一 最初の渡航《エッタ・イユシム・イ・マトカヴァ》ⰅⰪ ⰫⰟⰊⰔⰅⰏ Ⱖ ⰏⰀⰕⰍⰀ ⰩⰅⰀ

最初の渡航(前)

 僕ことイオ・カンニバラ〔Jo Leinathan Canniballa〕が魔族の国・ザデュイラル〔Xudưjral〕へ実地調査フィールドワークに行くと告げた時、家族も友人もこぞって引き止めた。


 いわく、

「死にたいのか?」――そんなまさか。


 いわく、

「頭の中、お花畑が広がってますね」――半分ぐらいは正解だと思う。


 いわく、

諜報員スパイとして捕まるかもよ」――極力避けたい事態だ。


 いわく、

「親不孝もの!」――それは本当に申し訳ない。


 だが僕は気ままな三男坊だ、万が一の時もカンニバラ家は安泰だろう。何にせよ食人鬼タミラス〔Thamiras〕の所にのこのこ行くなんて、正気の沙汰ではないのだ。

 けれど、彼らもけだものではないと僕は考えている。

 発達した犬歯と、側頭部の角を除けば、姿形は人族と変わらないし、独自の文化を持つことも古くから知られている。


 魔族が手当たりしだいに異種族を襲っては、にえと労働力を差し出す属国にしたり、奴隷にしたりしていたのは何百年も前のことだ。

 いや、現在でも新たな贄を得るための戦争は相変わらず仕掛けているらしいが、往時の猛烈な勢いに比べればだいぶおとなしいと言える。


 歴史の授業では、彼らのについてさんざん聞かされた。

 魔族は魚肉を求めて半魚人を狩り、鳥肉と卵を求めて有翼人を狩り、その他に耳長みみなが人、有尾えのころ人、無眠ねむらず人、毛皮人を食い尽くし、絶滅に追いやったと言う。

 そこで彼らが飢えて滅びていれば、まあ話は簡単だったのかもしれない。他の種族と同様に、魔族は伝説の存在になっただろう。


 食人鬼タミラスとは呼ばれているが、彼らは本来同族の肉をもっとも好むだ。他種族を襲ったのはその代替に過ぎない。それは、なんとも、恐ろしい話だと思う。

 ガムルはなにゆえ、そのような性質に彼らをお造りになったのか――そんな素朴な疑問を、幼いころ教父さまに訊ねたことがあった。


「あれが神の御業みわざにて生まれたわけがないでしょう!」


 つまり地獄の悪魔イヴァ〔Yva〕が魔族を生み出し、他種族を襲うように人食い・共食いの性質を持たせたのである、と。別の教父さまに聞いた時も似たような答えが返ってきた。けれど僕はふに落ちなかった。


「ではライオンやオオカミも、悪魔が造ったのですか?」


 返事は否、だった。何しろ肉食獣は、一定の条件下でなければ共食いはしない。その時は一応納得して引き下がったが、後年、疑念がもたげてきた。

 彼らは共食いで、人食いで、悪魔そのものの所業をくり返し語られている。だが自滅することなく、その行為と本能にどうにか折り合いをつけて、今日こんにちまで生き延びていた。それは、理性のないけだものに出来ることではない。


 僕が行き先に定めたザデュイラルこと古霜帝国は、タルザーニスカ〔Taldzârniska〕半島全域を支配する北阿ほくあ魔族・ザドゥヤ〔Xudujr〕の国だ。

 その名は古シター語で古き霜、あるいは大いなる冬を意味する。

 彼らの祖先たちは、タルザーニスカ半島から北アポリュダード大陸の一部を根拠地に北阿海軍(資料によっては海賊団)を結成し、略奪と侵略をくり返した。


(※編註……近年の研究では、彼らの活動において略奪はむしろ例外的で、主要産業は交易であったと考えられている)


 僕が生まれたガラテヤ〔Galatya〕連合王国も、隣り合う半島のザデュイラルとの関係は切っても切り離せない。

 たとえばガラテヤ南部の河港都市・イオンズ〔Ions〕は、そもそもはザドゥヤが内陸水運の要所として目をつけた地である。彼らは百年ほどの植民地支配の間に、イオンズを本格的な河川港かせんこうとして成長させ、今日こんにちにつながる隆盛の基盤を作った。


 今でもかつての植民地には、彼らが使っていた古シター語を地名などに残している。他にも、ガラテヤの祖先・ジャリート人〔Gjalight〕の艦隊を壊滅に追い込んだ〝片角の海軍魔女ネーバルウィッチ〟ソムスキッラの伝説は語り草だ。

 何かが少し違っていれば、ガラテヤも彼らの属国だったろう。

 戦争、講和、交易、同盟……ガラテヤとザデュイラルの間には紆余曲折があったが、現在は仮想敵国からはひとまず外れているし、通商可能国に数えられている。


 僕は常々、魔族というものが不思議だった。

 彼らは自分の仲間を一番美味しいと知りながら、それを我慢して、よその生き物を食べる連中だ。よく一緒に戦えるなあ、と子供のころは首をかしげていた。

 少し成長した後は、自分が食べられないためならば、自身を食べるかもしれない仲間と協力して、身代わりの連中を一生懸命狩るだろう、という結論に達した。


 彼らが捕らえた他種族に対する残酷な虐待や、身の毛もよだつ拷問、おぞましい食人儀式の数々を図書館で読みあさったこともあった。今や恥ずかしい思い出だ。

 無駄な経験だったとまでは言わないが、ああいう根拠も怪しいでっちあげを広く流布することは、母国の知的水準を低みに更新することに大いに寄与するだろう。


 ともあれ、僕は魔族について少なからず関心を抱いて生きてきた。

 いったい何を考えていたら、自分と同じ姿をした生物を食らい、そうしなければ生きていけない現実を受け止め、政体を維持できるのだろう、と。

 誰かに訊ねれば、魔族には人間と同じような心や魂がないから、平気で共食いをするのだと言われる。それは一定のもっともらしさがあった。


 だが、それが違ったとしたら?


 いつかの時点で閃いたこの考えは、僕をずっと離さない。答えを得るために、彼らに関する文献はずいぶんと読んだが、根拠が怪しい与太話か、学術的だが絶対量が少ないか、直接的な利害が絡む事柄にのみ注目しているか、だ。

 彼らが何を思い、何を考えて生きているのか、この国では――いや、おそらくほとんどの人族の国家では気にされていないのだ。


 だから、自分で確かめに行くしかないと決めた。



 1266年2号月。

 僕は父のつてを辿りに辿って、ザドゥヤ人貿易商の男性を紹介された。

 ハーシュサク・マルソイン〔Hưrshuzak Mallejh Teyftek Mårzouin〕氏である。ザドゥヤ貴族マルソイン家の出身だという伊達男だ。

 本人の許可をいただいたので、彼のことは個人名で書かせていただく。名前は天と地、時間と空間、強いて訳せば〝みぎり〟みたいな意味らしい。


 ハーシュサクが取り扱っている商品には人肉も含まれていた。生きたものにせよ、死んだものにせよ、魔族国家では合法ではある。

 だがガラテヤでは違法なため、ある時逮捕・投獄の憂き目に。その際釈放されるよう取り計らったのが、大伯父のご友人だそうだ。彼のお得意さまだったらしい。


 親戚中を訪ねてガラテヤを東奔西走していた僕は、この話を訊き出した時どれだけ歓喜したことか! その後しつこく手紙を送り、時には夏期休暇返上で大伯父の店で働き、ようやくご友人に連絡を取ってもらってまた数ヶ月……。


 彼とは港湾のレストラン『紫陽花亭』で待ち合わせた。

 というのも、ここは数少ない魔族向けメニューを出している店なのだ。人肉の代わりに猿を使った肉団子とスープ、卵・牛乳不使用のパン、以上三種類。


「これください」

「あんた正気かい?」


 好奇心から魔族メニューを注文すると、ハーシュサクが意味ありげに微笑んで、発達した犬歯を覗かせた。彼は職業柄、ガラテヤ語をマスターしている。

 心なしか、店員も何か含みありげに見えたが……理由はすぐに分かった。


 猿の肉は固くて、しかも脇の下に似た臭いがしたし、じゃりじゃりと砂のように骨片が混じっている。スープは血の臭いが深いエグみをもたらして、唯一まともに食べられたパンは、味気も水気もなくボソボソとして最低最悪だった!


 魔族は食べ物を粗末にすることを、非常に嫌うという。僕は吐き気をこらえながら、人生最悪の料理を平らげた。たぶん涙目にすらなっていただろう。


「そんな腹を壊しそうな代物、オレたちだって食べないね。あんた、体張ったな」

「そうですか……」


 ハーシュサクは魔族メニューではなく、コーヒーを一杯注文していた。

 年齢は四十始め、よく日に焼けた褐色の肌は生命力にあふれ、ほとんど黒く見える濃緑色の髪と相まって異国情緒がある。オペラ俳優のような洒落た装いに、落ち着いた所作でコーヒーを楽しむ姿は、ひとかどの紳士そのものだ。


 ただ、その側頭部に生えた一対の角だけが、異様な雰囲気で場から浮いていた。

 絵画にはよく羊やヤギのねじれた角や、重たげな鹿の角を生やした魔族が描かれているが、そうしたものが実在したかは定かではない。

 彼の角は白く平たく尖っていて、貝殻のようだった。頭部に添うよう上に向かって生えており、横になって寝る時も、さほど邪魔にはならないだろう。


 その時、店内に魔族の客はハーシュサク一人で、どことなく客も給仕も注意を向けて感じられた。だが当の本人はどこ吹く風で、優雅にコーヒーを味わっている。実に堂々と、軽々と、広い庭園のあずまやガゼボで寛いででもいるように。


「あ、ザドゥヤ語で大丈夫です」

「……汝れを連るるはかまわねどかし」


 ザドゥヤ語は、ガラテヤの古語に似ていなくもなかった。

 そもそも語族から語派まで同じで、西グリムヘン語群のガラテヤ語に対し、ザドゥヤ語は北グリムヘン語群、東タルザーニスカ諸語および古シター語である。


「宿り求むるこそいと難けれ」

「滞在先、ですか」

「しかり。我ら、汝れのごとき自由身分の【ⰇⰡⰓⰘサルクス】(※タルザーン文字表記)、宿り求むること思い寄らず」


 SårxⰇ Ⱑ Ⱃ Ⱈ(※リド文字表記)――「(ザドゥヤ語)人肉、食肉、献身者、被食ひしょく階級」。それはかつて、神が魔族に与えた食用の人間に由来する。

 サルクスは生まれて半年ほどで成人し、たちまち子供を生んで殖えるという都合のよい家畜で、大変美味だったそうだ。そして、あまりに都合が良すぎた。

 次第に、古の魔族は彼らを粗末に扱うようになり、怒った神はサルクスを取り上げてしまう。多くの魔族が飢えて死に、生き残った者たちはこれを深く悔いた。

 以後の彼らは食べ物、特に【肉】に敬意を払い、決して粗末にしなくなったそうだ。現在は、こうして名前だけが言語に残っている――以上、ハーシュサク談。


「さらに、汝れは久しく留まらまほしとぞいう」

「ええ、できれば二、三ヶ月……」

「物好みなりや」


 彼は呆れているのか、声を立てて笑った。

 ところで読みづらいだろうと思うので、ここから先はザドゥヤ語を現代ガラテヤ語に訳して記そう。どうせ渡航後は、ガラテヤ語を使う機会はないのだ。

 僕は僕なりに学習してきたが、まだまだザドゥヤ語はおぼつかない。恥ずかしいのでこの手記内では、流ちょうに話しているように描写させていただく。


「まあ簡単に入国する手もある。一時的に食用人の身分を取るのさ、滞在中にあんたを殺さないって約束で」

「それはご遠慮しておきます」

「だろうなあ」


 約束が守られるとしても、食人鬼の国に食用の身分で、しかもたった一人で行くのは恐ろしすぎる。


【肉】サルクスではなく客ってなると、話が大きくなる」


 顎をなでつつ、ハーシュサクはやや硬い声音になった。


「まあ、やれるだけやってはみるさ。一応頼まれたぶんぐらいの努力はな」


 この当時の僕は無知で、彼から見ればさぞかし厚かましい二十一の小僧だったはずだ。しかし僕は計画が一歩実現に近づいたことに喜んでいて、氏にとんでもない面倒事を押しつけたと気づくまで、数年を要した。

 ハーシュサクから再び連絡があったのは、なんと十ヶ月後だ。


「無理だから諦めてくれ」と。


 僕は望みが絶たれた焦りで、衝動的に返事を書いた。


――「食用でも何でもいいから、連れて行って下さい!」――


 そこから後はトントン拍子だ。それまでが嘘みたいに話がまとまり、あれよあれよと僕のザデュイラル渡航が決まった。


 夢のようだった。けれどその興奮も年が明けるころには冷めて、僕はなんてバカなことをしたんだろうという後悔が襲ってきた。しかし、悔やむには遅すぎる。

 食人鬼の国に食用人間として入り込む――そんな蛮行を躊躇するまで二ヶ月もかけるような阿呆は、たぶん別のバカなことをやらかしたに違いない。


 二十二歳の春。彼らの重要な祭りだという夏至祭礼の日まで二ヶ月、僕は帝国首都・ギレウシェ〔Ghjrevsgé〕で過ごす。

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