ジグリア
ヒツジ
1-1 駆ける×惑う 気まぐれに減速する
有明ポート駅から数分歩いた場所に、初心者向けの小規模ダンジョン〝カノープスの居城〟はある。
外観こそ周囲の景観を損ねないようガラス張りのオフィスビルを模しているが、その中にはRPGさながらの古びた石の城が存在していた。石造りの底冷えする寒さに加えて、あちこちから海風が吹き込み、冬のナンバーワン不人気スポットとして悪名高いダンジョンである。
この不人気スポットでなら、人目をはばからず練習できるだろう――そう考えてわざわざ一月終わりの水曜日、それも真昼間に城を訪れたアマネは、初期形状のままのヘッドギアを装着してプレイヤーカードを無人受付機にかざした。
画面に短く情報が表示される。
――
そう、流行に乗り遅れて、レベル3のまま高校生になってしまったアマネでも。
軽やかな認証音が鳴って、画面がプレイヤー情報からホームに切り替わる。
Welcome to JIGRIA.
画面の右下には、小さくシリウス社のロゴが光っている。
★
孤高の物理学者が突如として発表した、あらゆる物質に擬態可能な万能物質――通称ブラックキューブは、かつて世界を熱狂させた。あらゆる研究施設、軍、企業、教育機関、小さな有志の集まりまでが、ある種崩壊した倫理観のもとでブラックキューブを追い求め、開発に勤しんだ。
とは、およそ三十年前の話である。
物理学者の謎の失踪とともにブームは潰え、夢の物質は存在しないと結論付けられた。物理学者の妄言だったのだ、ブラックキューブが人の意のままに姿形を変える発表時の演出も、映像技術を駆使して作られたフェイクだったのだ、そんなものに踊らされた我々が愚かだったのだ、と誰もが過去を恥じ、記憶に蓋をして過ごしていた頃、ブラックキューブは新時代ARゲームとして再びこの世に現れた。
エネルギー問題も食料問題も解決しない、ゲーム領域内でだけあらゆる事を可能にする夢の物質として。
〝カノープスの居城〟は滅んだ魔法族の王の根城だったという設定だ。内装は古びており、豪奢な椅子や机、細かな調度品がボロボロになって床に転がされている。そのどれもが、ブラックキューブの塊だ。ちゃんと壊すこともできるようになっていて、折れたり粉々になったり割れたりもする。
アマネは城を守る赤目のガーゴイルに照準を合わせると、恐る恐る撃ち抜いた。
〝スナイパー〟は弓でも銃でもない、小さなリング状の射出装置を用いる攻撃型ジョブだ。プレイヤーの熟練度次第で近距離射撃から遠距離射撃までをこなす。
黒い針のような弾丸に撃ち抜かれたガーゴイルが、力を失って地面に落ち、粒になって消滅した。経験値やコインの演出はないが、回数を重ねるうちに身体が慣れてくる。例えるならスポーツの基礎練習に近く、反復行動によって精度が徐々に増していくようだった。
実際、ジグリアにおける経験値が倒したモンスターの強さではなく、スキルの使用回数に紐づいているのもそのためだろう。単純に回数をこなせばこなしただけレベルが上がるシステムになっている。
第一層を歩きながら、アマネは他のガーゴイルを探した。ガーゴイルは近付くまで石像のフリをして動かないため、よくよく観察しておかないと見逃してしまう。窓枠や柱の装飾、廊下の燭台、階段手すりの支柱――一つ一つ確認し、見つけたガーゴイルに気付かれる前に一体一体、確実に撃ち抜いていく。
見逃してはならない。
今はアマネ一人で前衛もいない上、〝スナイパー〟の防御性能は悲しいまでに低いのだ。
「……ぎゃお?」
階段を登って次の階層に入ったところで、背後から声がした。さっそく見逃したらしい。
なんで疑問形なんだ、とアマネは心の中で毒づきながら走り出した。おおかた個別の性格が「のんびり」だの「おっとり」だのに設定されているのだろう。
走り出したアマネを見て、己の役割を思い出したようにガーゴイルが火をひと吹きして追いかけ始める。
アマネの足は遅い。そもそも運動全般が得意ではない。ジグリアの身体強化機能がアマネの全身を覆って動きをサポートしているのだが、そのスキルも育っていないので微々たるものである。
――グギャアアアアオォォォ!
さきほどのガーゴイルとは違って、勢いのいい咆哮が加わる。走っているうちに別のガーゴイルを見逃したらしい。
アマネは長い廊下をひた走った。どうにか逃げ切らなければ、まだ三十分ほどしかプレイしていないのに強制終了を喰らわされてしまう。
それはいやだ、とアマネは足に力を込めた。少し距離を取って射撃準備の時間をとることができれば、敵わない相手ではない。
走る。長い前髪がばさばさ揺れる。奮闘むなしく、ガーゴイルとの距離は徐々に狭まっていく。眼鏡がずり下がる。ガーゴイルの吐いた炎がアマネのすぐ横を掠めていく。びっくりして転んだ。
終わった、とアマネは観念した。短い一生だった。〝スナイパー〟でソロプレイは無理があると思う。でも一緒に遊ぶような友達はいなかった。
這いつくばったまま、アマネは襲ってくるであろう炎に身を固くした。ガーゴイルの炎は、噂によればドライヤーの温風の強化版みたいなもので、火傷はしない程度に調整されているという。
待てども、温風は襲って来ず、代わりにガーゴイルの「ギャッ」とも「グアッ」ともつかない小さな悲鳴が響いた。
アマネが辺りを見回すと、ガーゴイルの一体に小さなナイフが刺さっており、消滅しかかっていた。もう一体は後ろを振り返ってなにやら警戒している。
ガーゴイルの視線の先を辿ると、走ってきた途中の扉の一つから別のプレイヤーが顔を覗かせていた。不思議そうな顔で、投げナイフを放つ。
ナイフはガーゴイルに突き刺さり、あっさりともう一体も消滅した。投げナイフはあまり威力が高くない設定のはずだが、それでも一撃で倒せるということは、相当装備のレベルが高いと思われた。必然的に、プレイヤーも高レベルだろう。
「……スナイパーなの? いくら初心者向けダンジョンとはいえ、一人は危ないと思うよ?」
部屋から出てきた投げナイフのプレイヤーは、アマネに手を差し出して首をかしげた。
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