第39話 すれ違う想い (4) ~夕貴~

前書き


お盆を過ぎた空が、何となく高くなった気がします。まだまだ夏は続くし、暑いのに、少しずつ秋に近づいているのかと思うと、目に見えないものの力を感じます。何となく一人で感動していました。



その後、慌ただしく男達が去り、部屋が元の静けさになったのは明け方だった。暗い夜が少しずつ明るくなるのを窓際から眺めていると、神山さんが隣に立つ。煙草を咥えて火をつけ、大きく息を吐く彼女の疲れた様子に、思わず労いの言葉が出た。


「………お疲れ様でした」


「ん、疲れた…………」


 いつもの神山さんとは違う穏やかな雰囲気に、笑みを返す。彼女が煙を吐き出す度、煙草の匂いが辺りに広がっていく。普段は嫌悪感しかない煙草の香りが、何故か心地よく感じた。


「夕貴ちゃんさ………」


「はい」


「いつの間に先生と仲良くなったの?」


「一度、体調を崩した時に診てもらって………」


「ああ、あの時か」


 神山さんもあの時のセイの知っていたのだろう、くつくつと笑った。


「神山さんは、いつも先生の手伝いをしているんですか?」


「うーん、いつもっていうか、先生の手に余る時にだけ、ね。その代わり、私が仕事で医者が必要な時は助けを借りる。お互い持ちつ持たれつの関係かな」


「そうなんですか」


「まあ、先生も高齢だし、他に代わりがいれば少しでも楽に出来るんだけど。こればかりはね」


「大変なんですね」


「ふふふ、まあ、悪いことばかりじゃないわよ。人の身体の中を覗けるし、どこをどう切れば死ぬのか勉強になるしね」


「…………」


 いかにも神山さんらしい言葉に何も言えなくなると、また笑う。



「神山さん、聞きたい事があるんです」


「何かしら」


「セイと母の事について、教えてもらえませんか?」


「今更そんな事を聞いて、どうするの?」


 穏やかな口調のまま神山さんの雰囲気がいつものそれになる。だけど、もう、彼女を怖いと思うことはなかった。彼女が隣に来るまでずっと考えていた。思えば、いつもこの人は何かを伝えようとしていた気がする。それをただの一度も私が気づかなかっただけだ。


「私、セイを失いたくないんです。

その為にはセイの事を知らなくちゃいけないから」


「…………言っておくけど、契約は解除出来ないわよ。それと、邪魔をするようなら私は容赦はしない」


「分かっています」


「………………」


 神山さんが沈黙を守ったまま、もう一本煙草に火をつける。煙草が半分くらいまで短くなった頃、ようやく口を開いた。


「もう、残された時間は僅かよ。

…………それでも、知りたいの?」


「はい」


「あなたが、知って後悔するようなことでも?」


「はい」


 私の方を見ないまま、煙草を揉み消して窓に寄りかかるように背を向ける。ため息を一つついてから「少し待っていて」とその場を離れた。しばらくして現れた神山さんは両手に何かを持っていた。差し出されたのは冷たいペットボトルで素直にお礼を言う。隣でプルタブを開ける神山さんの手には、アルコールが握られていた。


「うちの事務所ね、依頼の達成率が99%なの。

まあ、ある程度依頼内容も選ぶけど。それでも、この辺りじゃ少しは有名なのよ」


 くすり、と笑って神山さんが私を見る。


「ただ、一度だけ、依頼を失敗した事があったわ」


「依頼自体は簡単な物だった。借金をした男が行方をくらませたから、その家族からお金を取り立てる…………そんなごくありふれた依頼」


「下調べの段階で、ターゲットが病気持ちなのは知っていたけど、そんな事関係なかった。保険金やら、身体の一部を売ればお金なんて作れるし、結局、誰からでもお金がむしりとれればそれで良かったからね」


「…………」


「何の心配もしていなかったんだけど、まさか、運命の出会いが待っていたなんて考えもしなかったわよ」


 苦い物を飲み下すように、神山さんが缶に口をつける。


「あの時は大変だったわよ。うちの調査員が依頼主の事務所に殴り込みをかけて、全員病院送りにした挙げ句、警察に事務所の内情を洗いざらい暴露して壊滅させちゃったんだから。お陰でうちの信用はゼロどころかマイナスよ。仕方なく問題の調査員をクビにして、あれこれ信頼回復の為に努力して………頑張ったのよ、私」


「クビになったその調査員は、入院費用を肩代わりしてターゲットを入院させたらしいわ。少しでも生きていて欲しいと願って、ね」


「!」


「馬鹿な話よね。彼女の気持ちがあの子に向けられることなんて結局なかったのに、それでも良いからって…………」


「彼女に頼まれたからって、何も知らない娘の生活費を毎月送り続ける為にひたすら働いて………」


「………!?」


「それから半年ぶりに現れたあの子が、今度はその人の娘を連れてくるなんて、まるでどこかの小説みたいじゃない」


 くすくすと笑って缶を傾ける神山さんは、ようやく私の方を向いた。



「そんな報われない恋なんて悲しすぎるじゃない。だから、私はあの子の望みを叶えてあげたいの。

…………それが、私に出来ることなら何でもね」

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