幽霊と修業/7

 何か接点を。そう願って、颯茄は聞いた。


「それって、私にできますか?」

「高度な気の流れだが、合気よりはできるかもしれん」


 兆しが見えた。


「どうやってやるんですか?」

「正座しろ」


 上下に高さを感じるものだ。座敷に座れとは、これ何故なにゆえにである。


「立ってやるんじゃないんですか?」

「座っている方が難しい」


 夕霧師範代は厳しかった。颯茄は放り投げていた両足を引き寄せて、行儀よく正座した。


「はい」


 誰が見ても、師匠の言う通りの姿勢になった弟子だったが、専門用語が飛んでくる。


「腰が落ちている」

「腰が落ちる????」


 颯茄は座布団を穴があくほどじっと見つめた。下は畳である。奈落の底へでもいくような言い方である。これ以上は落ちないはずである。


「骨盤の一番下に座骨というものがある。そこで上半身を支えるようにする」


 腰のあたりが後ろに出て丸みを描いていたが、いやでもまっすぐ伸びたのだった。颯茄は目を輝かせる。


「あぁ、どうやっても姿勢よくなりますね」


 前のめりの弟子に、師匠から即行指導。


「まだだ」

「ああ、はい」


 今のでできるくらいなら、高度な気の流れとは言わないのである。


「仙骨――」

「せんこつ?」


 弟子は師匠の話を折るのである、こうやって。


「骨盤の間にある腰側の逆三角形の骨だ」

「あぁ、そんなのあったんですね」


 重要な骨なのに、名前を覚えてもらえないという、悲劇が起きているのだった。


「骨盤と仙骨の間に、仙腸せんちょう関節というものがある。それは内側に入り込むように曲がる」


 肘や膝の関節が一定方向にしか曲がらないのと一緒である。


「内側に曲げるか……」


 しかし、腕や膝のように、動かしやすいものではなく、颯茄は難しい顔をしながら、また触れることもなく、一生懸命考えるだけで、動かそうとする。


 絶対不動の師匠もこれ以上は一人でできないと見極め、今教えている正中線を使って、畳の上から艶やかに立ち上がった。


「うつ伏せになれ」

「ああ、はい」


 集中力で羞恥心など簡単に打ち消され、三枚並んだ座布団の上に、颯茄は自宅の床でくつろぐように横になった。


 骨盤の位置である。前回の肩甲骨とは違って、乙女大事件である。だが、そんなことなど、ふたりとも気づかず、修業は続いてゆく。


「内側へ押す」


 白いモヘアのスカートの後ろに、合気という芸術のような素晴らしい技を生み出す手は添えられて、上から押さえ込んだ。


 颯茄は自分の内側から聞こえた音にびっくりする。


「うわっ! バキバキいいました!」


 テーブルを挟んだ向こう側で行われている行為を、知礼は隣にいる独健に言葉で変換した。


「お尻触ってますよね?」

「触ってるな」

「修業という名のセクハラですか?」

「いや、彼女がそう思ってないなら、違うだろう?」


 颯茄は座布団の列を乱しながら起き上がり、夕霧は正中線を崩さず、座ろうとする。


「固まっていた関節が動いたからだ」

「よし、これでもう一回!」


 シュパンと、颯茄は行儀よく素早く正座し直した。いつまで見ていても仕方がない。ふたりきりの世界。


 独健はビールを一口飲んで、枝豆の皿を知礼へ差し出した。


「俺はいいと思うんだが……」

「そうですね」

「修業の話を聞いてくれる女はそうそういないだろう?」

「聞くどころではなく、先輩、楽しそうです」


 知礼と独健はふさから豆を取り出して、同時に口の中へ入れる。


「俺たちのことを忘れてるだろう?」

「はい。眼中にないですね」


 夕霧の無感情、無動のはしばみ色の瞳は、颯茄の肩を後ろから眺めていた。


「右利きだ」

「どうしてわかるんですか?」

「右肩が下がっているからだ」


 このままいくと、この理由の説明まで始まりそうな勢いである。


「そんなのまでわかるんですね? すごいなあ、武術」


 感心した颯茄の言葉で、やっと会話が途切れ、独健の鼻声が割って入った。


「なあ、いいか?」


 夢から覚めたみたいに、颯茄と夕霧はこっちへ振り返った。


「はい?」

「何だ?」


 あの閉鎖病棟で、敵の悪霊たちを散々待たせたみたいなふたりに向かって、


「夫婦で邪気退治がいいと思うんだが、どうだ?」

「同じものも見えて、武器も同じように持ってますし、いいと思います」


 ふたりして話が脱線していた。颯茄ははっとして、


「ああ、そうか、そうだった。返事返してなかった」 

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