お妃様と鏡とラーメン

青樹加奈

第一章 鏡

一 鏡、誕生す

 昔々ある所に美しいお妃様がいました。

 ある冬の夜、お妃様は魔法の力を使って鏡を作っていました。何日も煮とかした材料が釜の中でドロドロに溶けています。今夜は溶けた材料を鉄枠に流し入れる日です。お妃様はドロドロに溶けた材料を見て、後一時間くらい煮ればいいだろうと思いました。

 その時です。

 パラリ~ララ、パラリラララ

 何やら音が聞こえてきます。同時にとても美味しそうなスープの匂いがどこからともなくしてきました。

 お妃様は侍従長を呼んで言いました。


「何やら笛の音が聞こえるが、物売りが近くにいるのか?」

「はい、あれはチャルメラという楽器でございまして、最近この辺りを回っているラーメン屋が吹いているのでございます。」

「ラーメン屋?」

「はい、屋台でラーメンを売っているのでございます。調理器具を、こう何と申しますか、移動式の車に積みまして、ラーメンを作っては人々に売っているのでございます。先日、私も食しましたがこれがなかなかのもので、大変おいしゅうございました」

「そのラーメンというのはどんな食べ物なのだ?」

「細い平たい麺がスープの中に浸かっているのでございます。それを箸という二本の棒ですくって食べるのでございます。麺にスープが絡まりましてなかなかの美味でございました。また、麺の上には焼豚というハムのような薄切り肉とネギを刻んだ物、煮卵が乗っているのですが、これがまたおいしゅうございまして」


 お妃様はラーメンを食べてみたくなりました。


「その者を中庭に通せ。ラーメンなる物、食してみようぞ」


 侍従長は、ははっと畏まり、城の門番にお妃様の命令を伝えに行きました。

 やがて、ラーメン屋が中庭にやってきました。

 その様子を窓から見下ろしていたお妃様は侍従長が食べたラーメンと同じラーメンを作ってもってくるように言いました。自ら屋台に出向いて食べればいいのですが、そこは高貴なる血筋の女性ですので、下々の者のように屋台の椅子に腰を下ろして食べるわけには参りません。

 やがて運ばれてきたラーメンは銀の盆に乗せられスープが冷えないようにドーム型の蓋、クロッシュがかぶせてありました。

 お妃様は鏡の製作途中だったので、釜の前にあるテーブルで食べる事にしました。

 お妃様は箸を見て、二本の木の棒でどうやって食べるのだろうと不思議に思いました。使えない道具より慣れた道具です。お妃様はフォークとスプーンを取り上げました。

 まずスプーンでスープをすくってみました。先ほどから良い匂いがしていましたが、鼻先にスープを持ってきたらこれがまたなんとも美味しそうです。うっすらと湯気が出ています。ふぅっと息を吹きかけ冷ましてから口に運びます。口に入れた途端、ぱあっと美味しさが口一杯に広がりました。


「ほう」


 あまりの美味しさにお妃樣はしばし絶句しました。


「侍従長、これはなんと美味いスープじゃ!」


 さらに麺をフォークに絡めて食べます。麺の歯ごたえがたまりません。

 麺の上に乗っている薄切り肉、煮卵と順番に食べるお后様。スープの香り、麺の歯ごたえ、薄切り肉とスープのコラボレーション。どんな調味料で味つけたのか、煮卵の独特の風味と美味しさ。どこをどう食べても新しい味、今まで味わった事のない芳醇な味に、お妃様はすっかりラーメンに夢中になってしまいました。




 チリンチリン

 ベルが鳴りました。鏡の材料が煮上がった合図です。

 ですが、ラーメンに夢中になっているお妃様は気がつきません。

 チリチリン、チリチリン

 ベルの音がだんだん早く大きくなります。

 ジリジリジーーーーン

 ここにきてようやくお妃様はラーメンの呪縛から我に返りました。

 釜の材料を鉄枠に流し込むスイッチを押さねばなりません。タイミングが狂うとちゃんとした魔法の鏡が出来ないのです。お妃様は慌てて立ち上がり壁に駆け寄るとスイッチを押しました。

 その時、マントがひっかかってしまったのです、ラーメンの丼に入っていたスプーンに。

 スプーンはポーンと飛んでスープや麺、ネギ、黄身のかけらなどと一緒に鏡の材料の中に!

 しかし、お妃様は後ろを向いていたのでまったく気がつきませんでした。

 鏡はラーメンの材料を飲み込んだまま鉄枠に流し込まれ冷え固まってしまったのでした。

 魔除けの銀で出来たスプーンは溶けることはありませんでしたが、その他の食材は鏡の材料に混じってしまいました。

 鏡の入った鉄枠が何本もの鉄輪の上を移動して行きます。ゆっくりと冷えた鏡は鉄枠から外されマホガニーの枠にはめ込まれました。侍従達が鏡を持ち上げ壁にかけます。


「これはなんだ!」


 お妃様が叫びました。

 スプーンの柄が鏡のまん真ん中から突き出ているのです。

 じっとスプーンの柄を見ていたお妃様は、ハッとして振り返りました。ラーメンの丼にスプーンがありません。足元を見るとマントの裾が何やらキラキラと光っています。ラーメンのスープが裾にかかった跡です。


「これはなんとしたことじゃ! 妾のマントが引っかかったのか?」


 お妃さまは慌てました。急いで鏡に話しかけます。


「鏡よ、鏡。気分はどうじゃ?」


 しかし、鏡はシーンとしています。ウンともスンとも言いません。


「何故じゃ、何故返事をせん?」


 お妃様は鏡に向かって大声を出しましたが、鏡は返事をしません。何度も何度も呼びかけましたが、返事はありません。疲れ果てたお妃樣は休むことにしました。




 翌朝、お妃様はもう一度鏡に話しかけました。しかし、何の反応もありません。お妃様は侍従の一人に「鏡に何か変化があったら知らせるように」と言って公務に戻りました。

 大広間に行く廊下を歩きながら、中庭を見下ろしたお妃様は侍従長に言いました。


「昨夜のラーメン屋はいかが致した?」

「はっ。あの者は材料がなくなったからと夜の内に城を出てまいりました。夜になればまた売りにくるのではと思います。」

「そうか、では見かけたら知らせるように。褒美をとらせたい。実にうまい麺料理であった」

「ははっ、承知致しました。の者もさぞ喜ぶことでしょう」




 それから、数日後。

 鏡を見張らせている侍従からは何の知らせもありません。


「まだ、鏡に変化はないのか?」


 業を煮やしたお妃様が製作室の扉を乱暴に開きながら言いました。


「はい、まだでございます」


 侍従がお妃様の剣幕にたじたじとなりながら言います。

 お妃様は鏡に近づきました。鏡の表面を観察します。鏡の真ん中から突き出たスプーンの柄が邪魔です。

 お妃様はもう一度鏡に話しかけることにしました。これで何の反応もなければ、鏡を壊そうと思いました。


「鏡よ、鏡。気分はどうじゃ?」


 何の反応もありません。お妃様が諦めかけたその時、鏡の表面にさざ波が立ちました。


「こんにちは、世界! とてもいい気分でございます!」


 お妃樣は狂喜しました。とりあえず、魔法の鏡が動いたのです。まるで自作パソコンに初めてOSをインストールした時のような気分です。


「そうか、それは重畳じゃ。そなたを作るとき、手違いがあっての。スプーンがそなたの中に落ちてしまったのじゃ。支障はないか?」

「はい、大丈夫でございます。お妃様。全く問題はありません。質問をどうぞ」


 お妃樣は大喜びです。見掛けはスプーンの柄が出っ張っている奇妙奇天烈な姿ですが、性能は問題無いようです。

 お妃樣は早速あの質問をしました。


「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰じゃ?」 


 鏡の表面にさざ波が立ちました。


「申し訳ありません、お妃樣。その問いにはお答えできません」


 お妃様は当惑しました。


「何故じゃ、世界中の鏡、水、金属に映るすべての物を知るように作ったというのに。世界中の美女と妾を比べればいいだけではないか? 何故、できないなどというのだ?」

「私、世界中のラーメン屋ならどこが美味しいかお答えできます。しかし、美女かどうかは……」

「はあ? なんとしたことじゃ。さてはそなた、ラーメンお宅じゃな!」

「左様でございます。世界中にあるどのラーメン屋が美味しいかという問いなら、即座にに答えられますよ」


 鏡は得意そうにそっくりかえりました。

 お妃樣はがっかりしました。


「どこのラーメンが美味しいかなど、そんな事を知ってどうするというのじゃ、何の足しにもならんではないか。第一、どうやってそのラーメン屋に行くのじゃ」

「行かなくても、お妃樣ならお取り寄せできますよ、魔法の力で」


 鏡が助言します。

 お妃様は先日食べたラーメンの味を思い出しました。この世に二つとない程の美味しさでした。


「ふむ、確かに」と納得した後でお妃様ははっとしました。

「何をいうか! ちゃんとした魔法の鏡をもう一度造らなければならんというのに、ラーメンを食べている場合か!」

「ですが、美味しい物を食べたら元気が出ますよ。きっと、もう一度鏡を作る気力が湧いてくるに違いありません!」


 鏡の説得にお妃樣は、ラーメンをお取り寄せすることにしました。お妃樣の持っている魔法の道具の中に「お買い上げボックス」というのがありました。電子レンジよりやや大きめで、買いたい物がおいてあるお店の名前と住所(電話番号のみでも可)を魔法の言葉で入力すると、そのお店と繋がってお買い物ができる箱でした。縦横奥行きが五十cmほどの大きさまでならこの箱でお買い物ができます。

 鏡は早速お妃様にウンチクを垂れ始めました。


「ラーメンというのは、大陸の東の果てにある島国、日本で食べられている料理でして」

「説明はいいから、お前が推薦する店はどこじゃ」

「そうでございますね。お妃様のような白人三十代…」


 ここで侍従長が咳払いをしました。お妃樣が険しい顔で鏡を睨んでいます。鏡はハッとして慌てて言い直しました。


「えー、に、二十代女性に好まれる味ならば、最近ニューヨークに出店した十風屋がよろしいでしょう。ニューヨークで一番美味しいラーメン店です」


 お妃様が鏡推薦の店の電話番号を魔法の言葉でお買い上げボックスに入力します。ベルがリリリとなってドアが開きました。

 箱を覗き込むと、奥の方に店の様子が見えます。怖そうな顔をした男が覗き込んでいます。


「注文は?」


 ダミ声で男がきいてきました。どうやら店員のようです。鏡が即座に答えました。


「白大丸、麺は普通で」


 男が早速ラーメンを作り始めたようです。


「支払いは?」


 お妃様がモバイル端末をかざしました。店の非接触型リーダーがお妃様の端末を読み取ります。お妃様の持つ魔法のモバイル端末はお妃様の財産から自動的に支払い先の通貨で支払いをします。レートや通貨の種類も自動的に計算され選択されます。

 支払いが終わると、箱の中にラーメンの乗ったお盆が置かれました。侍従長が静々と盆を取り出します。テーブルに運ばれたラーメンにスプーンとフォークが添えられました。

 お妃様は早速食べてみました。

 豚骨スープといい麺といい、麺の上に乗っているステーキのような厚切りの焼き豚といい、中々の物です。スルスルと完食してしまいました。

 お妃様は、先日食べたラーメンの味を思い出しました。あれには劣るがこのラーメンも中々のものだと思いました。


「いかがでしたでしょうか? 豚骨味のラーメンは? ラーメンには醤油味、塩味と種類が豊富にありますが、他のラーメンも味わってみませんか?」


 鏡の熱心な勧めにお妃様は他のラーメンも食べてみたくなりました。ラーメンには食べれば食べるほど、もっと食べたくなる。そんな魔力がありました。お妃様は鏡に勧められるまま、お取り寄せをして食べ続けました。冬が終わって雪が溶けても食べ続けたのです。


(どのお店のどんなラーメンが美味しかったか、については、読者の皆さまにお任せします。一応、ネットや某●シュランガイドを参考にしたのですが、ここはやはり読者の皆さまの豊富な知識と経験にお任せしたいと思います。決して、サボったわけではありません。by 作者)



 そして、恐ろしい事が起こったのでした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る