第53話 後日談 その2

 雲一つない青い空と、まぶしい太陽が心地いい午後、風がそよそよと芝を揺らす中で、二人が跳ねまわっていた。



「さぁ、もう終わりか? 今日はまだ2発しか有効打を受けていないぞ」


「こんの! 避けんな!」



 ダークブラウンの髪と同じ色の瞳、白い肌には汗がうっすらと浮き、赤い唇がにやりと笑みをつくる。ところどころ包帯で巻かれた彼女は、片腕を吊った状態で、ぎゃあぎゃあと喚く少女に正対していた。



「もう! その場から一歩も動いたちゃだめって言ったでしょ! ずるい!」


「いや、しかしだな、ホリー。さすがに一歩も動かないは無理が過ぎると思うんだが」



 イザベルは、苦笑して、ホリーの木剣をサッとかわす。


 ホリーは気づいていないかもしれないが、イザベルの稽古を受けるうちに、彼女は格段に強くなっていた。このまま稽古を続ければ、いずれは王下騎士団団長も夢ではない。


 先行きが楽しみだなと、イザベルは密かに笑う。



「あ! 今笑った! バカにした!」


「はは、ホリーが真剣に稽古しているのがうれしいのだ」


「うっさい! あんたを倒すまでやめないんだから!」



 それはになるということだが。


 あの舞踏会の事件の後、イザベルは生死の境を彷徨さまよった。今までに何度も死にかけたが、今回は本当にやばかった。だが、結婚してまだ間もないのに、死んでたまるかと、なんとか戻ってこられた。


 まだ騎士団に復帰はできていないが、こうしてホリーと稽古できるようになれて、イザベルはホッとしていた。



「イザベルさん、あんまり無茶しちゃだめですよ」


「おう、クリフォード」



 イザベルが、ホリーの蹴りを小指で受けたところで、クリフォードが苦笑しつつやってきた。



「ホリーも手加減してあげないと。イザベルさんは病み上りなんだから」


「えー」



 ホリーが、不満そうにそっぽを向く。



「心配するな、クリフォード。この程度であれば、問題ない」


「この程度って! むっか!」



 なぜか苛立った様子で向かってくるホリーをイザベルがいなす一方で、クリフォードが首を傾げる。



「医者の話では、内臓がスクランブルエッグみたいになっていて、少なくとも3ヵ月は絶対安静らしいのですが」


「ははは、こんな怪我、飯を食って、訓練して、寝れば、3日で治る」


「……おかしいところが多すぎて、どう反応すればよいのか困るんですが、まぁ、あなたが大丈夫というのであれば大丈夫なんでしょう」



 はぁ、とクリフォードはため息をついた。彼は、武道に関しては一流なくせに、変に心配性なところがある。



「とにかく、あんまり無理をしないでくださいね。まだ式もあげていないのに、お嫁さんに死なれては困りますからね」


「そういえば、キャサリンも似たようなことを言っていたな。仲介したからと結婚式を仕切る気満々だったぞ。できるだけ豪華にすると、意気揚々としていた」


「そうですか。キャサリン様に頼むと面倒なことになりそうですが」


「あぁ、同意だ。あいつは、自分の楽しみを優先して、他人のことなど考えないからな」



 はぁ、とクリフォードとイザベルは揃ってため息をついた。



「まぁ、それは後で考えましょう。ちょうど、ブレンダがお菓子を焼いたところなんです。お茶にしませんか?」



 クリフォードが、にこりと笑って中にうながす。さっきまで怒っていたホリーであったが、菓子と聞いて、機嫌を直し、屋敷の中へと走っていった。


 イザベルは、ふぅ、と一度息を吐いた後に、ふと思い出したように、にやりと笑った。



「なぁ、クリフォード」


「はい?」


「そういえば、舞踏会に行く前から、試合をはぐらかされたままだったな。どうだ? 今から一試合?」


「……いやぁ、病み上りのイザベルさんと試合なんてできませんよ」


「ははは、気にすることはない。そうだな。おまえが勝ったら、おまえの言うことを何でも聞こう」


「いや、安静にしてほしいだけなんですが」


「私が勝ったら、そうだな」



 イザベルは、しばらく間を置いた。毎日試合をするとか、そんなことを言おうと思ったはずなのだけれども、ふと、まったく別の望みが沸き立ったのだ。



「キスを、してもらおうかな」


「え?」



 言ってから、イザベルは、カッと顔が熱くなるのを感じた。


 何を言っているのだ? 私は? 自分から性的行為を求めるなんて! これでは痴女ではないか!?


 イザベルが、思いっきり目を泳がせていると、クリフォードが首を傾げる。



「はぁ、何を言うのかと思えば」


「いや! 違うんだ! 今のなし!」



 慌てて前言の撤回を求めてあたふたするイザベルをよそに、クリフォードは、ぐいと近寄ってきた。


 間合いを一気に詰められて、ぐいと肩を抱きかかえられ、イザベルの体はぐいと彼に引き寄せられる。


 そして、


 突然のことに、イザベルは呆然として、ただ唇を奪われて、しばらくして、ボッと脳天まで熱が突き抜けた。



「な! 何をする!?」


「何って、キスですよ」


「バ、バカ! キスは私が勝ったらしてもらうと言ったのであって」


「何言っているんですか。キスくらい、いつでもしましょうよ。僕達は夫婦なんですから」


「にゃっ!? だ、だめだ、そんなの! 私達はまだ結婚して日が浅いし、言ってみれば、見習い夫婦なわけで、そんな破廉恥なことは」


「ふふ、やっぱりかわいいですね、イザベルさんは」


「なななっ、何を!? く、くっそ、おまえ、私をからかっているな! 許さんぞ! 勝負しろ!」


「ちょ、ちょっと、イザベルさん! 折れている方の腕は動かしちゃだめです! 落ち着いて!」



 痴話喧嘩ちわげんかは、しばらく続いたわけだが、さいわい、イザベルの傷口が少し開いただけで済んだ。


 この日の終わりに、イザベルは、結婚したのだなとふと思う。まだ、実感は薄いが、彼らのことを家族だと、そう思えるようになった。


 まだまだ嫁としては至らないところが多いけれども、彼らとだったらやっていける、ような気がすると、イザベルは、そっと唇を撫でるのだった。

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