ただ一度の〝最高の料理〟(前)

 ハジッシピユイと公爵のやり取りを横目に、僕らは(というか、カズスムクは)挨拶回りハルシニを一つ一つこなして行った。


 ある男爵レムは、「どうせ少量ずつでも胃腸は心配だろう」と消化を助ける果物や薬草を煎じたシロップと薬酒を人数分用意し、確かな効き目と芳醇な味わいで見事に完売御礼となった。彼の株は相当上がったはずだ。

 飴細工名人で有名な子爵イルは、何十種類もの飴細工を用意し、その卓越した執念と繊細な造形で称賛を浴びた。カズスムクは彼から魚の飴細工を受け取ったが、鱗の一枚まで丹念に再現され、間違いなく一級の芸術品と唸らされたほどだ。

 長年ライバル関係にあると噂の公爵二人は、それぞれ出した菓子をおもむろに吟味したあと、周囲がまったく目に入らない様子で互いの腕前の講評を延々と交わし、やがて白熱した料理議論になだれ込む始末。


「……子爵閣下、僕はこの料理大会の会場みたいな様子に一つ悟りましたよ」

「あまりにお暇なので、ついに長話を始める気ですね」


 椅子に座って休憩に入ったカズスムクは、「どうぞ」と促してくれた。


「僕のおしゃべりは仕事の内でしょう。ガラテヤ人から見ると、この国の社交界はなんというか、色々な所で〝ゆるい〟と感じていたんですが、原因が分かりました。我々が社交エチケットに傾ける情熱のほとんどを、あなた方は料理の研鑽につぎ込んでいるんです。まさに異文化だ!」


 挨拶回りは、貴族と貴族が互いのプライドをかけて張り合う熾烈な社交戦争だ。

 己の腕前に対する自負、飽くなき料理への探求心、美食への渇望、上位の料理人への畏怖、敬意、尊敬、嫉妬と羨望。スタイルはかなり異なるとはいえ、この辺の内情はガラテヤの社交界とさしたる違いはなさそうである。


「どこの国も社交の催しは大変なものね」


 しみじみと言うソムスキッラの横顔に、僕は淡く疲労の色を見て取った。カズスムクも同じように、ちょっと疲れてきたらしい。

 メニューを考え、素材を厳選し、技術を磨き、量を用意して、当日の挨拶では自分がなんと言われるか、相手の料理をどう評するかで気を張らねばならない。

 挨拶回りを再開しかけた僕らに、フードを被った青年が声をかけてきた。


「よっ、カズー、キュレー! イオも来てんだな」

「やあ、ミル」

「あ、トルバシド伯」


 相手がタミーラクと分かって、僕は改めて挨拶した。贄候補スタンザの礼服は別に定められており、フエミャの上からフード付きクロークを羽織って顔を隠す。ファッラ三角帽と違って角飾りがないので、ザドゥヤ人の眼からは本当に相手が判別できないだろう。

 ソムスキッラは皮肉げに鼻を鳴らした。


「お気楽そうね、タミーラク・ノルジヴ」

「贄候補は挨拶仕事がねえからな」


 角を赤く塗るまでは、貴族の贄候補は公の場であまり姿をさらさないものらしい。それでも、参加者の半数はそれぞれの家の贄候補を連れてきているようだ。


 タミーラクは黄金の環を首にはめ、そこから輪廻チャーグラ十字デーキを下げていた。祭壇ウプトアや、国旗に描かれているものと同じシンボルである。

 天主公教では数珠に十字架をつけたものを首から下げ、礼拝の時に使うのだが、祈りのための道具とは違うようだ。

 他の貴族は身につけていないし、単にそういう装飾品なのだろう。……と僕が考えている間に、タミーラクとカズスムクは手料理の交換をしていた。


「ほい、これ、お前のぶん。イオも食えよ」

「うわっ。豆ジャムオルサ〔Orza〕のパイじゃないですか。これはちょっと……」


 僕は基本的に、ザデュイラル料理を好ましく思っている。だが豆類に大量の砂糖をぶちこんで煮詰め、ペースト状にしたこの異様な食品だけは苦手なのだ。

 豆が甘いという事実をまず脳が拒絶するし、何度食べても独特の、えも言われぬ、ぞっとする食感が受けつけない。


「うるせー、好き嫌いせずありがたく食いやがれ」

「分かったから凄まないでくださいよ!」


 ただでさえ、タミーラクは筋骨隆々としておっかない顔つきなのである。僕は一口大のパイを自分の口につっこむと、むせそうになりながら茶で流しこんだ。


「失礼な食い方しやがって……」

「もうちょっと品のある食べ方をしたほうがいいわよ、ガラテヤ猿」


 タミーラクとソムスキッラの視線が痛い。さりげに人以下に降格されてしまった。


「……生地は美味しかったですよ」

「そうだね、こんなに小さく切っているのに崩れないほどしっかりした生地だ。それなのに重たくなくて、口に入れると歯ごたえが軽い。オルサは甘ったるいけれど、一緒に入っているくるみバターの塩気と合っているね。とても美味しいよ、ミル」


 スラスラとすべらかに菓子を賞賛したカズスムクは、笑顔を振りまいた後、非難するような半目でこちらを見て嘆息した。


「まったく、本当にもったいのない。次にこんな無礼な食べ方をしてごらんなさい、あなたの食卓に一生、いばらとベラドンナが上りますように!」


 久しぶりに、典礼語手話の講義を思い出すハイコンテクスト罵倒だ。

 しかし苦手なものは苦手なのだ。美味しくないと思いながら無理に平らげるのと、美味しくないと思っているものを最初から手をつけないのと、どちらが誠実か?

 だがまあ、タミーラクは友人の感想に機嫌を良くしたようだ。


「父上にもちゃんと味見してもらったからな! じゃ、俺も」


 給仕に花茶を頼み、彼はカズスムクのフィカを開けようとした。その時、背後からぬうっと突き出た大きな手が入れ物の瓶を取り上げてしまう。


「兄上!? いきなり何するんですか!」


 びっくりする弟を意に介さず、大きな人影は勝手に封を開け、フィカを一つ摘まんでじろじろと観察した。ほとんど黒に近い栗色の髪の男性だ。


「……皮に渋みの点が残っている。赤の発色も、蜜のツヤも今二つ。稚拙なフィカだな、話にならん。タミラよ、お前はマルソインへ遊びに行くたびに、こんなものを振る舞われていたのか? コガトラーサの者が、情けない」


 なんともまあ、分かりやすい敵意を見せるものだ、と僕は呆れた。

 ザデュイラル社交界の力関係や政治的事情にはまったく疎いが、貴族がここまであからさまな態度を取るのは、やや不可解だ。


はこれが好きなのです、ザミア兄上」


 タミーラクはフィカを奪い返して、一つ口に放り込んだ。それを平らげると、カズスムクと僕の方をぎこちない仕草で交互に見やる。その時のタミーラクは、奇妙に切実な表情を浮かべていた。自分を操る糸を見失った人形が、どこにどう引っ張られるべきか探しているような。しかも迷い果てて、疲れてしまっている。

 彼はまず兄に顔を向けて、にっこり笑った。


「兄上、こちらは前に話したガラテヤからのお客人、イオ・カンニバラです。イオ、お前は初めてだったよな、コガトラーサ家嫡男・トルバシド伯爵ザミアラガンだ」


(※編註……イオはザミアラガンを個人名で書く許可を得られなかった。編者は遺族の方から承諾を得ることができたので、読み物としての統一上から、本書では彼を「ザミアラガン」と表記する。感謝を)


 ザミアラガン・レム・イル・コガトラーサ〔Samiaraghan人々を守るもの Hrézzipyg Nughamsr Vatsǫg L'm Ý'l Kơgåtrahza〕は壁のような巨漢だった。

 タミーラクもたいがい長身だが、それを超えるとは大したものだ。

 彼と並んでいると、カズスムクは華奢な少女のようだし、僕みたいな痩せっぽちなんてワラみたいなものだろう。肩でも叩かれたら、ふっ飛ばされそうだ。


 まだ三十前という若さで、彼は人生の成功を積み重ねてきたような、自信と誇りを静かにみなぎらせていた。飽くなき野心と自己への信頼、祖先からの遺産に支えられた足元、柱のようにその場に突き立つ、偉大であることを当然としている人間。

 ただし、先ほど見せたような敵意を表に出していない限りは、だが。


「あなたが噂のガラテヤ人ですか。ようこそ、ザデュイラルへ! この国の感想はいかがかな?」

「驚くことばかりです、閣下」


 握手を交わした後、ザミアラガンは慣れた様子で膝を曲げて僕と額を合わせた。彼のように上背があると、この挨拶はさぞかし面倒くさいだろう。


「シグは確か、海老がたいへんお好きだとか」


 またその話か!

……という気持ちが顔に出ないよう、僕は必死で愛想笑いを作った。タミーラクはあさっての方を見て知らんぷりだが、ソムスキッラは笑いを堪えていた。

(※編註……「海老を食べるガラテヤ人と、それをバカにするザドゥヤ人」は典型的な人種差別風景であったが、本書では多少マイルドな表現に置き換えて、できるだけイオの体験をそのまま記した)


「ところで、我が末弟のタミーラクが贄になる予定であることはご存知で?」


 将来の進路、どこの大学に行くだとか、どこの国に留学に行くだとか――ザミアラガンはそのくらい事も無げな調子で、弟の余命に触れた。

 僕はええ、とだけ短く返事をしたと思う。


「では、この子が召し上げられる時にはまたザデュイラルに来て下さい。何しろ、一生に一度の晴れ舞台です」


 線の太い強面いっぱいに快活な笑顔をみなぎらせて、ザミアラガンは朗らかだった。言っている内容はまったく笑えないが。

 今代のコガトラーサ当主は、タミーラクを出せば贄を選ぶのも終わりだ。次は彼、ザミアラガンが自分の子供たちから贄を差し出す立場になる。

 弟の死を晴れ晴れと喧伝したように、我が子の死も彼は誇らしげに語るのだろうか? いや、出すのは甥や姪かもしれないが。


「やめてくださいませんか、兄上。恥ずかしい」

「別にいいじゃないか、タミラ。誇らしいことなのだぞ」


 家族の身内自慢に苦言するタミーラクは、どこにでもいる十代の少年らしい羞恥で頬が赤い。その様に、僕は少し安堵を覚えていた。ぎこちなさのない表情というだけで、言葉にできない不安が紛らわされていく。


「そう、ではなくて、ですね! ガラテヤの方は、人が死ぬ場面はできるだけ忌避したいものなのですよ。あちらは生け贄など出さないのですから」

「おや? 私はてっきり、シグは贄の祭儀をご覧に来られたのだと思っていたのですが、違いましたかな。これは失礼を」

「いえ。それも目的の一つです」


 その点については正直に答えた。


「ザデュイラルに来てから、僕がどれだけあなた方の種族について無知だったか思い知りました。このたびの祭礼に参加する機会を得たこと、心より光栄です」

「それはそれは」


 ザミアラガンは明朗そのものの笑みで僕の言葉にうなずく。丁寧にラッピングされた贈り物のような、魅力的だが高度に社交辞令を感じる表情だった。

 それより恐ろしくて言い出せないのだが、この人はまだ、カズスムクに挨拶すらさせていない。弟が紹介した相手を優先したにしても、友好的ではないのは確かだ。


(※編註……貴族の挨拶というものは、まず目上がそれを求めている、または受けても良いと意思表示する所から始まる。目下から勝手に挨拶することは無礼にあたり、向こうの許可を得るか、紹介されるのを待たなくてはならなかった)


 ザミアラガンは、カズスムクが作ったフィカをけなしていた。彼が何も言い返さないのを見ると、この態度も初めてではないのかもしれない。


――いったいこの人は、なぜこうもあからさまな態度を取るのだろう?


 その時だ。


「おお、ザミア。アンデルバリ子爵に挨拶もなしかね」


 ぬうっとヒグマのように、杖をつきつつハジッシピユイが現れた。背丈こそ長男に越されてはいるが、がっしりとした肩幅と腕がたくましい。

 その腕を引く奥方のジュトロターマ〔Sutlotauma蓮の花〕は、礼装のユエタリャではなく白いバッスルドレスを着ていたが、黒髪と似合って美しかった。

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