5

「レノン君、大丈夫? レノン君!」

気が付くと僕は女子の膝の上で寝ていた。この子は誰だっけ? そうだ、今日転校してきた女子だ。夏休み前なんて中途半端な時期に来るなんて。だが、名前が思い出せない。それに、なんでそんな女子の膝の上で僕は寝ているのだ?

「お兄ちゃん! カルピス持ってきたよ!」妹の声だ。頼まれもしないのに珍しく気が利くな。

「あ、ありがとう。そこに置いておいてくれよ」

「やだ、お兄ちゃんのじゃないよ。里奈おねえちゃんのだよ! はい! お姉ちゃん!」

「サンキュー! 助かるわ!」と彼女は妹からカルピスの缶を受け取りごくごくと飲んだ。

 里奈? そうだ里奈さん。的羽里奈さんだ。ようやく思い出した。しかし、彼女は何でここに居るのだろうか? たしかさっきまでフレッドのマンションにいたはずだが。

「何でここに君がいるの?」と僕はぶしつけな質問を彼女にしてしまった。

「もう! せっかく家まで連れてきてあげたのにそれは無いじゃ無い!」と彼女はふくれっ面になって怒った。だが、本気で怒っている訳では無いのは見て直ぐに判った。

「フレッドの家で君は倒れちゃったんだよ? 覚えていない?」

 そういわれても記憶が無い。確かに彼の家に遊びに行った。良く覚えていないが僕のむさい男同士のコンビに珍しく女子も数人居たのだ。だが、どんなメンバーかも覚えていない。クラスの女子で無い事は確かだ。

 彼女らからは僕等はゲイカップルと思われているからだろうか、それともフレッドのオタク部屋に近寄るのはキモいと思われているか、どちらかなのか定かでは無いが、クラスの女子は僕等を避けている節があるのだ。

「全く記憶が無いんだ。僕はどうしちゃったの?」と、僕は見知らぬ彼女に尋ねた。

「フレッドの家にみんなで遊びに行ったんでしょ。あの彼の取り巻き連中の女子と。で、彼の家でカラオケを始めて、途中でレノン君気分悪くなって、多分大音量でアニソンなんてみんなで歌い始めたからだと思うけど、そしたら、君は外に行くとか行って玄関出た途端に倒れちゃったんだよ。救急車を呼ぼうかと思ったけど、フレッドが気を利かせてタクシー呼んじゃって、取りあえず家まで着いていってあげてって言われたから、付き添ってきたの」

「そんな事が。ゴメン悪かった。タクシー代高かったろ? フレッドの家からだと十キロくらいあるだろうし」

「大丈夫よ。フレッドからタクシー代一万円もらったからそれで払ってくれたし」

「それは悪いことした」

まあ、彼奴から見たらはした金かもしれないな。

「でも君はどうするんだい? これから家に帰らなきゃだろ?」

時計を見るともう二十時を過ぎている。

「別に帰る必要ないわ。ここに居るわよ」と平然と言ってのけた。

「だって、お母さんが心配するじゃ無いか?」とレノンは心配になって尋ねた。

「心配するも何も、私のお母さんは貴方のお母さんじゃない」

「どういうことだ?」

「何言っているの? うちのお母さんと貴方のお父さん、この間結婚したんだよ? 結婚式出たよね? それも忘れちゃったの?」

「な、なんだって?」

「もう、どうしちゃったの?」

「じゃ、俺のお袋、母親は何処行ったんだ?」

「ちょっとぉ! ホントにどうしちゃったの? 貴方のお母さんはだいぶ前にお亡くなりになっているじゃ無い? ほら梢ちゃんがまだ小学校五年生くらいのときに」

「なんだと?」そんな事は無い、昨晩も話をした。だって成績の事も親父は何も言わないけど、お袋がガミガミうるさいから憂鬱だったのに。そうだ、きっとこの女に担がれているに違いない。いつもなら、お袋はキッチンに居るはずだ。

 レノンはソファから起き上がりキッチンに向かおうとした。

「レノン君! 何処行くの?」と里奈が心配そうな顔をして彼に尋ねたが、彼はあえて無視した。

 足が言うことをきかない。と彼は感じながら、ふらふらとキッチンに歩み寄っていく。だが、母親の気配どころか人の気配が無い。

 キッチンの中は真っ暗だった。この時間なら普段は料理をしているはずだ。父親は技術者で都内まで仕事に行っている関係で何時も二十二時過ぎでないと帰ってこないが、料理だけはこの時間に準備はしてある。子供たちであるレノンと彼の姉妹が居るからだ。だが、料理の準備すらされていない。

 おかしい。レノンは二階の寝室に登って行ったが、寝室にも誰も居ない。

 妹の梢の部屋に行くと昨晩やっていたアニメ番組を録画したものを再生して見ている。先週からは始まった番組で、彼女のお気に入りのラノベのアニメ化だそうだ。

「梢、お母さんは?」

「お母さん? ああ、新しいお母さんの事? 今日からお父さんと新婚旅行でしょ? 夕方の飛行機でオーストラリア行くからって、昼過ぎに二人で千葉に行くって言って無かった?」

新婚旅行? そんな事も初耳だ。そもそも新婚旅行なんていまさら行くわけが無い。自分が知っている母親であるならばだ。

「おい、新しいお母さんって今言ったか?」

「言ったけど、何で?」

「俺たちを生んでくれたお母さんだよな?」

「え? とっくに死んじゃったじゃん」

「どういうことだ? 俺をからかっているのか? たちの悪い冗談は止せ!」とレノンは妹の肩を持って揺さぶった。

「う、うそじゃないいいい!」と彼女は本気で苦しがった。レノンは直ぐに自分がやり過ぎた事に気が付いて、手を離すと、

「すまない」と謝り、「お兄ちゃん、夕方フレッドの家で倒れて、なんか記憶障害にでもなっているかも知れない。だから教えて欲しいんだけど、俺たちのお母さん、松下麻祐未さんはいまどうしている?」

「だから、三年前に死んじゃったじゃん。乳がんで」

「ほんとなのか?」

「うそついてどうすんの。ホントだよ。忘れたの? あんなに号泣していたのに」

「忘れていたらしい。昨日も話した記憶がある。成績のことで言い合いになりそうになった」

「それ、夢なんじゃ無い? 新しいお母さんとパパが結婚したから、なんかショックだったんだよ。私もママの夢はよく見るよ。本当は未だ生きいるって思いたいけど、夢の時は凄くリアルで、本当いっぱいお話して、楽しくて、たまに抱っこされたりしてママの匂いがして。でも目が覚めるともうこの世にいないんだなって思うの。そうすると涙が出ちゃって」と梢は言いながら、目からぽろぽろと涙を流した。

「ゴメン。嫌なこと思い出させて」とレノンはぽつりと言った。

 そういえば姉ちゃんはどうしたんだろ? 帰っているのか、隣の部屋から気配が無い。

 レノンは梢の涙を手のひらで拭ってやると、立ち上がって、姉の部屋に向かった。部屋のドアはいつも通りの姉の部屋だ。ただ一つ違っていたのは、ドアに貼ってある彼女の部屋の銘板が無い。いつの間にか外したのか?「姉ちゃん! 俺! いる?」両親の寝室同様に人の気配が無い。

「いいか? 入るぞ!」と何時もの様に特に年頃の女性と気遣うことも無く部屋を開ける。驚いたことに部屋はがらんどうで、箱詰めされた荷物がいくつか置いてあるのみ。レノンは狐につままれた気分になった。まさか、母だけで無く姉までも消え去ったのか?

 彼は妹の梢の部屋に戻ると、

「梢! そこの部屋って誰が居た!」と姉の部屋を指さした。

 母親のことを思い出して泣いてしまった為、目が赤く腫れている。

「お姉ちゃんでしょ? 何で?」と言った。

良かった。姉は消えてなかった。でも何処に行ったのだ。

「部屋の中が空っぽなんだが、何があったんだ」

「え? お兄ちゃん聞いてなかったの? 新しいお母さんと一緒に暮らすのはイヤだって言って、高校卒業と同時に大学の寮に引っ越しちゃったじゃん。もう三月くらいの話だよ。 いくらお兄ちゃんがお姉ちゃんと仲が良くないからっていって、いままで気が付かないのおかしいよ」と、彼女は兄の言動がおかしくなったと感じながら言った。

 そんな。なんてことだ。しかも自分が姉と仲が悪い? ちょっと前まで勉強そっちのけで一緒にゲームやっていた仲だったんだぞ。だが、死んだとか存在そのものが無くなったわけではないので安心した。

「ねえねえ、レノン君大丈夫?」と一階から里奈が上がってきた。

「あ、里奈お姉ちゃん!」と梢が声を上げて彼女に抱きついた。すでにすっかり懐いている。歳が近いから懐くのも早いのかとレノンは思った。

「この部屋かあ。ちょっと何も無いから寝るのも大変だなぁ」と里奈が姉が住んでた部屋を見て言った。

「お客様用の布団はあるよ」と梢が言うが、

「フローリング直敷きってのもね。ベッドはオーダーしようとしたら、繁忙期とかで間に合わなかったし。何しろお母さんたちが新婚旅行から帰ってきてから揃えようとか言って、後回しにされたんだよね。

 どうせあなた達、二人結婚するんだからしばらくレノンと一緒に寝ちゃえばなんてあほなこと言ってたけど、さすがに高校一年生だよ? 子供出来ちゃったらどうすんのよ」と里奈は少々困った風に話したが、

「でも、何もしないなら一緒に寝ても良いよ!」と小悪魔的な微笑みを彼に返した。

 そうか、姉の部屋はこの子のものになったんだ。とレノンは思った。

 でも、何かしっくりこない。何もかも都合が良すぎる。母親はいつの間にか死んだことになっている。本当に僕の記憶障害かなにかなのかも知れないが、姉までも家から出てってしまっている。そして、空き部屋に丁度、里奈が入る。偶然にしてもおかしい。

「どうしたの?」と里奈が僕に話かけてくる。真剣な顔で黙りこくっているので不思議に思えたのだろう。

「いや、なんでも無いよ。ちょっと考え事」

「なら良かった。これからご飯作るから待ってって。ねえ梢ちゃん何が食べたい?」

「梢ねえ、オムライスが食べたい!」

「OK、じゃこれから作るからテレビでも見て待ってて!」

「うん! 下のお部屋で見て良い? アニメなんだけど…。お姉ちゃんアニメ苦手な人なら二階で見るんだけど…」

「大丈夫だよ! お姉ちゃんもアニメ大好きだから! 何見るの?」

「うん、先週から始まった、『俺の父親が再婚して、継母の娘がいきなり俺の許嫁になって同居することになったんだけど、どうしたら良い?』っての。大好きな作家さんの新作にアニメ化なんだ。凄く楽しみにしてたの」

「ああ、知っている! お姉ちゃんも先週見たよ。面白いよね」

 レノンは彼女らの会話を聞いて背筋がゾクゾクとした。その題名って、まんま僕と里奈の事なんじゃないか?

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