これが普通

文明的には西ローマ帝国滅亡後(あくまで衰退しただけであって<滅亡>ではないという話もあるが、私にとってはどうでもいいことだ)くらいなので、まだトイレ事情的には古代ローマ帝国時代に似たそれが残っており、幸いなことに後の、


『ありとあらゆる場所にクソや汚物がうず高く積もり、目に染みるほどの悪臭に満ちていた』


時代ではなかったようだ。


加えて、決して栄えた<街>ではなかったことで、糞尿の始末は豚などにやらせていたのが間に合っていて、まあ、酷いことにはなっていない。


それでも、現代日本の基準や感覚からすれば臭く、不潔な宿屋だろうな。完全に保健所の指導が入るどころか、衛生面の点からおよそ宿泊施設としての許可は下りないレベルだろう。


が、その辺りはいかんせん技術が未発達なんだからどうしようもない。ここで暮らしている人間にとってはこれが普通だから気にしていないし。


とは言え、藍繪正真らんかいしょうまにとってはとても寛げるような場所ではなかった。


『なんだよ、これ……!』


粗末なベッドと申し訳程度の調度品が置かれた部屋には風呂もトイレもなく、どちらも共同である。各室に風呂とトイレが完備された宿泊施設など、それこそ近代以降の話だ。


それでもここはまだ、『体を洗う』習慣は残っていたようだから湯あみができる<風呂のようなもの>があるだけマシな方だろう。


とは言え、三十過ぎのオッサンの湯あみシーンなどそれこそ誰が喜ぶんだ? という話でもあるからこれ以上は詳しく触れん。


で、早々に藍繪正真らんかいしょうまは湯あみを済ませ、今はメシを食っている。


もっともそのメシも、現代日本で刑務所に収監されている受刑者達の方がよほどいいものを食っているというレベルのものであるが。


こういう時代でも<美味い物>というのはそれなりにあっただろう。だが、そういう<特に美味いもの>は、どうしても一部の特権階級に独占されてしまっていたこともまた事実かもしれん。


それに対し、日本人の、


『美味いものを食いたい!』


というあくなき欲求はもはや変態レベルに達し、


『異常に美味い物が当たり前のように日常に溢れている』


のは事実だろうな。


が、残念ながら藍繪正真らんかいしょうまにはそっち系のスキルはない。精々カップラーメンに自分好みのトッピングをする程度のことしかできんようだ。


なので日本食で異世界の連中を魅了というわけにもいかないな。


と言うか、そもそも、他人からあれこれ指示されるのが嫌だというんでコンビニバイトすら長続きせんような奴だ。そんな奴が異世界に行ったからといって何ができる?


言われたことを真面目にコツコツやるならまだしもな。


もっともそれも、こいつが幼い頃に母親の<お手伝い>をやりたがった時に、二度手間になるのが面倒だと考えて何もやらせず、それでもやりたがったら、


「余計なことすんな!」


と怒鳴りつけたりもしたしたというのが影響してるのだろう。


それですっかりこいつはやる気をなくしたのだが、ある程度まで成長してそれなりにできそうだとなったら今度は、


「家のことを手伝え」


と横柄に命令し始めたのだ。


こうなるともう、


『やりたいと言った時にはやるなと怒鳴ったくせに、今度はそれかよ!』


などと思っても無理はないよなあ?


親なら誰しもがやってしまいがちな些細な失敗だろうが、その時の<雑な対処>が後々まで尾を引くという典型的な事例だろう。


『その程度のことで…!』


だと? ならばお前は、本当にくだらない些細なことをいつまでも根に持ったりしたことはないのか? 子供の頃にしたな<嫌な思い>を理由に他人を嫌ったことはないのか?


ネットで自分の言動について少しばかり注意されたからといって、その時に言われたことの<穴>を必死になって探し出して、同じようなことを言われた時に揚げ足取りをしたことはないのか?


そんなもの、他人から見ればくだらない些細なことだぞ? だがお前にとってはそこまでせずにいられないくらいのことだんだろうが。ん?


それを同じことだ。


他人からみればくだらないことでも、当人にとってはいつまでも尾を引く出来事ってのはある。それを知らぬとは言わせんぞ。


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