妄想と夢の狭間で

諸田 狐

1

  梅雨明けの空から降り注ぐ日の光はまるで千本の矢で射抜かれるように僕の体に刺さってくる。まるで昨日までの豪雨が嘘の様だった。一学期の試験も終わり、この間までの緊張はどこに消えてしまったのか、皆この梅雨明けの日差しと同様に明るく晴れ晴れと、そして、嫌みなまでにはしゃいでいた。

 僕はというと、試験は終わったが気分は晴れるどころか暗く、まるで嵐の前の空のごとく、暗くどんよりと暗雲が立ちこめていた。何故かと言うと、ほぼ全科目で壊滅的な状況だったからだ。そんなの答案用紙が返されるまで判らないじゃないかって? まあ、ふつうならそう考えるかもしれない。だが、今回のは訳が違うのだ。全く完全にパーフェクト、アブソリュートに絶望的にダメだった。全ての問題が理解できなかった。

 だが責任は自分にあることは判っている。だって、大事な試験中にぼくは全く勉強をしなかったからだ。

 勉強しなかった理由はおばあちゃんが、トイレの洗剤を間違って飲んじゃって救急車で搬送されたとか、パパの浮気がバレて、ママと喧嘩したとか、ましてやパパの愛人が乗り込んできて修羅場とかそんな事はない。単に試験前日、いや試験当日も姉と一緒にゲームに興じてた所為なのだ。元はといえば、姉が誕生日プレゼントに買って貰った、忍天堂の新しいゲーム機が良くない。誕生日は丁度試験の前の日で、大喜びの姉はあろうことか僕にゲーム一緒にやろうよ、なんて抜かすからいけないのだ。そのおかげで、高校一年生にして最初の夏休みは補修から始まると言う屈辱をうける羽目になってしまうことだろう。だがもっと憂鬱なことがある。それはママからのお説教だ。

 僕は小学校中学校と親の期待通りの成績を収め続けてきた。これが都会なら、絶対に小学校お受験とか、中学校お受験とかあるだろう。だが、僕の住んでいる所は、埼玉の田舎の方なので、小中高の一貫校なんて無いから、余ほど裕福な家庭でも無い限り、いくら賢くとも、地元の小中学校に行く事になる。だから、この辺りの子供は大抵中学校まで賢い子もそうで無い子も一緒くたになって地元公立学校で勉強をする。そして、早い子は中学入学とともに高校受験の勉強を開始するわけだが、ご想像通り僕もその頃から、受験勉強を開始して、三年間相当頑張った。だから、地域ではトップクラスの高校に進学が叶った。

 この高校、とある有名私立大学の付属校で、エスカレーター式に進学できるから、みんなこのために人生で使う頭脳のうち九割くらいを注ぐような勢いで勉強をする。だから、そんな厳しい受験勉強を勝ち抜いてきたばかりの新一年生は一学期のうちはまるでふぬけのようになっている。何しろ、一生のうち九割の頭脳を使ったのだ、それまでの反動で全く勉強をするモチベーションが下がってしまうのだろう。

 かく言う僕もまさにその通りだった。ただ、ほかの生徒と全く違うところといえば、己の能力を過信しすぎていたこと。勉強なんて、授業だけ聞いていれば何とかなる、ってなんの根拠もなく思っていたし、実際授業内容も格段難しいものとも思っていなかった。寧ろ高校の勉強なんてこんなものなのかと、どこか舐めているところもあったのだ。少なくとも中間試験はそれでも問題なくそこそこの結果を出せていたから、余計そう思ったのだろう。だが実際には理解しているつもりが、全く理解できておらず、試験は惨敗状態だったのだ。

「グッドモーニング、ミスターレノン!」

 僕の暗い気持ちとまるで正反対な、今日の日差しと同じように無駄に明るい少年の声が背後から僕の耳にまるで突き刺さってくるかのように響いた。

「やあ、フレッド、グッドモーニング」

 クラスメートで今のところ一番親しい友人であるフレッド太郎アンダーソンだ。ちなみにレノンと言うのは僕の名前をすこしもじったニックネームだ。彼にとって僕の名前は発音し辛いらしく、こう呼ばれている。

「ドシタンダイ、浮かない顔して」

 彼は、父親がアメリカ某巨大IT企業チェリー社のCEOステファン・ジョーンズ・アンダーソン、母親は青山劇団トップ女優だった西園寺鞠というサラブレッドといえる血筋の金髪碧眼の美少年なのだが、残念なことに重度のアニメ兼アイドル兼コンピュータオタクなのだ。だから、見かけは凄く良くて、本来なら女子受けはよい筈なのだが、喋るとオタク丸出しなので、クラスの女子には少し気落ち悪がられている傾向にある。

 そんな彼だが、良いところもある。アメリカ人らしく、割と誰にでもフランクに話しかけるほど気さくな奴なのだ。僕も、彼に入学初日、しかも入学式直前にトイレの場所を尋ねられたのがきっかけで友達になった。正直、タイミングとしてはあまり良いとは言え無かったのだが。

 アメリカ人ハーフである彼がなぜ日本の学校にいるかというと、少し複雑な事情がある。表向きは留学生ということになっているのだが、実際には両親の関係があまり良くなくて、別居することになり、彼と母親のみ、この春から日本に帰国して、彼はこの学校に入学したのだ。僕の学校は自分でいうのも何なのだけど、県内有数の進学校でおそらく偏差値は県内一、二を争うほどのレベルである。だけど、恐ろしいほどの土田舎にあるせいか、欧米系の外国人なんて滅多に見掛けない土地柄のため、彼の容姿は学外、学内に拘わらず非常に目立つ。

 だから、他校の女子生徒の間で噂にならないはずがなく、放校時間になると学校周辺で女の子が待ち伏せしているなんてことは、割と日常茶飯事なことで、噂によればファンクラブすらあるらしい。そして、なぜか親衛隊のような組織もあり、誰かが抜け駆けしないように監視しているという噂だ。そのせいか、いまのところフレッドに逆ナンを仕掛けてくる女の子はいない。

 僕はそんなイケメン外人のまったく悩みなぞ無いという爽やかさを少し疎ましそうな目で見ながら、

「いや、テストが最悪だったからね」と答えた。

「まだ、結果もキテナイじゃないか?」と、彼は僕が何を悩んでいるかまったく理解出来ないという感じで、肩をすくめて両手のひらを上にしてちょっと上にあげる『シュラグ』のポーズをして、眉を八の字にする。

 確かにそうであるが、まあまあ自信があるなら判るが、僕の場合は明らかに答案用紙に埋めることが出来なかったのだ。いや、埋められなかったと言うのは語弊がある。取りあえず適当にそれらしい事は書いて埋めるには埋めた、ただそれだけだ。サイコロを回して数字埋めるほうがマシだろう、其程までに答えが書けなかったに等しいのだ。だが、そんなことイケメン外人に説明しても無意味だと判ってたから、

「うん、そうだね。まだ判らないよね」とぎこちない笑いとともに彼に答えた。

 彼はそれを聞き安心したのか、またまた爽やかな笑顔でサムアップしてウィンクをする。

まったくどこまで爽やかなんだよ!

 おまけに道行く他校の女子高生からの視線が眩しい。勿論、ぼくなんてタダの彼の引き立て役。彼がバラならば僕はかすみ草だ。いや花ですら無いかも知れない。まだ植物ならいいほうだ。バラを包んでいる包装紙、いや新聞紙くらいなもんだろう。

 しかし、そんな女子達に混じって見慣れない制服の女の子がいた。この季節、僕等の学校の女子の制服は、ブラウスと紺リボン、下がグレーのチェックのスカートなのだが、この女の子に限って夏服の白いセーラー服と赤いバタフライリボン、紺の無地スカート。この地域にもセーラ服の学校はあるけど、その学校の制服とは明らかに異なるデザインだ。

「おい、あの子……」僕は思わず指を指して、フレッドに言った。

「おお、見たこと無い女の子だね! 中学生の学校見学カネ?」と、彼は眉間にしわを寄せ、眉毛を八の字にする。

 言われてみれば中学生っぽい。幼い感じだ。だがうちのクラスの女子だって大して変わらない、いや寧ろ彼女より幼い娘もいる。指を指されて、聞こえるほど大きい声で噂をしているにも拘わらず、彼女は平然と僕等を追い抜いていく。普通なら、そんなうわさを目の前でされたら、怒るか恥ずかしがるか、あるいは気さくに話しかけてくるか、なんらかの反応が有っても良いはずだが、彼女の場合は異なり、全くの無反応だ、まるで僕等、いや周りの人間が全て空気かそよ風のように。だが、そんな印象は次の瞬間あっと言う間にに崩れさった。

 彼女は僕等を追い抜いてすぐさま、くるっときびすを返して僕等に向き合った。僕等はいきなりの彼女の振る舞いに驚いて思わずその場に立ち尽くした。最初に口を開いたのはフレッドだ。彼はやれやれと言った感じで、「いやあ、ビックリしたね! ところでボク(僕等では無い!)に何か用デスカ?」と言い放った。彼は如何にもまた告白かな? 参ったネ。と言う雰囲気を醸し出していた。まあ、そうだろう、彼はこんなシチュエーションを嫌と言うほど経験しているんだろうから。

 だが、驚いたことに彼女の身体、顔、目は明らかにフレッドの方とは異なる方向、つまり僕に向いていた。そして今まで凛としていた表情はみるみる崩れ、眼には涙を浮かべ今にも泣き出しそうになり、

「レノン君。貴方に会いたかったわ! どんなに探し求めたか!」といきなり言い出すと、手を広げて僕に飛び込んできた。

 シャンプーのかぐわしい香りと何故か懐かしく感じるほのかな彼女の体臭。僕も彼女に答えて思わず抱きしめようとしてしまった。未だ女の子と手すらにぎったこと無い筈なのに。

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