『復讐勇者』の異世界紀譚

コントローラーの中の人

陽炎

 ―彼を知る者は皆、彼のことを『いじめの天才』と呼ぶ。






 幼少期、彼は所謂“ガキ大将”と呼ばれる存在を中心とする集団に差別の標的とされていた。

 給食にはいつも唾を吐きかけられ、運動会の際には体操服を汚され、卒業式の時には卒業証書を破られかけたこともあった。


 この出来事をきっかけに、まだ幼い彼の心には“いじめ”という概念が心からの恐怖として植え付けられた。






 少年期、中学生となった彼の身にはいじめがいつも纏わりついてきた。

 中学となったことで益々エスカレートするいじめは、幼少期のものとは比べ物にならない程に苛烈なものとなっていった。

 カツアゲ、暴行、脅迫、迫害、その他諸々。


 彼の中学生活は、その心を閉ざすのには十分過ぎる心傷を負わせた。






 青年期、彼は高校に入学した。

 高校生になると、彼は家族全員でずっと住んでいた街から引越した。彼を高校から近い場所に通わせるためだ。

 彼はいじめばかりの辛い過去しかない街から離れたことで、いじめと疎遠になれると思っていた。


 しかし、いじめはまだ彼を解放してはくれなかった。

 高校入学初日から、彼は校内でスクールカースト最下位の扱いを受け、彼の周りには友人の1人すら出来ることは無かった。


 最早いじめと隣り合わせの生活を送り続ける彼は、「もうどうにもならない」と、現状を受け入れ開き直ることにした。

 しかし、次第に苛烈さを極めていくいじめはじわじわと彼を追い込んでいき、最終的に彼は高校を中退した。






 何処へ行ってもいじめが付き纏い、何をしてもいじめから解放されることはない。




 彼を知る者は皆、彼に敬意と侮蔑の意を評していつしか『いじめの天才』と揶揄するようになった。














 そんな彼は今―。








「はい、3冊貸出ですね」


 市立図書館で文庫本を借出ていた。






 今年で18になる彼の名前は玖音くおん しん


 高校の頃に購入したジャージ一式を身に着けた進は、カウンターの受付員に3冊の文庫本を差し出す。

 本の裏表紙に貼り付けられたバーコードを手際よくスキャナーに読み込ませると、受付員は進にそれを手渡した。



「貸出期限は1週間で、それを過ぎると次回の貸出時から貸出冊数を一冊減らすことになりますので、返却期限は厳守してください」


 最早聞き慣れた警告に軽く相槌を打って、進はカウンターを離れる。

 そのまま適当に腰掛けられる机を探して、徐に座ると先程借りた文庫本の1冊を開いた。




 彼にとってこの時間は生きる意義でもあり、嫌なことから逃れられる唯一の時間である。


 幼少期から凄惨な人生を送ってきた彼にとって、読書というのは唯一の心の拠り所だ。

 そのために彼は毎日図書館に足を運び、自宅にいる時ですら時間があれば読書をしている。




 別に読書が好きなわけではない。



 ただ、人と関わることが嫌いなだけ。



 彼はいじめを通して、人間不信となってしまったのだ。

 そんな彼にとって、読書は現実から逃れられる最たる手段だった。





 パラパラとページを捲り、彼は架空の物語の中に耽る。



「…俺もこんな世界に生まれていたらな」




 彼にとっては本の中の物語の世界だけが、自分の存在を許せる世界だった。






 ―――――






 晩夏の夕暮れ、進は図書館を離れ自宅へ戻ろうとしていた。



 夏の終わりとはいえ、夕方でもまだまだ暑いこの時期は運動不足の彼にとって地獄のようにも思えた。



「暑い…」


 垂れる汗を拭いながら、冷房で涼もうという気持ちから帰宅する足を早める。

 文庫本に汗が落ちないように気を遣いながら、彼は信号を抜けて住宅街に入る。








「…?」


 ふと足元から前方に視線を移した進の視界に、少女の姿が映り込む。



 ボロボロになりながらも汚れ1つない純白のワンピースに身を包んだ、長い銀髪が特徴的な外国人の少女は、進の姿を認識するや否や驚いたような表情を見せる。


 そして、その表情はすぐに悲哀に満ちた泣き顔に変わる。




「…」


 人間不信である進は、少女に声を掛けるべきかどうか迷っていた。


 この場で声を掛けたら不審者扱いで警察に突き出されるんじゃないか、それとも年端もいかぬ少女にすらいじめを受けるのではないか、とあらぬ心配を繰り返していた。




 進が迷っていると、少女は今にも泣きだしそうな表情ながらも小さく口を開いた。







【――――――――】




「…?」


 少女はそれを声に出さなかった。


 否、進にはその少女の発した声が聞き取れなかった。

 聞き取れるはずの距離ではあるが、不思議な事に進の鼓膜には少女の声が響かなかった。




 少女はそれを伝え終えると、路地の曲がり角に姿を眩ませる。


「…まっ…」


 少女の後を追いかけ、進も曲がり角に顔を覗かせる。



 しかし、そこに少女の姿は無かった。



「……陽炎、だったのかな」


 その少女を例えるなら、陽炎。


 少進は少女の事を、「自分の妄想が陽炎に投影されたもの」と都合よく解釈した。




 それもそのはず、進には先程のような美人の少女の親戚などは一切縁がない。

 自分が物語ばかり読んでいるから、さっきのような少女が幻覚で見えてしまったのだ、と一人納得した。



 納得もした所で、再び帰路を急ごうとしたその時。




(…あれ?)


 進の視界が突然歪み出す。



 ぐらつく頭を抑え、倒れそうになる体を壁にもたれることでどうにか支える。

 文庫本を持つ手を開放したことにより、本が音を立ててアスファルトに散らばる。



(何だ、一体?)


 あまりに突然の出来事で、進は困惑する。

 先程までは健康そのものだったはずなのに、急な目眩が起こったことに進の脈拍が急激に増加していく。




 そして再び、進の視界を目眩が襲う。


「っ!!」


 今度は先程のものとは全く比べ物にならないほど強く、進はその場に倒れ込む。

 息を切らしながら携帯を取り出そうとするが、指一つ動かない。



 そして進は察する。






(ああ、熱中症か…―)




 その意識を最後に、進は目を閉じた。

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