第38話 夜のミルクティ

 変な時間に目が覚めてしまった。


 ホリーは、ベッドの上で、ごろごろと寝返りをうって、なんとか眠ろうと試みるけれど、変に目が覚めてしまって、眠れない。


 やっぱり、我慢して起きているべきだった。


 疲れていたのだ。朝から、イザベルに付き合わされて組手をして、ホリーは、もうへとへとであった。


 夕食を終えた後の眠気に、もう勝てなかった。シャワーを浴びて、ベッドの上に転がったら、そのまま眠りの底に落ちてしまった。


 結果的に、夜中に目が覚めて、暗い部屋の中で、ぼーっと天井を眺めるに至った。


 あの女のせいだ。


 ホリーは、毒づきつつも、再度の眠りにつけるきっかけもなくて、仕方なく身体を起こした。


 牛乳でも飲もうかな。


 ランプに光を灯して、ホリーは部屋を出た。暗い廊下と先の見えない階段。床の軋む音がホリーは苦手であった。


 階段を降りたところで、ホリーは、リビングに光が灯っていることに気づく。


 ブレンダがランプを消し忘れたのかしら?


 ホリーの家では、ランプに火を使っていない。魔鉱石で光を灯す。だから、火事になったりはしないのだけど、魔鉱石は消耗品だ。もったいない、とブレンダは、必要のないときは消している。


 ちょうどいいから、消しておこうと、ホリーがリビングに出ると、妙なものを見た。


 イザベルである。


 いや、彼女がいること自体はおかしくない。彼女もこの家に住んでいるのだから。妙だったのは、彼女が本を読んでいたことだ。



「ん? ホリーか?」



 イザベルは、ふとホリーに気づくと、本を閉じてテーブルの上に置いた。



「どうしたんだ? 眠れないのか?」


「うん、ちょっと」


「そうか。まぁ、そういう夜もある」



 いや、おおむねあんたのせいだけど。



「少し待っていろ。暖かい飲み物でも用意してやろう」


「え?」



 イザベルの提言に、ホリーは不安にかられた。彼女の料理スキルの低さは既にわかりきっていた。


 まさか、お湯を出す気だろうか。


 ありうる、とホリーは、げんなりとした。だが、タイミングを逸してしまって、今更断れない。


 まったく、この女に絡むとろくなことがない。


 かるいため息をつきつつ、ホリーは椅子に腰かける。テーブルの上に肘をつき、なんとなしにイザベルの読んでいた本に目を向ける。



「ねぇ、何でエヴァン神話なんて読んでいるの?」



 彼女の読んでいた本は、エヴァン神話、朝にホリーが読んでくれと頼んだ本だ。本だけではない。横に、何やら文字の書かれた紙。



「あぁ、ホリーが読んでほしいと言っていただろう。だから、勉強しているんだ。だが、なかなかうまくいかなくてな。ブレンダに頼んで難しい部分を教えてもらったんだ」


「ふーん」



 別に、それほど読んでほしいわけではない。クリフォードが帰ってくれば、いくらでも読んでもらえるし。


 でも、こんなに遅くまで、勉強をしているなんて、意外と努力家らしい。いや、あんな体になるまで自分の体を鍛え抜いたのだ。努力家に決まっているか。



「ほら、これを飲めばすぐに眠くなるぞ」



 ホリーが、ぼーっと本を眺めていると、イザベルがカップを二つ運んできた。



「紅茶?」


「ミルクティーだ」



 立ち昇る湯気から甘い香りが漂ってくる。カップの中では、茶色に白のミルクが渦を巻いていた。



「夜に眠れないとき、母がよく作ってくれた。私は、ダンスも楽器も、着飾ることも、母から何も学ばなかった親不孝者だが、これだけは覚えているんだ」



 イザベルは、思い出に耽るように、カップの中を眺めてから、一口啜すすった。ならって、ホリーも口をつける。


 紅茶のシャープな甘みの中に、ミルクのマイルドな甘みが揺れている。お腹の中から温まり、なんとなく、ほっこりとした心地になった。



「おいしいだろ?」


「まぁまぁ」


「そうかそうか」



 得意げな顔をするイザベルは、あまりに無邪気で同い年の少女のように見えた。



「しかし、ホリーはすごいな。その歳で文字が読めて、ダンスもうまく踊れて、何よりも強い。さすが、クリフォードの娘だな」


「ふん、あのくらい普通よ」



 実力差が雲泥ほどある者に強いと言われてもぴんとこないし、ダンスの方はイザベルが踊れなさ過ぎなだけな気もするが、褒められてわるい気はしない。



「いやいや、私がホリーくらいの頃は、字はほとんど読めなかったし、ダンスもへたっぴだった」



 ダンスは今もだけど。



「その代わり、強かったんでしょ。どうせ、剣ばっかりに振っていたに違いないんだから」



 子供の頃から、こんな筋肉質だったのだろうか。想像すると、少し怖いのだけれども。


 しかし、意外なことに、イザベルは首を振った。



「よく言われるんだが、そんなことはない。ホリーくらいの頃は、剣も握ったことがない、普通の女の子だった」


「……え?」



 そんなまさか。



「運動はからっきしだったし、身体も弱かった。親には、本当に迷惑をかけたよ」



 信じられない。


 だが、イザベルには、からかっている様子もないし、嘘をつく意味もわからない。


 ただ、とホリーは疑問に思う。



「じゃ、何で騎士になったの?」


「ん?」



 ホリーの質問に、イザベルはすぐには答えず、少し間を置いて、ミルクティを一口飲んだ。



「8歳の誕生日の夜、初めて舞踏会に行ったんだ」



 そして、イザベルは、ぽつぽつと語り始めた。

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