第15話 一人だけ特別
フリースラントは、学校では特異な生徒として知られていた。
愉快なダンスパーティの時の話はとにかく、それ以外では、彼は畏怖の念を持たれていた。
学究的な高等科や研究科の一部の生徒には、とてもかなわなかったとは言え、彼は明らかに「学問ができる」生徒だった。
だが、彼の身体的な力や能力は、どのほかの生徒とも違っていた。
最初は技術を磨くことが楽しかった剣や弓のクラスだったが、彼は、この頃はあまり参加していなかった。
教わることはもう何もなかったし、クラスに出ればむしろ彼の異常さが目立つのだ。
授業をサボっていても、先生たちは何も言わなかった。彼に実技の授業にでてもらうと、なんというか調和が乱れるのだ。
彼が実技をすると、ほかの生徒たちは黙りこみ、息を飲んでその有様を見つめた。
矢は、彼らの視力ではわからないほど遠くの的の中心を射抜いた。
ここまで来ると、弓の技をほめてもらいたくても、見えないため、先生すら判定がつかない。
もっと近くの的を狙えばいいのだが、フリースラントはギュレーターみたいに、これ見よがしに弓の授業に出て行って、剛腕を披露するのを潔しとしなかった。
剣は、例のノイマン先生くらいしか、相手が見つからず、しかも、むしろノイマン先生がフリースラントに稽古をつけてもらっているような、妙な事態が発生していた。
「そんな力を込めないで、もう一回、今の技やってもらっていい?」
フリースラントは生徒である。先生に教えるいわれはない。何の為の授業料だ。
大きくなったフリースラントは、全力で練習することなどできなかった。たとえ木刀でも、相手は全員、簡単に死んでしまいそうだった。しかも、彼が半分も力を出していないのにもかかわらず、「全力でがんばるな」とか、「力任せすぎる」とか言われるのである。
「ものすごーく、力をセーブしているのを誰も知らないんだ」
かなり、イラついた。だが、同時に不安があった。
『あまりにも違い過ぎている……』
彼が目立たないように午後を過ごす気に入りの場所は、総主教様の庭と呼ばれている場所だった。
そこは奥まった場所にある荒れた庭で、高い石垣の上にあった。人の出入りがほとんどなく、さぼっているのがばれないようにくつろぐにはもってこいだった。
午後は剣や弓や乗馬の時間に充てられていたので、彼はおおむね暇だったのだ。
授業に出たくない彼は、誰もいないその庭にこっそり忍び込んで、本を読んでいた。
教会学の教科書には、不思議な逸話や、想像力をかき立てられる話が載っていた。彼はその逸話集と呼ばれている本を借りてきて、読んでいた。時間をつぶすのに持ってこいだった。
「今日は何の本を読んでいるのだ?」
突然、話しかけられて、フリースラントはびっくりした。人の気配なんかしなかったからだ。
振り返ると、簡素な黒い衣を身にまとった僧侶が彼の本を興味深そうにながめていた。
「教会学か。君は教会学が好きかね?」
フリースラントはためらった。総主教様の庭へ、勝手に入ってはいけないことはよく承知している。
だが、その僧に悪意はなさそうだった。簡素な着衣だが、品のある小柄な僧で、馴れ馴れしい好奇心というより、フリースラントに知的な関心を持ったという感じがした。
「いろんな話が載っていて、おもしろいです」
「どこに一番興味があった?」
「えーと……」
フリースラントが最も興味を持ったのは、リミタ記の中でもっとも有名な『最後の戦い』だった。
リミタ記と言うのは、リミタと言う高僧が書き記したとされる、聖典の中で一番古く、よくわからない記述の多い節である。
「戦いののち、一つは滅ぼされ、一つは勝利したが、勝利は勝利ではない。悪は悪ではない。やがて、神の知られざる手が時を経てすべてを導くだろう」
粗末な衣の僧侶は、一部を声に出して読み、笑った。
「意味が分からないね」
「はい。わかりません。でも、言葉は美しくて、意味があるように思えます」
フリースラントは熱心に答えた。
「本当に二つの種族がいたのでしょうか。こんなに力が強い種族が実在したのでしょうか。そして、力が強いのに滅ぼされただなんて。私たちの方が賢かったからなんですが……」
僧は静かに笑った。
「私たちが賢いかどうかはわからないね。そして、これはお話だよ?」
「でも、ところどころに、聞いたことがある地名やとてもよく似た地形の話が出て来ます。砂漠の民とか。山の民とか。それに、不思議と具体的な話過ぎる……」
「そうだね。現実の方が驚きに満ちているかもしれない。どこかに、本当の話が隠されているかもしれないね」
フリースラントは驚いて僧の顔を見た。
いままで、教会学の先生たちは、この部分を事実でないし、思想的にも重要でない空想の物語だからと言う理由で、解説したことがなかった。
彼らは、教会の設立の歴史や、教義の解説や変遷、神が決めた律法の解釈などは事細かに教えてくれたが、神話の部分はほったらかしだった。おとぎ話だと言って、無視したのだ。
それなのに、この人は、僧だというのに、あっさり本当かもしれないと言い出したのだ。
「調べてみたいです」
フリースラントは誰にも言ったことのない本音を言った。
僧は、フリースラントの顔をじっと見た。
「そうだ。昔も君のような生徒がいたな。調べてみたいと言ったんだ。それで、彼は旅に出た」
フリースラントのような生徒?
「調べにですか?」
「そう。彼は、その種族にとても強い興味を持っていた。なぜなら、彼は、その話の種族にとてもよく似ていたからだ」
フリースラントは不安になった。彼がその話に興味を持った理由は、彼自身が、その種族に少し似ているように感じていたからだ。これほど広い学校内でも、彼はたった一人だけ、抜きんでた能力を持っていた。
だから、その種族に特徴がよく似た人がいたと聞くと否が応でも、興味をそそられた。
「似ていた? どこが?」
「そうだな。まず、彼はとても力が強かった。剣も弓も素晴らしい腕前だった。先生方の誰も敵わなかった」
フリースラントは、不安になった。彼と同じだ。僧は続けた。
「彼には角があった」
フリースラントは、ほっとした。フリースラントに角はない。だが、彼は同時にこの僧は気がおかしいのかと思った。夢物語にしても、ありえない。
「信じられないだろう?」
「ええ。うそでしょう?」
「違う。嘘だったらと、本人も強く願っていた。彼はその角を隠していた。本には角を持つ種族が載っているよね? 角があるだなんて、物語の敵役にはぴったりだからね。フィクションだとみんなが信じていた」
「フィクションじゃないのですか?」
「フィクションじゃない可能性が出てきたわけさ。それで彼は、ここを出て行った」
本当の話なのだろうか。
僧はにこやかで、まるで当たり前のよもやま話をしているだけだと言うような軽さがあった。
夕暮れが近づいてきていた。
フリースラントは、続きが聞きたかったが、夕食時に彼がいないと騒ぎになる。
「また、ここに来てもいいですか?」
「そうだな。来ていい場所ではないが……。もし、君がいれば話しかけるよ…」
フリースラントは、その謎の僧との出会いを誰にも話さなかった。
誰かに話せば、彼が入ってはいけない総主教様の庭に出入りしたことがばれてしまう。
だが、それ以上に、その僧との話は深刻だった。
フリースラントは、自分の力が強すぎること、何か他とは違うことに、学校へ入って初めて気が付き、悩んでいた。
家では、彼は優秀な子供だと評されてそれで済んでいた。父も喜んでいた。
しかし、学校では彼は優秀では済まなかった。
明らかに質が異なる。
「でも、角はない」
当たり前だ。
さっきの僧は、嘘を言ったんじゃないだろうな。
これまで何回も、あの庭へ出入りしていたのに、あんな僧を見かけたことは一度もなかった。
総主教様の庭は出入り禁止なので、人を見かけたことがなかったのだ。
もう、二度と会えないかもしれないと思いつつ、彼はまた、こっそり総主教様の庭へ入っていった。行かないではいられなかった。
意外なことに例の僧は、すぐに現れた。
「話の続きが聞きたいんですが……」
フリースラントにとっては気になることだった。彼も似ている、その旅に出たという生徒に。
「実は彼は生徒じゃない。昔は、生徒だった。その頃から強かった。彼は卒業して、世の中に出て、それからもう一度、今度は僧侶になると言ってここで修業をしていたのだ。でも、勉学だけでは確かめられないので、旅に出た」
「その人は、今、どうしているのですか?」
「まだ、帰ってきていない。旅の途中なのだろう」
フリースラントは考えこんだ。
「その人は貴族だったのですか?」
「もちろんそうだ」
「卒業して何をしていたのですか?」
「彼は力が強く武芸に長けていたので、武人になった。恐ろしい強さだった。この教会にまで、その強さは聞こえてきた。一時に何人も殺したと。彼が殺した人数は計り知れない。彼にかなう者は誰一人いなかった」
僧はどこかさみしそうに、そう語った。
「でも、武人としては大成功ではありませんか」
「そうだ。だが、何か思うことがあったらしく、突然、騎士をやめて僧になった」
何があったんだろう。フリースラントは気になったが、僧の言葉はそこで途切れた。フリースラントは、続きを待ったが、僧は言った。
「まあ、それだけの話さ」
「まだ、待っているのですか?」
「待っている」
「それで、もし、この種族についての話が本当だったら……」
「面白いことになるね。なぜなら……」
僧の目がきらめいた。
「知ってるかい? ほかにも本があるんだよ。この種族についての話が」
フリースラントは初級の教科書に少しだけ触れられていたので、この本を図書館から借りてきて読んでいたが、ほかにも本があるとは知らなかった。
「他にもあるのですか?」
「先生方の言う、荒唐無稽な話ばかりさ。だが、少しでも、裏付けがあれば、ほかの話ももしかすると何か本当のことを語っている可能性がある。今、私たちが知らない何かが、歴史の中に隠されているということになる」
フリースラントは衝撃を受けた。
この人がおかしいのか、それとも、本当の話なのか。
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