第十六話「男の戦い」
9月。最長の夏休みも終わって久しい。
何時ものように気だるい朝を過ごす光は、テーブルの上に置かれた朝食に目をやる。
一枚のトーストと、二本のソーセージ。
何の感情もなくトーストを食べていると、隣に押し込むように割り込む人影。
「いただきまーす!」
妹の「真理(マリ)」だ。
自分と違い、運動部の中心人物で、両親からも期待されている。
「ごちそうさまー!」
妹は目玉焼きの乗ったトーストと三本のソーセージを平らげると、光にぶつかった事に対して謝りもせず、その場を後にする。
抗議はしない。
した所で意味がないのを解っているから。
自分も早いところ朝食を済ませようとした、その時。
「光」
対面に座っていた父親が口を開いた。
身構える光。
こういう時、たいてい録な事がないからだ。
「お前、最近頑張ってるのか?」
何を?と言いたい気持ちを押さえ、光は己の感情の起伏を最大限に押さえ込み、反す。
「うん」
父親の迫撃は尚も続く。
「真理は全国に出るんだぞ、それなのにお前は………」
毎朝恒例のいびり。
光は、感情を全力で抑えつつ、自然な速度で、極力早く朝食を終わらせようとする。
朝食さえ終わってしまえば、あとは家を出てしまえばいいだけだ。
しかし、早く食べると「そんなにお父さんの話が聞きたくないのか!」と怒鳴られる。故に、バレない速度でやらなければならない。
「いいか、お前は学校でいじめられているというが、お前が悪いんじゃないのか?いじめられる方にも原因が………」
今までもあった毎朝の風景ではある。
が、ここ最近光の中で変わった事がある。
心を殺し、必死に耐えていると「彼女」の事が頭に浮かぶ。
セクサーロボという縁で繋がった、こんな憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる彼女の事が。
「 (………早く涼子さんに会いたいな) 」
あの褐色の肌と笑顔を思い出しながら、光はトーストをパリッとかじるのであった。
………………
夏休みが終わり、始業式も終わってからかなり経つ。
未だに夏休み気分が抜けない生徒もちらほら見えるが、その中を学園に向けて歩く光は、何時もと変わらない。
───夏休み中セクサーロボの搭乗訓練や戦闘シュミレーションに付きっきりだったというのもあるが。
「(夏休みといいつつ、あんま休めてなかったな………一応海水浴も行ったけどさ)」
朋恵をスカウトした時の事を思い出しながら歩いていると、光の後ろからスタタタと駆けてくる人影が一つ。
そして。
「みっつるぅーー!おはよーっ!!」
「わっ!!」
元気よく後ろから駆けてきて光を抱き上げたのは、朝から光が思い浮かべていた彼女。
一文字涼子、その人である。
「お、おはようございます涼子さん………」
涼子に会えて、朝の嫌な空気が吹っ飛んだのか、光の顔に笑顔が戻る。
それまで必要最低限しか学校に来なかった涼子。
しかし最近は、他の学生のように休み以外の毎日登校してくるようになった。
理由は一つ。光に会うためだ。
───もっとも、それだけなので授業は普通にサボったりしているのだが。
「あ………あの」
「ん、どーした?」
「そろそろ………下ろしてくれません?」
「ん!おお!悪い悪い!」
抱き上げられて頬ずりをされていた光だが、流石に恥ずかしかったらしい。
涼子は光を下ろすと、次は手を握る。
まるで「アタシのモンだぞ」と主張するように。
「じゃ、いこーぜ!」
「は、はい………」
元気一杯の涼子と、若干引きぎみの光。
光自信も、朝嫌な事があってもそれを吹き飛ばしてくれる涼子との会合は、一つの楽しみになっていた。
「お、おいアレ見ろよ………」
「あいつ、健善の暴れタイガーを手懐けてやがるぞ?!」
「逆だよ逆!あいつが健善の暴れタイガーに貪られてんだよ」
学校に向けて歩いて行く光と涼子を前に、困惑する男子達。
当たり前だ。健善にその名を轟かせる最凶女ヤンキーが、学園では珍しくない陰キャのヘタレチビとまるで恋人同士のように振る舞っているのだから。
弱味を握られている、逆に握っている、親の決めた許嫁等、彼等に関する様々な考察が学園で渦巻いていた。
………誰も、侵略者と戦うために共に巨大ロボットに乗っているとは夢にも思うまい。
「………おい」
そんな話をしていると、男子の背後で声が響いた。
「はい?」
学園の先輩か?と思い、男子が振り向いたその時。
「………ぶべ?!」
男子の顔に飛ぶ、強烈な鉄拳。
それは鼻の骨をへし折り、男子を吹き飛ばす。
「軟弱モンが、男を磨いて出直してこんかい………」
筋骨隆々とした学ランの男が、延びた男子を見下して言う。
「………まったく、最近は軟弱なヤローばっかりか………」
男が睨むは健善学園。
そこに意気揚々と入って行く涼子。
それにまた抱き抱えられている光。
「テメェの根性、俺が叩き直してやる…………待っていろ真城光ゥッ!!」
瞳に歪んだ炎を燃やし、男は、否「漢(おとこ)」はその一歩を踏み出した。
………………
「以上の点から、エリザベートが行った政策は、今で言うアイドルの原型になったとされています、そしてこのグダ王は、いわゆるプロデューサーの立ち位置にいたと云われていて………」
二時間目。歴史の授業を受ける生徒達。
その中に、光の姿もあった。
先生の話をよく聞き、ノートにまとめる。
期末テストの範囲にも入っている話だからか、その表情は真剣。
大多数の生徒は「そんな先の事」と気持ち半分だが、光を始めとする所謂陰キャ達は比較的真面目に授業を受けている。
「 (思えば、涼子さんに出会ってからだよね、授業中に消しゴムのカスが飛んで来なくなったの) 」
特に最近の光は、涼子のお陰で「ガリ勉」とからかってくる生徒も減り、安心して勉強に集中できている。
虎の威を借る狐のようだが、実際これのお陰で勉強に専念できて助かっている。
「 (また、涼子さんにお礼言わないと………) 」
涼子と出会ってから助けられてばかりな事に感謝しつつ、光は勉強に向かう。
今日も、授業を終え、涼子と一緒に下校する。
いつものように一日が過ぎる。
光はそう思っていた。
少なくともこの時は。
「頼もーう!!」
ガララッ!と教室のドアを乱雑に開け、響く低い男の………否「漢(おとこ)」の声。
突然の事に集中する視線の中立っていたのは、学ランに身を包んだ男子生徒。
高校生ぐらいだろうか、今ではテレビですら見なくなった筋骨隆々とした体格。
太い眉毛にザンバラの髪、そして頭に巻いたハチマキ。
筋肉は熊。牙は鮫。燃える瞳は熱き魂。
今の日本で忘れ去られた「日本男児」を形にしたような漢が、堂々と立っていた。
突然の来訪に皆が唖然とする中、最初に反応を示したのは教師であった。
「あの、どちら様ですか君は、見たところ他校の生徒のようだが?」
教師という立場から、この聞かされていない来訪者を無視する訳にはいかない。
何より、用があるにしても今は授業中の為後にしてもらわなければならない。
「今は授業中だから、用があるなら………」
後にしてくれないか?と教師が言いかける。
が、それより早く学ランの漢がくわぁっ!と口を開いた。
「じゃあましいっ!!男の勝負に授業中もクソもあるか!!」
雷が放たれるがごとき怒号に、クラスは震え上がり、教師は使命を忘れて「ひぃぃ!」と縮こまった。
邪魔物がいなくなった事を確認し、学ランの男が歩き出す。
怯える生徒達を掻き分け、ついた先は。
「………おい」
「………はい?」
「テメェが真城光か?」
壁のような巨体が見下す先には、きょとんとしている光の姿。
対する光は、その風格から涼子の知り合いか?と考える。
「えっと………涼子さんのお知り合いですか?」
何気ない問い。
しかし、それを聞いた学ランの男の顔に、ビキィッと青筋が走る。
そして。
「テメェに………男としての決闘を申し込む!!」
「………え?」
唐突の宣戦布告。
状況についていけず唖然とする光を他所に、学ランの男はその鉄塊のごとき拳を振り上げる。
「食らえ………漢(おとこ)の一撃!!」
「うわああ?!」
有無を言わさず叩きつけられた拳が光の机を粉砕する。
瞬時で飛び上がったため光は無事だったが、もし当たっていたらどうなっていたか。
「うわ、わああ?!」
ガシボ戦以来の突然の状況に戸惑いながらも、光は一目散に教室を飛び出した。
しかし。
「喧嘩の相手に背を向けるとは………テメェそれでも男かぁぁ!!」
学ランの男が飛び上がり、今度は足を構えた。
そして、そんなに出たけりゃ手伝ってやる、と云わんばかりに光の背中に向けて飛び蹴りを浴びせる。
「ぶべっ?!」
蹴り飛ばされた光は、廊下に出てすぐにあった壁に激突。
目を回して倒れてしまった。
「あうう………」
倒れ込んだ光を、瀕死の獲物を睨む肉食獣のように見下ろす学ランの男。
その瞳には、侮蔑と怒りの感情が浮かんでいた。
「………お前、それでも男か?そんな事で、涼子を守れると思ているのか?あいつに相応しい男になれると、本気で思っているのか?」
投げ掛けられる問いに、光は今は答えることができない。
そりゃそうだ。
有無を言わさず相手が殴りかかってきのだ。
脳の処理が追い付くまい。
だが、そんな光を前に、学ランの男の苛立ちは最高峰に達した。
そして。
「………お前、期待しているんだろう?涼子が助けにくる事を………情けない!」
学ランの男は光の頭を掴み、持ち上げた。
そして怯える光に向けて、その拳を握る。
「………女の陰でバトルの解説してるような男なんざ………」
そして光に向け、机を骨組みの鉄パイプごと粉砕した拳を飛ばした。
「殴られても………文句は言えねぇだろうが!!」
避ける術は光にない。
ここまでか。
「………助けを期待する?トーゼンだろ」
しかし、その拳が光を穿つ事は無かった。
直後、学ランの男向けて右から走る衝撃。
蹴りだ。
「む………おォ?!」
その褐色の脚から放たれた蹴りは学ランの男の脇腹に突き刺さり、その身体を吹き飛ばした。
「わあっ………」
学ランの男が手を離した事により空中に放り投げられた光は、地面に落ちる直前に、その豹柄の下着に包まれた胸に受け止められる。
「こうしてアタシは駆けつけるんだ、期待すんなっつー方が無理な話だろ!」
「涼子さん!」
光を抱き上げ啖呵を切る、我らが一文字涼子。
光は、まるで待ちわびたヒーローが登場したように、涼子の名を呼んだ。
「大丈夫か光?!こんなにされて………」
「だ、大丈夫ですよ涼子さん………ちょっと痛みますけど………」
「すまねぇ、アタシがもっと早く来ていれば………!」
傷ついた光を前にうちひしがれる涼子を他所に、吹き飛ばされて倒れていた学ランの男が起き上がった。
「相変わらずの蹴り………それでこそ俺の女に相応しい」
ニヤリと笑う学ランの男に対し、当たり前だが涼子はあからさまに不機嫌な態度で睨み返す。
「いい加減にしろって何度言えば解んだ?しつけーっつーのが解んねぇのか………春日次狼(かすが・じろう)!」
「ははは!元気な所もますます気に入った!」
涼子の声には確かな苛立ちが籠っていたのだが、学ランの男………春日次郎はまったく意に介していないようで、腕組をして笑っている。
そして、状況についていけていない光。
「えっと………涼子さんの知り合いですか?」
「前にボコった大寿高校の番長みてーな奴だよ、どういう訳かそれ以来ストーカーみてぇになってんだよ………」
口には出さないが、表情と態度から「もううんざりだ」という涼子の心の声が聞こえてしまう。
涼子自身「これ以上つきまとうなら警察に言うぞ」と言ってはいるのだが、まったく意に介さないのだ。
「………涼子、解らないか?お前はいくら強かろうと女だ、拳を振るうのは辛いだろう」
しかし、それは次郎が涼子の身を案じていたからに他ならない。
いくら無双の強さを持つ涼子だとしても、その芯は「女」だからだ。
「だから、俺は強くなり、お前を守ってやろうと言うのだ………それなのにそいつは何だ!」
光を指差し、次郎が怒号を飛ばす。
それに驚き、咄嗟に涼子の後ろに身を隠す光が、さらに次郎の怒りを煽る。
男の風上にも置けぬ、と。
「付き合っている男がいると聞いて見てみれば………貴様、涼子が敵に囲まれて動けない時に代わりに戦えるのか?涼子の身体を抱えて逃げる事ができるのか?そんな貧弱な身体で!」
怯える光に対し、指を指して批難する。
その弱さを、漢(おとこ)として。
「おまけに、涼子だけでなく他の女にも手を出すクズっぷり………許せん!目を覚ませ涼子!いや覚まさせてやる!このクズを叩きのめし、どちらが真にお前に相応しい漢(おとこ)か証明した上で!」
拳を構え、キッと相手を睨む。
その身は既に覚悟完了。
戦う男の姿だ。
「さあ拳を構えろ!これは漢(おとこ)の決闘だ!貴様が真に涼子を愛するなら立ち向かってこんかい!!」
啖呵を切る次郎。
………もし、これが普通の恋愛物なら、光は立ち向かい、涼子は見守るだろう。
だが残念な事に、これはそんな高尚な物語ではなく「セクサーロボ!」なのだ。
「………あのなぁ」
光が立ち向かう代わりに、口を開いたのは涼子。
次郎の熱く男らしい態度に、白けるような顔を浮かべている。
「光は他の女に手ェ出してるんじゃねーよ、出されてるんだよ、アタシを含めて全員で光を押し倒してるんだ」
涼子の言う通り、光が自分から涼子達を抱いた事はない。
いつも、涼子や準に一方的に押し倒されている。
その上で光に責任を呼び掛けるのは、少々理不尽な話だ。
「それに、アタシを賭けて決闘だ?随分勝ってな事を言ってるじゃねーか、二人で戦って勝手に決めて、アタシの気持ちはどうなるんだ?」
たしかに、よくよく考えてみれば涼子本人の意思を無視して勝手に「勝った方が涼子と付き合う」なんて事をされるのは、涼子からすれば意思を無視されている事になる。
「それに、アタシは自分が光とヤりたくて光と付き合ってんだ、部外者にとやかく言われる筋合いは無ぇよ」
言いきった。
しかし涼子は何度も言ってきたにも関わらず、こうして次郎は現れた。
だから、今回も。
「………そんなに意地を張らんでもいいんだぞ?大方、そのクズに弱味でも握られてるんだろう」
これである。
これには、光も苦笑い。
涼子も頭を抱え「またかよ!」と言いたげだ。
「ならば、これで勝負だ!」
次郎が懐から何かを取り出し、涼子に向けて投げつける。
パシッ、と涼子が受けとる。
「これは………」
投げつけられたのは一枚の紙。
そこに書かれていたのは。
「………第77回マッド・ビルド・ロード?」
マッド・ビルド・ロード。
それは、車好きの一般人や走り屋が参加する、民間参加型のレースイベント。
使われなくなった高速道路等の再利用目的で始まった物で、優勝者には多額の賞金が送られ、運が良ければプロのレーサーとして企業からスカウトされる事もある。
その一方で毎年必ず怪我人が出る、危険なレースとしても有名だ。
「そのレースで俺と戦え、そして俺が勝ったらそこの軟弱者と別れろ!お前が勝ったらお前の事は諦めてやる!」
「待てよ!何勝手な事を………」
涼子が言いかけた、その時。
「先生!こっちです!」
「こらーっ!他校の生徒が何を!」
廊下の向こうから走ってくる生活指導の教師。
当然だ、他校の生徒が暴れていて、何も対処しない筈がない。
「ちっ、先公か………一週間後に待つ!逃げるなよ!」
吐き捨て、次郎は窓から飛び降りる。
「お、おい!アタシは参加するなんて一言も………」
涼子が呼び止めるよりも早く、次郎は着地し、そのまま走り去って行く。
その場には、涼子と光。
そして困惑する学園の生徒達が残された。
「………どーすんだよ、これ」
手元に残されたマッド・ビルド・ロードのチラシ。
そこに記された日程は、丁度一週間後。
はたして、涼子の選択は?
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