第4話 和食割烹 よいどれ公爵夫人亭「ぼいん」

 タイトルに書いてある通り。

 軒先に吊るされる赤提灯には、そのような文字がデカデカと書いてある。

 リリーはひらきかけた引き戸をピシャリと閉めた。

 一度閉められた引き戸をアタリが、勢いよく開ける。

「ママさんやってる?」

「あ〜ら、アタリちゃんいらっしゃいナ」

 開いた引き戸の向こうに、気だるそうな濃いピンク色の世界、タバコの煙、場末の飲み屋独特の安酒の瓶のタワー、この店の店主の五十越えのバツイチゴーゴンの顔がのぞいた。

 ゴーゴンとは、下半身がヘビ、上半身が美女(だった)の下級魔人種だ。


 リリーはもういちど、ピシャッと引き戸を閉めた。


「ちょっとアタリなんでアンタが店選んでるのよ! ここ明らかに居酒屋じゃない!」

「えーもー疲れたよー」

 なぜかアタリがリリーの袖をつかみ、ずるずると下へ引きずる。

 下から見上げるアタリの顔はなぜか日に焼けたように真っ赤で、どこか切なそうな、そして、何か思いつめたような顔で。


 二人の間に流れる風もどこかしめっぽく、暑く、真夏のじっとりとした水気が汗と混じり、リリーの麻の服をしっとりと濡らした。

「ボクもうこれ以上歩けないよ。ふたりで休めるならもうどこでも、ね?」


 とつぜんの色っぽい雰囲気にリリーが固まっていると、ガラッと引き戸が開いて中からバツイチゴーゴンのママさんが顔を出した。

「……布団つかうなら二階に上がんな」

「ち、ちちち違うって!」

「フン、まあいいさ。あがっていきな」

「よくないっ!」

「店の前で若いのに乳繰られてもこっちは商売にならないんだよ。さあ上がった上がった」


 ガラガラーっと居酒屋の引き戸がしめられ、リリーとアタリは言われるがままに店内に入った。

 さすがに二階に上がれという言葉は冗談だったらしいが、店の奥側にはたしかに二階の狭いお座敷席へ続く急な階段がある。

「おふたりさんご注文は?」

「ボク、とりあえずナマー!」

 ゴーゴンママが気だるそうに注文を聞くと、アタリはカウンター席へ着くなり元気よく答えた。

 しぶしぶその隣にリリーも座ったが、まず何をどう頼んでいいのかよく分からない。

「じゃ、じゃあ私も同じのを頼んじゃおうカナ」

「はいよー。生二つねー」

「あれ〜ッ、リリーってこういう店来るの初めて?」

「まっさかー」

 ゴーゴンママが奥に声をかけるのを耳にしつつ、リリーはちょっと棒読みになりながら、どこからともなくツツツーと出されたお通しの皿にリリーは箸を進めた。


「んっ。このフキの煮付け、おいしいっ」

 リリーがお通しを褒めると、ゴーゴンママは長いキセルをすっぱぁぁぁぁぁーーーッッッッと吸い上げ長くて白い煙を口から吹いた。

「そうだろう? これ食べていっぱい飲んだら、子供はさっさと帰んなっ」

「こーどーもーじゃーなーいー!」

 ママの言葉にアタリが猛烈に抗議して、リリーもウンウンと頷く。

 珍しく気があうじゃないか。

「ドーゾ、生ふたつネ!」

「んん? だれアンタ?」

「ワタシ、ママサンに雇ってもらってる、この店の給仕ね!」

 アタリとリリーに泡立つ麦ジュースを持ってきたのは、ひねくれた金髪を肩より長く伸ばした細身のイケメン、緑色の瞳に、細身だがよく引き締まった、インキュバスだった。

「ハァイお嬢さん。ボクにも一杯もらえるかな?」

「すごーい! リリー見て見て! イケメンだよ! 新キャラだよ! 」

 アタリがギャーギャー騒いでいるなか、インキュバスの青年はなぜかリリーだけを見て小さくウィンクした。

 なぜだかリリーは、頬のあたりがぽっと熱くなるのを感じた。

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