第75話 帰宅とハーブティ

 クリフォードはなやんでいた。


 因縁いんねんのある死霊使いが、謎の術式を描き残していたり、テロリズムを画策かくさくしたりしているから、というのはもちろんある。


 正直、聞かなければよかったと思う一方で、聞かなかったら聞かなかったで、面倒ごとがより大きくなるだけなので、まぁ、結果的にはよかったと思うしかない。


 しかしながら、クリフォードが頭を悩ませるものは、国を滅ぼしかねない死霊使いだけではなかった。もっと困るものが目の前に、どんと座っている。


 

「何かあったんですか、イザベルさん?」



 デビッド王子からの呼び出しを終えて、やっとの思いで帰ってきたクリフォードを出迎えたのは、ものすごく不機嫌な嫁、イザベルであった。


 

「別に!」



 イザベルは、怒鳴どなるように応えた。


 不機嫌というか、もうまぎれもなく怒っている。椅子いすこしかけ、頬杖ほおづえをつくイザベルは、そっぽを向いて、小刻みに地団太じだんだんでいた。


 いや、絶対に何かあったでしょ。


 ときおりれ出でてくる殺気は、まるで獲物えものをみつけたヨルムンガンドのようで、心臓の弱い者は気絶してしまいそうなほどである。


 その一方で、たまに、何かを思い出したかのように、はぁ、と深いため息をつく。


 もしかして、というやつだろうか。


 世の女性は、結婚を前にして、何かと憂鬱ゆううつになるという。


 忘れていたわけではないが、イザベルも女子である。何かと不安になることもあるだろう。


 不安の感じ方が独特ではあるが。


 

「まぁ、何かあれば相談してくださいね。僕もできるだけのことはしますので」


「何か? いったいというんだ? 私は何も怒ってなどいないぞ!」


「それならいいんですけど」



 どうやら怒っているようであった。


 わかりやすい性格でたいへん助かるのだけれども、不安ではなく、怒りとはなんだろう。


 クリフォードが、デビッド王子に呼ばれて中央都市セントラルおもむいている最中、イザベルは、キャサリンと結婚式の準備をしていたはずだ。


 確かに、イザベルは、結婚式の準備を面倒そうにしていたけれど。


 もしかして、キャサリンと喧嘩けんかでもしたのだろうか。


 イザベルとキャサリンの関係を、クリフォードはよく知らない。けれども、学園にいた頃からの旧友きゅうゆうという話なので、ちょっとやそっとで仲違なかたがいなどしないだろう。


 とすると……。


 ふむ、わからん。


 まぁ、女性というのは、よくわからないことで怒ったり泣いたりするものだ。前の嫁もそうだった。


 そういえば、前の嫁が、決まって不機嫌になることがあったけれど、もしかして、だろうか。


 そこまで考えたところで、クリフォードは思考を止めて、かしていたお湯を、茶葉の入ったティーポットに注いだ。


 磁器じきの花柄のティーポット。親が使っていたもので年季ねんきが入っているが、香りのつき方が新しいものに比べてなぜかよい。


 しばらく待って、かるくスプーンで攪拌かくはんし、茶こしで茶がらをこしながら、ゆっくりとティーカップに注ぐ。


 一杯をイザベルの前に差し出すと、ふんと一度つっぱねたが、香りにほだされたのか、かるく息を吐いてから、ティーカップに口をつけた。



「すまないな、ちょっと苛々いらいらしていた」


「いえ。こういうときはお茶ですよ」


「あぁ、そうだな。ありがとう」


「お口に会いましたか?」


「あぁ、おいしいよ」


「よかった」


「ただ、ちょっと雑味ざつみがある。お茶をれるのは、ブレンダの方がうまいな」


「……手厳しいですね」



 何に関しても無頓着むとんちゃくなのに、イザベルがお茶に対してだけ口うるさいことは、最近知った。


 やっと落ち着いたのだし、今のイザベルに、死霊使いのことを伝えようかと思ったのだけれども、クリフォードは考え直す。


 クリフォードが、モグラとして活動していた頃、組織の秘匿性ひとくせいゆえに、死霊使い、もしくは、屍人について情報を開示することができなかった。


 しかし、今は立場が違う。


 イザベルに死霊使いのことを話してもさして問題はないだろう。


 だが、せっかく機嫌が直ったのに、また、不機嫌になりそうな話題を出すのもどうかと思い、クリフォードは次の機会を待つことにした。



「ところで、クリフォード。明日は大丈夫なのか?」



 クリフォードが保留の意思を固めて、ダメ出しされた紅茶の味を確かめていると、イザベルがふと尋ねた。



「明日?」


「あぁ、明日だ。まさか忘れたのか?」


「ん? あー、そういえばそうでしたね。嫌過ぎて忘れていました」


「……おまえ、わりとはっきり言うよな」



 とぼけて見せたが、クリフォードは、しっかりと覚えていた。


 もうすぐ結婚式だというのに、それぞれの都合が合わなかったということで、今更感のある行事が、明日にひかえているのだ。


 キングストン家への挨拶あいさつだ。



―――



あれ・・・女が月一で不機嫌になる例のあれ。女の機微に鈍感なクリフォードでもさすがに知っているし、それを口にするのはデリカシーに欠けることも知っている。ただ、女は、別にあれでなくても、唐突に不機嫌になる。特に理由がなくても、不機嫌になるのだけれども、それは女の性質なので仕方ない。男は、不機嫌な女の機嫌をとるのが仕事である。これを怠る者は、碌な男ではない。

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