の被害者の後遺症を診るいくつかの医療法人社団だった。

「ミッション内容は至ってシンプルだ。演説中に頃合いを見て浜村を狙撃、殺害後撤収だ」

 久槻の言葉を合図にホロスクリーンに浜村の公式ウェブサイトと三番瀬海浜公園の3Dマップが表示される。ウェブサイトには当日の演説予定地が記されており、その位置が3Dマップと合せられる。

「声のでかい馬鹿を黙らせりゃ、取り巻きも大人しくなる……か」と三条。

「サンドバックが反撃してくれば、他人を攻撃するしか能のない連中も少しは黙るものだしね」と葵が言葉を続ける。

「敵戦力は?」

 村木が挙手して質問する。

「質問が後にしろ」

 ここで田淵が言葉を挟んでくる。だがその場にいた全員田淵を睨みつけた。舌打ちをする者もいれば、キリカなど「あ?」と不快感を露わにした。羽田も「いいよ、続けて」と村木を促す。

「現在までに手に入れた情報だと浜村の護衛には『西村セキュリティサービス』が就いている」

「なんだ、雑魚じゃねえか。あいつらまだ看板畳んでなかったのか」

 キリカがからからと嘲笑う。

「それに狙撃による暗殺なら、二チームも動員する必要あるの?」

 葵が疑問を呈する。

「私もその疑問ももっともだと思う。第一コストの面からも無駄だろう」

 田淵も葵の質問に便乗する。「さっき質問は後にしろっつったのは誰だよ」とキリカがぼそりと零す。

「確かにその疑問は最もだ。ターゲット一人を狙撃するだけなら、そこの影山をスナイパーとしてスポッターをもう一人、バックアップ要員を二人ほどの一チームを送れば済むだけの話だが昨今のケースを思い出せ」

「そういうこと……」

 美月も言われて確かにと腑に落ちるものがあった。一方の田淵は「しかしそれではコストが……」とまだ不満を垂れている。隣に坐っている樺地が舌打ちをすると、ようやく大人しく黙りこくる。

 ここ最近の強襲機動課の任務において妨害に現れる同業者が現れている。それも見計らったかのような最悪のタイミングで、ほぼ毎回であった。

 その妨害者がその時相手にしている敵勢力あるいは接点のある者達であるなら、まだ理解はできた。だが不可解なことに、実際に現れた妨害勢力は得てしてほぼ無関係の勢力であった。

 情報漏洩の可能性を疑う必要があった。現在、情報処理業務の主任を務めている朝海を中心に対応チームが編成され調査を行っているが、その下手人の尻尾を未だに掴めずにいる。

「あとはまぁ、親会社が新型DAEの運用データを欲しがってるからだな」

 樺地冴子が言葉を挟む。

 二係〈サーベラスチーム〉の運用目的の一つに『新型DAEの試験運用』も兼ねられている。より多くのデータの収集には確かに稼働時間は増やしたほうが好ましい。また同業者からの妨害に対する戦力増強になる。

 よって今回の任務は〈サーベラスチーム〉から美月を中心に選出した狙撃班が浜村を暗殺、狙撃体制に入っている美月を同チームメンバーが護衛し、狙撃後は彼女を引き連れ撤収という手筈になる。一係〈フェンリルチーム〉はそのカバーを務める。

 その後は詳細な作戦開始日時、狙撃地点の候補、撤収の段取りなどがつつがなく説明された。その間、田淵は全く口を挟むことは無かった。使用する武器弾薬、戦術など理解できるものではなかったし、彼に気にする所などコスト以外何も無かった。

「以上だ。質問はあるか?」

 皆、何も言わない。説明の合間合間に質問が挟まれていたので、既に知りたいことは知り得ている。その沈黙を質問無しと久槻は見なした。

「では、以上でブリーフィングを終了する。新たに質問があれば随時受け付ける。解散」

 皆が立ち上がり、ぞろぞろと部屋を後にしていく。その姿を田淵は不快感を露わにした目で見送っていた。

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