第二話 ヘケル

 とある宇宙に真ん丸で巨大な綿菓子が浮いている。大気圏の最外層を可視の気体で覆われた惑星、メシエである。

 十二ヶ月かけて白から青へ、青から白へと色を変える衛星――暦星こよみぼしの色を映す“外雲そとぐも”といわれるその気体を抜けると、果ての見えない空が広がっている。外雲に対し“内雲うちぐも”ともいわれる雲の上を、浮遊大陸と、翼を広げ飛翔する雄大な影がく。

 メシエは竜の星だった。雄大な空も、険しき山も、豊穣なる森も、流麗たる水辺も、深く茫洋な海も――すべては竜のためにあった。

 メシエという星が生まれて二〇〇一九年。今では他の星々からの移民種が九割を占め、多種多様な知的生命体――“”が共棲する移民星となっていた。


 メシエが未知の惑星だった頃、移民先遣隊の中に「怪物」と呼ばれた青年がいた。

 人間でありながらその身から赤き炎を生み出し、炎を操ることができた。

 彼の他にそのような人間は存在しなかった。

 その青年の名はヘリオス。明るく、優しく、強い心を持った英雄ヘリオスとして語り継がれている。

 ヘリオスと同じ、生み出し、操る力を持つ者を、今では“ヘケル”と呼んだ。


     1


 クエストから帰還してすぐ、アチキは医務室へ運ばれた。外からはリヴァイアサンと接触した左上腕に皮下出血がみられる程度であったが、診察によりそこから広範囲にわたって骨に罅が入っていることがわかった。大事をとってしばらくの間、医務室に併設されている療養所に入所することになった。

 翌日。アチキの元に集まる形で、イッサと担当教員のニクスが会していた。

「ランクⅤに繰り上げ!?」

 ベッドに身を預けているアチキが、驚きの声を上げた。

「正確にはランクⅣとランクⅤ、同時に修了した扱いだ。本来、リヴァイアサンに関しては別途対処するべき事案だったからな」

「……すごい、単位がこんなに……」

 イッサは自身の修得単位数が明記された書面を見て、目を丸くしている。

 ニクスは同様の紙をアチキにも渡した。するとアチキもまた目が飛び出さんばかりに驚き、

「これなら低ランクのクエストこなすだけでも卒業できちゃうじゃん!」

「ランクⅤの単位数がものすごいんだけど……」

 未だ書面を見つめたままのイッサが呟いた。

「ランクⅤは本来、実力のある生徒をさっさと卒業させて、現場で働かせるためにあるものだからな」

 さて、と、ニクスは続ける。

「こうなると就職について考える必要があるが……ヘケルを制御できない者を雇うほど、ガーディは甘くないぞ」

「はい……」

 アチキは進路を決めていないが、イッサは入学時からガーディへの就職を希望していた。

 卒業の危機を脱した矢先に新たな問題に直面し、イッサは気落ちした。

 そこへコツ、コツ、と近づいて来る足音。

 途端、ニクスが反応し、

「じゃあなフォレスト、スペーシルド。もう見舞いには来ないからな」

 珍しく焦った様子で去って行く。

 その背中に「えー、アカちゃんの薄情者ー」と、アチキが文句を投げていると、足音の主が現れた。

 前傾姿勢で脱力感のある男。丈の長い外衣を羽織り、肩下まで伸びた髪は櫛も通していないようだ。顔に掛かったそれから覗く目には、濃い隈ができている。

 一言で言ってしまえば怪しい彼は、医務室の常駐医ベリオ・チャーツ先生である。

「アチキちゃん、薬の時間だよ」

「げっ、あのゲロ不味いヤツ!?」

「女の子がゲロ不味とか言うもんじゃないよ」

 はい飲んで、と、コップで差し出されたのは黒くどろっとした――泥。

 アチキは震える手でそれを口へ運び、ちびっと口をつけた。

「ぐえぇ」

 それは女の子のする表情ではない。

 アチキは目尻に涙を滲ませながら「ぐえぇ」を連呼する。

 そんな薬だが、飲まなければ最短でも完治に一ヶ月はかかるところ、三日で動けるようになるという。飲んでも飲まなくても、というやつだ。

 そして飲む方を選択したアチキの「ぐえぇ」は続く。

 自分まで恐ろしくなってきたイッサは後退あとじさり、

「それじゃアチキ、お大事にね」

 そそくさと療養所を後にしたのであった。


 療養所を出てまもなく。イッサは進路のことを思い出して憂鬱になり、うつむきがちに歩いていた。

「イッサ」

 名を呼ばれ顔を上げると、数輪の花束を持ったハドが居た。

「こんにちは。アチキのお見舞いですか?」

「こんにちは。うん、そういうハドさんもお見舞い?」

「はい」

「その花、きれいだね。花屋さんまで行ってきたの?」

「そのつもりでしたが、道中、庭師のフランさんに会ったので、敷地の花を分けていただきました」

「庭師? ガーディに庭師なんて居たんだ」

「花を眺めているとよく会いますよ。時折ごちそうになるのですが、お茶を淹れるのが上手い方で……イッサはヘケルの制御で悩んでいましたよね?」

「え? うん」

「参考になる話が聞けるかもしれません」

 続く言葉が、イッサを動かす決定的なものとなる。

「フランさんも植物のヘケルなので」


 アチキが動けない内はクエストの予定を立てられないこともあり、イッサは庭師のフランさんを尋ねてみることにした。

 ハドによれば庭をぶらぶらしていれば会えるらしいが……。

 オールメーラ含むガーディ本部の敷地は、端から端まで六キロメートル。その中を歩き回っている徒を見つけ出すのが、そう容易であるわけがない。

 実のところ、庭師のフランさんことフラン・ティプランティエは、ガーディ内では幻の徒と云われている。そんな徒によく会うと言うハドは余程縁があるといえる。自身は無自覚だが。

 そうとは知らず捜し歩いて二時間。イッサはふらふらになっていた。

「……全然……みつからない…………」

 これ以上は歩けないと、イッサは芝の丘に倒れ込んだ。

「もう少し……詳しい場所、訊いておけばよかった……」

 ふぅー……、と、長い息を吐くと空を見上げた。

 内雲うちぐも一つない淡青の空を、小型の竜が飛んでいく。

 イッサは二時間前、ハドと別れ際にした会話を思い出していた――


「あっ、あのハドさん」

 医務室へと歩き出していたハドが振り返った。

「ハドさんはもう就職先って決めてるの?」

 ガーディにはヘケルでなければ就くことはできない。必然、ハドの就職先はガーディ以外ということになる。

 ハドは半身イッサに向き直り、答えた。

「ゾディアックに内定をもらっています」


(ゾディアックもヘケルが制御できないんじゃ雇ってくれないよなぁ)

 入学以前からガーディを目指してきたイッサだったが、意識せぬ内、もう一つの選択肢を思い浮かばせていた。

 イッサは瞼を閉じた。

 冷たい空気が火照った身体を冷やしていく。

 そのまま眠りに落ちそうになる。

 と、風はないのに周りの芝がうごめきだした。

「おや?」

 そこへ声が降り注ぐ。

「君、こんな所で寝ると風邪を引くよ」

 眠たげに瞼を開けると、優しげな顔の青年が立っていた。年齢からしてオールメーラの生徒ではないようだが、ガーディの制服も着ていない。

 青年はイッサに手を差し伸べた。

「あ、ありがとうございます」

 手を取り、イッサが起き上がると、芝が静かになった。青年はそれをちらりと見やると視線を戻した。

「こんな所でなにしてたんだい? 天気がいいとはいえ、外で昼寝をする季節じゃないだろう」

「その、庭師のフランさんって方を捜してて……」

「そうだったのか。それなら僕のことだよ」

「えっ?」

 青年は柔らかく笑って言った。

「僕が庭師のフランさんだよ」


     2


「ああ、〈春の乙女〉の紹介だったのか」

 色ガラスを通して陽が射し込む温室。外套がいらないほどに暖かい。

 外で立ち話はなんだからと、イッサはフランが管理しているそこへ案内されていた。イッサはモザイクタイルのテーブルと揃いの椅子に腰掛け、フランはお茶を淹れている。

「〈春の乙女〉……? ハドさんのことですか?」

「そう。ペルセポネは「春の乙女」という意味だからね。〈無敗の女王〉というより僕は好きなんだ」フランはカップにお茶を注ぎながら続ける。「彼女、花が好きなのかよく眺めているんだけど、彼女に見つめられると花たちが照れると言ってね。どうにかしてほしいと呼ばれるんだ」

「花に……?」

(不思議なことを言う徒だなぁ。でも、ハドさんに見つめられて照れるのはわかる)

「頻繁に呼ばれるから茶飲み友達になってしまったよ」

 どうぞ、と、フランはお茶を注いだカップをイッサの前に差し出した。

 イッサが礼を言っている間に、前の席に座ったフランが本題を切り出す。

「それで、どうして僕を捜していたのかな?」

「その、俺、植物のヘケルなんですけど、制御ができなくて。それでフラン――ティプランティエさんも植物のヘケルだって聞いて……」

「はは、名前、長いでしょう? フランでいいよ」

「あ、はい」

「イッサくん……だったね。イッサくんはヘケルをなんだと思う?」

「? …………特定の物質を生み出したり、操ったりできる、徒もしくは力のことですよね……?」

「うん。その認識で間違ってはいないよ。じゃあ、どうしてヘケルはそんなことができるのか、考えたことはあるかな?」

「えっ……いえ……ただ、細胞が変質しているから、って本で読んだ気が」

「そうらしいね。僕も聞いた程度の知識しかないから、実際どうなのかは知らないんだけどね。あはは」

(え、えぇ~?)

「僕の個徒こと的な考えだけど、ヘケルは植物みたいなものだと思うんだ」

「植物?」

「植物は光合成で酸素を生み出すだろう。そして自身で生み出したかどうか関係なく、呼吸して酸素を力としている。植物にとっての酸素をいろいろなものに置き換えたら、ヘケルになると思わないかい?」

「言われてみれば」

「それでイッサくんの悩みに繋がるんだけど、植物はそれらを意識的にやっていると思うかい?」

「……いえ」

「ヘケルを使うのも同じ。意識的にでなく――それこそ息をするのと同じだね。君は今、意識し過ぎて、息の仕方がわからなくなっているんじゃないかな」

 意外に、意識していると呼吸はぎこちなくなるものだから、とフラン。

「…………」

 イッサはいまいちぴんと来ていなかった。意識せずにヘケルを扱えた覚えがなかったからだ。

「もしかして、使うことにでなく、押さえつけることに意識を回しているのかな?」

「えっ。……どっちかというと、そうだと思います。俺、昔から自分の意思に関係なくヘケルが発現して……ヘケルを制御できないヘケルなんて怖がられるだけだし……って」

 それを聴いてフランは、

「あはは」

 笑った。

 何故笑われたのか、わからずイッサは啞然とする。

 するとフランは言った。

「君は草木に愛されているね」

「愛されてる……?」

「君の意思に関係なく現れる植物、見覚えのあるものばかりじゃないかい?」

「……言われてみれば」

「その子たちは君のことが心配で出てきているんだよ」

 思いもしない言葉だった。またも啞然としているとフランが続ける。

「さっき君を見つけたときも芝の声が聞こえてね。『イッサ、ここで眠ったら風邪を引いてしまうよ。起きて』って。君は気づいてなかったみたいだけれど」

「…………」

 ぽかーんとしているイッサの顔に、フランは「あはは」と笑う。

「一気に話し過ぎたかな? 一つだけわかってほしいのは、草木は君を困らせようとしているわけじゃないってこと。草木は君のことが大好きで、いつも君に語りかけている。――君からも歩み寄ってみて」


     3


 またいつでもおいでと言われ、イッサはフランと別れた。

 温室の中に居て気づかなかったが、少し風が吹き出していた。

(鉢をもらってしまった)

 イッサはフランにもらったまるっこい鉢を見つめていた。土が入っているだけで、なにも生えていない。フランが言うには種が埋まっているらしいが、

 ――「なんの種かは育ててみてのお楽しみだよ」

 とのことだ。

 しばし歩いたところでふと顔を上げる。と、藍色の髪の少女が花を見つめていた。

「ハドさん」

 呼ばれてハドが振り向いた。心なしか花がほっとした気がする。

「イッサ。フランさんには会えましたか?」

「うん。ハドさんは散歩?」

「そんなところです」と、ハドはイッサの持つ物に目を留めた。「かわいい鉢ですね」

「フランさんにもらったんだ。なんの芽が出るかは教えてくれなかったんだけど」

「それは楽しみですね」

 鉢から芽が出る頃、この少女はその芽を見せられる距離にはいないのだろうな。

 そんなことを胸に浮かべながら、イッサは返す。

「そうだね」

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