第5話 ハーイ、ハニー
イケメンサキュバスの青年はアタリとリリーが並んで座っているカウンター席をするりと抜けて、なぜかリリーが座っている方の隣の席に腰かけた。
「やあ美しいレディ。ボクの名前はサキュバス。美しい女性の前に現れ、その女性と一晩の恋をするために生生まれてきた恋の悪魔さ」
「れ、レディーだなんて。ややだなあ」
「呼ばれなれてないのかい? それはきっと、周りの男たちに目がなかったんだね。君はとっても美しいよ、マイハニー」
キザキザしく金髪の悪魔は前髪をかきあげて、キラリと輝く白い歯を覗かせ怪しく微笑んだ。
「ボクも、キミと同じものを飲んでいいかな?」
「え、ええいいわよ?」
サキュバスは慣れた様子でリリーと同じもの、泡立つビールをカウンターのママに注文した。
その様子を横から覗いていると、サキュバスの中性的な横顔と白い肌が伺えた。
ほっそりした首筋。細い顎、男性にある小さな喉仏が、サキュバスが声をあげるたびに小さく動く。
透き通るような声。高くも低くもない声の響き。
氷のように冷たく、危険な、どことなく影を感じる男の雰囲気。
「君と出会えたこの奇跡に、乾杯」
サキュバスはリリーにビールジョッキを掲げると、泡立つビール瓶の中身を勢いよく飲んでいった。
ゴクゴクと美味しそうにビールを飲み干していく姿に、リリーは男らしさを感じた。
瓶を持つ大きな手。飲むたびに上下に動く喉仏。女にはない特徴。なのに女性よりも女性らしいきめ細かな肌。
ビールを飲み干した後、美味しそうに息をついたとき、彼の匂いがとても甘そうに感じられた。
露骨に危険な香りのするサキュバスに、リリーはちょっとイジワルをしてみたくなった。
「サキュバスはいつもそうやって、ここにくる女の子を口説いてるんでしょう?」
「そんなことはないさ。ボクはたまたまこのお店にやってきた、ただの流れ者さ。ボクがここにいるのは偶然……いや、キミに逢うための運命の必然だったのかもしれないよ」
なかなかにナルシズム全開の言葉にリリーは心の中で苦笑したが、まあそう言われても悪い気はしないかな、と思った。
悪気はなさそうだもんね。
「私は別にあなたに逢いたかったわけじゃないけど?」
「運命とはそう言うものさ、レディー」
ナルシストロマンスサキュバスは、犬歯を覗かせながら微笑んだ。
「ある日まで互いに何も意識していなかった二人が、運命を境に互いに心惹かれ合い、いつしか他には代え難い世界で一つだけのパートナーになることだってある」
「ロマンチストねぇ」
「そう、ボクたちは」
ロマンチスト・サキュバスはグラスを掲げた。
「ボクたち夢魔は、キミたちが夢を見ているほんの小さな世界の中に生きている。夢魔は昼の労働や厳しい冒険に疲れたキミたちをいやし、慈しみ、愛して、またキミたちが目覚めていつかまた夢の世界に戻ってくる日を……」
チューーゴボボボボボ!
話が長くなりそうだったので、アタリが思いっきりストローで音を立ててサキュバスの話をぶった切った。
アタリは、ストローでビールを飲む派だった!
「はーなーしーがーなーがーいー」
べつにビールを飲んでようが飲んでなかろうが、ストローで息を吹き込めば音はなる。
カウンターに置いてあったセルフサービス用のストローをわざわざ手にとってビールグラスに突っ込んでいたアタリは、口元を白い泡で汚しながら、汚れた口元を袖でクッとぬぐい、屈託なくにへらと笑った。
「ボク達これから、地下神殿のハデスをやっつけにいくんだ! サキュバスもいく?」
「オー、キミ達は地下神殿に行くんだネ! ここから地下神殿は遠いし、途中には凶暴なモンスターたちがいるよ?」
「えーそうなのー!? こわいなあ〜。ねえ、どうするリリー?」
「あんたがさっきファイアで吹っ飛ばしてきた森が、その凶暴なモンスターの盛りよ」
「ワァオ、じゃあキミたちはもうモンスターをやっつけてしまったんだネ!」
リリーの助言にサキュバスは苦笑しながら、少々おどけた調子で驚いてみせた。
「レディーはツヨいんだね! ボクはキミみたいな、ツヨい女の子も好きだよ」
「そんな、好きだなんてー……」
アタリがさも乙女のように顔を赤らめ恥ずかしがる。
「ぼ、ボクはどっちかっていうと、強い男の人に守ってもらうのが、好きかな」
「ハハハ、それならボクが役にたつかもしれないネ。表に出ているフィールドマップにはそれほどツヨい魔物はいないけれど、ハデスの地下神殿にはもっと強力なモンスターたちがいる。森のモンスターたちは、いわばメインディッシュの前の前菜やフルーツジュースのようなものさ。オーケィ! ボクは夢魔だけど、ボクの持つパワフルな特技を使えば、きっとキミたちの冒険を手伝ってあげられるかもしれないネ!」
「あら、ついてきてくれるの? それはとっても嬉しいけれど……」
リリーはアタリ一人を地下神殿に連れていくだけでも、けっこうイッパイイッパイになっていた。
つまり、MPゼロ。心の余裕ナシ。魔法とかつかえない。もともと使えないけどそれはそれ、見ればとても華奢そうなサキュバスはパーティに加えてもお荷物にしかならなさそうだった。
「前衛はムリそうよね。あなた魔法は使えるの?」
「オゥ、マイハニー。魔法は任せてくれヨ。どんな女の子も、ウィンク一つでメロメロにしてあげるヨ。もちろん男の子だってイチコロさ」
「じゃああなたは後衛ね」
「後ろは任せて欲しいネ」
「ママ、そういうことなんだけど。すこしこの子を借りていってもいい?」
リリーはスタンドテーブルの向こう側に立つ、年季の入った熟女ゴーゴンのママを見た。
「べつにいいよ。どうせここにいたって、お客さんは来ないからね。たまには外に連れてってもらうのもいいさ」
やったじゃんー! と、アタリがサキュバスの肩をバシバシと叩き始めた。
サキュバスは本気で痛そうに肩を守っていた。
アタリはハデスをやっつけに行くと言っているが、正確にはリリーがハデスに貢物を持っていく旅だ。
洞窟に入り最深部の地下三階にあるハデス様の神殿前に、定期的に荷物を持っていく。
荷物の中身はなんてことのない「光るオーブ」だったが、それを代々ハデス地下神殿に捧げるのがリリー一族の使命である。
ハデス地下神殿、地下一階の守護女神、リリー・アトマスフォルソ・モンステ・デーンロー・アクタ・チャス・ペソソ13世当主。
長い名前なのでたぶん二度と書かないだろう。かつてこの地を侵略してきた勇者たちに、果敢に戦いを挑み地下神殿への侵入を一分間遅らせた功績を称えられ地下一階の守護者と周辺一帯の雑魚モンスターの統括を任された由緒正しき血族である。
リリーはお嬢様である。
最近は人間とモンスターとの戦いもなくとても平和であったが、リリー家は武闘派モンスターの末裔。
中級魔族のサキュバスを従え、人間の魔導少女アタリを連れて、リリーはいざ和食割烹酔いどれ公爵夫人亭「ぼいん」のドアを開け放した!
まぶしい太陽!
青い空!!
今日は絶好の、ぼうけん日和!!
「あうちッ!!!!!」
夢魔サキュバスの白い肌が太陽に焼かれ、さっそく魔物一名がパーティから脱落したっ!!!!!
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