おっさんを手のひらで転がす方法
松本優華
プロローグ 〜 わたしたちの業務。
週末金曜日の朝一で窓口にて応対した市民は、平成30年度の国民保険料について疑義があると抗議に来た四十代の男性だった。
窓口の椅子へ座るなり、踏ん反り返って、国民保険料の納入通知書をこちらへ投げてよこして来た。
「姉ちゃん!! これなぁ、どない考えてもおかしい思うんやけんどよぉ!!」
わたしを睨みながら凄みを効かせて来る。
(カーン!! ラウンドワンッ!! ファイッ!!)
心の中で「試合開始」のゴングが鳴る。
とは言え、わたしは直接闘う訳ではなくて。
「ちょっと待っとって!!」
男性が物を言うのを制止して、わたしは介護保険係のシマへ彼を呼びに行く。
「おっちゃん、来て。喚いてる!!」
机にしがみつくように座って、目を細めながら書類確認をしている「おっちゃん」こと
「よぉ? おぉ、解った。行くわ」
おっちゃんは自前の紺の事務服を羽織ると、国保窓口で相変わらず態度の悪い男性を見据えるようにゆっくりと歩き始めた。
「ちょっと、末さん!!」
介護保険係の
「オドレ、なんじゃい!?」
おっちゃんへ対してもオラつく男性に怯むことなく、スッと名札を見せて
「おはようございます。私、末言いますぅ」
少し腰の低い感じで声を出したけれど、人を喰ったような半笑いの顔付きで相手を見据えているのが解る。
「オドレ、こいつの上司かぇ!?」
なんや、こいつ。こいつにこいつ呼ばわりされる筋合いないわ。
だけど、それを口や態度に出すわけにはいかないから、わたしはおっちゃんの一歩後ろで嫌味なぐらいニコニコしてやることにした。
おっちゃんは座りながら、
「前、失礼しますねぇ。えっと、私、上司やないんですよ。ちなみに係もちゃうんですわ」
変わらず半笑いのまま言う。
「ほな、なんで出てきたんどいや?」
「いやいや、朝から大きい声出してはるからどないしたんかな思いまして。他のお客さんビックリしますやん? もちろん、私もビックリしてます。それに、ここの係長、ヘタレやからすぐに出て行かへんのですわ」
おっちゃんが静かにそう言うと、男性は「ぷはっ!!ハッハッハ!!お兄ちゃん、なかなかおもろいやんけ!!上司に向かってヘタレて!!ハッハッハ!!」
つい今し方まで興奮していたのに、おっちゃんの一言で大口を開けて、手も叩きながら笑い出した。
一瞬で国保窓口に張り詰めた空気が和んで行く。
「いやぁ、ホンマにおもろい兄ちゃんやな。お姉ちゃん、大きい声出してすまんな。いや、ちゃうねん、ワシなぁ、去年の暮れから今日まで収入あらへんのに、去年に比べてなんでこないに高なっとんか思てなぁ・・・」
さっきまで不動明王みたいな顔付きだった男性の顔が可愛らしく緩む。
「左様でございますか。それでは、お客様の、今年度の保険料につきまして、担当の
おっちゃんは男性が投げてよこして来た納入通知書を両手で持って、ゆっくりと中身を取り出し、書類を広げてわたしの前へ置いた。
わたしは彼へ笑顔で頷き、男性の目を真っ直ぐに見つめて、
「お客様の、今年度の保険料につきましては、前年度の所得を基に計算を致しました結果・・・」
保険料の賦課説明云々については長くなるので、積極的に割愛させていただきますとして、かなり説明は下手だけど、わたしとおっちゃんの職業は地方公務員だ。
区役所の国民保険課所属。わたしは収納係で、おっちゃんは介護保険係。
お互い係は違うのだけれど、さっきみたいにわたしが窓口当番で来庁した市民が声を荒らげると必ずやって来てくれる。
いつも介護保険係の伊坂ほなみ係長には「係が違うんだからね!!」と注意を受けてるけど、わたしはどこ吹く風で「はーい」と空返事ばかりしている。
これから始まる話はわたしとおっちゃんとの1年間の物語である。
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