第三十二話「ゴネロス要塞を攻略せよ」
夜も開け切らぬ、うっすらと空が紫に染まり始めた時刻。
エレラの街より、人魔の兵隊達が、出陣の準備を進めていた。
時が来たのだ。
あのにっくきゴネロス要塞を落とす時が。
エレラ邸にて、涼子達はスパイの持ち帰ったゴネロス要塞見取り図と、周辺の地図を参考に、要塞攻略作戦の最終確認をしていた。
「見ての通り、ゴネロス要塞はその周りを塀と堀(ほり)で覆った城塞都市、攻略は容易ではないわ」
エレラの言う通り、街を向いている要塞方面には敵の侵入を防ぐ深い堀があり、一度そこに落ちれば弓矢と砲台による攻撃を受ける。
街から攻めようにも、駐屯している騎士との戦闘が待っている。
正面から立ち向かったのでは、まず勝ち目はない。
「まずは部隊を二つに別けるわ、要塞側と、街の方に」
エレラが、部隊に見立てた駒を動かして、それぞれ要塞側と街の前に置く。
「要塞側を囮にして、街の方から攻撃を仕掛ける算段か………」
「でも、そう上手く行くのですか?」
口々に、各々の部隊の指揮を任された兵士達から疑問の声が出る。
兵力はこちらの方が大分劣るし、何より相手側が陽動に気付く可能性もあるから。
何より、兵力の都合とはいえ作戦としても幼稚だ。
勝てるとは思えない。
「その点に関しては問題は無いわ」
しかし、エレラはそんな兵士達に向けてニヤリと笑ってみせる。
彼女には、確固たる勝算があるのだ。
「ようは、相手を混乱させて、相手の戦略をガタガタにすればいいのよ………ね?」
不敵に笑うエレラ。
その眼差しの先には、同じように不敵に笑ってみせる涼子。
そして、きょとんとしている朋恵の姿があった。
朋恵はともかく、涼子は「その通り」と言うように、白い歯を見せてニタァと笑って見せるのだった。
………………
地平線の向こうから、太陽が登ってくる。
ゴネロス要塞下の街で飼われている、尻尾のついた鶏が「クックドゥルドゥー」と鳴き、人々が目を覚ます。
「こんな朝早くから配達?ご苦労様だね」
そんな朝早く、ゴネロス要塞に数名の女が訪れていた。
教団の人々の為に、野菜と卵を持ってきたという人達だ。
皆、顔が見えないように深いフードを被っている。
宗派の都合だろうか。
「はい、これも神様の為、徳を積む為です」
「それは結構、はい、通っていいよ」
門番の許可を貰い、女達は荷車を引いて要塞の中へと入って行く。
「………案外、上手く行ったわね」
門番に聞こえないよう、女の一人が呟く。
フードの奥に隠れた眼を、妖しく桃色に輝かせながら嗤う女達。
「さて、準備を急ぎましょう」
その、サキュバスに見られる現象の中、一人だけ眼の光らない女………南原準が、
不敵に笑いながら、眼鏡をクイッと上げた。
………………
太陽が空を照らし、要塞下の街はいつも通りに賑わう。
ただ違う事は、ここが元のブラス世界ではない事。
別の世界に飛ばされた事に、人々が不安を感じている事。
そして、その不安を払拭する為に、永らく禁忌とされていた「生け贄の儀」が執り行われる事。
最高司令官たるピエイルは、この儀式の際に自由同盟の襲撃があるとして、警備を一段と強めていた。
………しかし、警備を務める教団の兵士達には、緊張など無かった。
誰しもが、それまで大きな争いが無かった事から、今日もそんなに大きな事件はないと思っていた。
それよりも、自分達の住む土地が別世界に飛ばされた事への不安の方が、彼等にとって重要だった事もある。
「こんな時に、幹部集めて集会だのと、ピエイル様は呑気がすぎるよ」
「まったくだ、こちとら永遠に家に帰れないかも知れないのに………」
生け贄の儀を、単なる大規模な集会としか知らされていない教団兵達が、警備の傍らそんな愚痴を溢す。
眼前に広がる森の中から魔物少女の子供が一匹でも出て来たら、弓矢で少し脅かしてやろうかと考えながら、
森を見ながら呆然としていた、その時。
「………へ?」
ビィィインッ!という音と共に、彼等の間に、一本の矢が突き刺さった。
矢の形状を見ずとも、それが何から放たれたかは、彼等でも解る。
「て………敵襲だぁぁぁぁ!!」
彼の叫びと同時に、森の中から次々と飛び出してくる自由同盟の勇者達。
要塞から放たれる矢は、先頭を走る蜥蜴女………リザードウーマンの硬い表皮を破る事は叶わず、次々と跳ね返される。
「うわあ!魔物だぁ!」
「落ち着け!大砲を撃て!早く!」
完全に先手を打たれ、教団兵が混乱の中やっと大砲を放つ。
いくら頑丈な魔物少女を選別した部隊とはいえ、大砲の爆風で吹き飛ばされ、隊列が崩れて行く。
教団兵達は、流れが自分達の方を向いたと確信した。
だが、その確信は直ぐに崩れ去る事となる。
「奇襲部隊用意!」
「了解!奇襲部隊用意!」
リザードウーマンの部隊を率いる隊長が号令を飛ばす。
同時に、専用の鎧を着込んだ馬女………ケンタウロスの部隊が、後方より駆けてきた。
その背中には、同じように鎧を着込んだ戦士達。
自らも鎧を着込みながらもこういう事が出来るのは、パワーのあるケンタウロスだからできる事か。
「訓練通りにやればいい!行くぞ!」
「おう!」
砲撃の中を駆け抜けるケンタウロス部隊。
次の瞬間、ケンタウロスに股がっていた鎧の一団が、天高く飛び上がった。
「ぬお?!」
「な、何だ!?」
戦場の真ん中で飛び上がるという、奇行にしか見えない行動に、教団の兵士達は釘付けになる。
それも、彼女達には作戦の内。
鎧の一団が落ちる先にいるケンタウロス部隊が、要塞に向けて尻を向け、後ろ足に力を入れる。
バックキックの体制だ。
………ご存じの方も多いと思うが、馬のバックキックは一撃で人間を死に至らしめるほどのパワーを誇る。
重い鎧を着込むほどのケンタウロスなら、その威力も桁が違う。
そこに落下してくる、鎧の一団。
そして。
「よいしょ!」
「ふん!」
落下の瞬間、ケンタウロス部隊が後ろ足を上げ、両者の足が重なった。
「行けーーーーーーーッ!!」
その状態で、ケンタウロス部隊が足を突き飛ばす!
鎧の一団は、ケンタウロス部隊のバックキックにより砲弾のように弾き飛ばされ、要塞に向けて一直線に飛んでゆく。
ズワォ!
質量の弾丸となった鎧の一団が、次々と要塞を突き破り、着弾する。
その間、僅か1.5秒。
鎧の一団の行動に教団の兵士達が驚いている、僅かな隙をついての事であった。
「………え………え?!」
突如撃ち込まれた人間砲弾ならぬ魔物少女砲弾の前に、愕然とする教団の兵士。
その眼前で、鎧の一団がむくり、と立ち上がる。
要塞に着弾したショックで鎧はガラガラと砕ける。
元々、着弾のショックから身を守る為の鎧なので、問題はない。
「あ、あああ………!」
ガタガタと震える教団の兵士達を見下ろす、その巨体。
鎧に身を包んでいたのは、血のように赤い表皮を持ち、二本の角と筋肉質の身体が特徴の魔物少女「オーガ」。
そして、そのオーガの中にただ一人紛れつつも、一際強い殺気を放ちながら、白い歯を剥き出して嗤う人間の女・一文字涼子。
「行くぜええーーッ!!」
「ウオオ!!」
涼子の雄叫びを合図に、オーガ部隊がその拳を振り上げ、要塞内部を蹂躙する。
「うわああ!来るなぁ!」
「そんな物騒な物を振り回すのは、だーめ!」
「ひぃ!」
警備か砲台の点検くらいしかしていなかった要塞の兵士達が勝てるわけもなく、次々とオーガ部隊に締め落とされてゆく。
………わざとらしく脇に押し付けたり、ヒップドロップやベアハッグで圧迫しているのはご愛嬌。
………ゴネロス要塞内部、総合指令室にて。
「く、クソッ!街の方から援軍は回せんのか?!」
教団兵を率いる隊長は、苛立った様子で街に駐留している兵士の援軍を仰ごうとする。
だが。
「た、隊長それが………」
「街の方にも、魔物の一団………それもサキュバスが!」
「な、何ぃ………?!」
サキュバスの名を聞き、教団兵隊長の顔はみるみる青ざめていく。
兵士の天敵・サキュバスが、よりによって要塞下の街に現れたのだから。
………………
ゴネロス要塞攻略の上で、関門の一つとして立ちはだかった市街戦。
魔物少女部隊の大半を占めるオーガやケンタウロスでは、狭い街中では戦いにくい上に、民間人を巻き込む恐れがあった。
しかし、それを解決する方法が一つあった。
それは………。
「そーれっ♡チャームウェイブ♡♡」
「んひいいいいい♡♡♡」
街に桃色の波動が広がり、それを受けた教団の兵士達は目をハートにして次々と倒れてゆく。
魅了効果を持つその光線を放っているのは、他でもない。
兵士の天敵・サキュバス。
それも、一人や二人ではない。
準の手引きにより、街に潜伏していた数十人近いサキュバス。
それが、街に自由同盟の別動隊が入った途端、一斉にその本性を現したのだ。
「さあ、貴方も自分に素直になって♡」
「あひぃ♡♡」
サキュバスのチャームウェイブにやられた兵士達は、次々にサキュバスの魅了に堕ちる。
そして、サキュバスの力は男だけに及ばない。
「や、やめろ!魔物になったお前となんか!」
「こうでもしないと、私の事見てくれないじゃないの………!」
チャームウェイブを浴びた男は皆、サキュバスの虜になる。
だが女が浴びた場合は、なんとその女はサキュバスになってしまうのだ。
教団の厳しい戒律の元、内なる欲望を押さえていた女達。
彼女達はサキュバスとなる事で、今までの我慢を解放するように、其々の想い人と愛を育んでいた。
しかし、そんな魅惑の渦の中でも、誇りを胸に耐える男はいるもので。
「魔物少女め!これ以上街を好きにはさせんぞぉ!!」
必死に自分を律し、剣を振るってサキュバスに斬りかかってゆく教団の兵士。
そんな奴には。
「てい!」
「あべしっ!」
張り手の一撃が教団の兵士を襲い、倒れた所に無数のサキュバスが襲い掛かる。
サキュバス部隊の援護を任された、来栖間朋恵だ。
その巨体から繰り出される一撃で、サキュバス部隊に迫る教団の兵士を叩きのめす。
………この淫気の中にあっても、どういう訳か朋恵はサキュバスにならない。
アタックスーツによる物なのか、それとも特種な体質なのか。
あるいは、これもゼリンツ線の力なのか?
「サキュバスめ!覚悟ー!」
「えい!」
考えるより先に、朋恵は教団の兵士に張り手を飛ばす。
今は、こちらの方が忙しいのだ。
………………
要塞内部に敵が侵入。
助けを呼ぼうにも、頼みの綱の街の駐留兵はサキュバスにやられてほとんど居ない。
要塞の兵士達は、この要塞の中で孤立していた。
「た、隊長!ここは避難を!」
「出来るか!この孤島の中を何処へ逃げろというのだ?!」
………彼は、部下に対してあまり情は熱くなく、尚且つピエイルに対しても給料分以上の忠誠心はない。
もし、元の世界ならば、このままピエイルや部下を見捨てて逃げ延びたであろう。
しかし、今この場所は、四方を海と嵐に覆われた孤島・幻影島。
逃げ延びたとしても、行き先は限られるし、何より直ぐに見つかるだろう。
兵士の、自身を見捨てた上司への復讐心の凄まじさは、同期の怪死事件で知っていた。
自分の逃げ場は、ここには無い。
その時。
「ここかァァ!!」
扉を叩き開けて、一人の人影が指令室に転がり込んできた。
魔物少女か?と武器を構える教団の兵士、そして教団兵隊長。
だが、それは魔物少女ではない。
人間。そう、涼子であった。
しかし、敵である事には変わらない。
「おのれ!」
「魔物少女めぇっ!」
隊長からすれば捨て駒のような物にしか過ぎないが、彼等は幼い頃から「目上の人に尽くす事」を美徳と教えられた。
それが、死後に自分を天国に導くと信じ、彼らは剣を振るう。
「おらぁっ!」
「ぐえっ?!」
「がはぁ!」
だが、涼子の繰り出した蹴りの一撃で一人が沈み、裏拳でもう一人が沈んだ。
「ひ、ひいい………!」
涼子の力を前に、逃げようとする教団兵隊長。
だが、涼子は彼を捕まえると、襟首を掴み恫喝する。
「おいテメェ、この要塞の内部に詳しそうだな?」
「は、はい!」
「じゃあ、今から言うアタシの質問に正直に答えろ」
ガタガタと震える教団兵隊長だが、涼子の勢いは止まらない。
どうしても、訪ねなければならない事があるからだ。
それは。
「魔物少女と人間の子供を捕らえているな?そいつらの居場所を教えろ!」
………………
「起きろ!」
「きゃあ!」
魔物少女達と光の眠りは、看守の教団兵から水をかけられるという形で、破られた。
「うええーん!うええーん!」
「何ぼさっとしてる!とっとと立て! 」
「ぎゃあ!」
泣く者は蹴り上げ、そうでない者には怒鳴り立て、萎縮させる。
そんな中、光は教団の兵士の慌てぶりから、直観で感じた。
涼子達が助けに来た、と。
同時に、涼子達が間に合わなければ自分達の命もない、と。
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