第12話 学校のダンスパーティ
ダンスパーティの当日は、もはや気が気でなかった。
気が気でないのは、フリースラントだけではなかった。
本科の生徒は全員、家から取り寄せた様々な正式の衣装を着こんで、はた目にもまるで落ち着きがなかった。
本科の生徒たちは、ある程度裕福な家の貴族の子弟が多かったので、この場の出席者の中から、本当に結婚相手が決まる可能性は高い。世の中、逆玉だってあるのだから、もはや、ドキドキである。
女性の場合、学校に行かないで家庭教育だけで済ます者も多い。だが高名な総主教からの有難いミサを受けられることと、未来の有望な花婿との集団見合いのようなこの催しは、言い訳(ミサ)と実利(パーティ)が絶妙にかみ合った絶好の機会だったので、学校に入っていない者の参加も認められていた。(もちろん本当の女子学生と、臨時参加の貴族の令嬢は、壮絶なまでに仲が悪かったが、尼僧院はあきらめていて、ちゃんと別々に行動させていた)
彼女たちとて、未来の花婿候補の様子を実際に目にできるチャンスは逃したくない。
フリースラントは、バジエ辺境伯の息子のギュレーターと並んで女性軍団の入場をながめることになった。
格式でいうと、彼とギュレーターは、双璧だったのである。
ギュレーターはニヤニヤが止まらなかった。
何しろ、これだけいる女性たちの一番のあこがれとなるべき人物が自分と、それからあまり乗り気ではないらしい年下のフリースラントだったからだ。
「婚約者は決めないで、今晩のパーティを待っていたんだ」
興奮のあまり、普段はあまり親しい間柄ではないフリースラントに彼は熱心に話しかけた。
「やっぱりよく見ておきたいよね」
「それはそうだな……」
フリースラントも同意した。
今やフリースラントはギュレーターと同じくらいの背丈になっていたが、彼よりだいぶ細く、まだ幼く見えたので、ギュレーターは今夜の主役は自分だと自負していた。
フリースラントも、異存はなかった。彼は、まだ十五歳だったし、ギュレーターは十七歳くらいにはなっているはずだった。
フリースラントはポケットからメモを出してきては、眺めていた。
メリー伯のジェルダイラン嬢や、バジエ辺境伯の娘のマリゴット嬢……
「ところで、君の妹は来ているのか?」
「ん?」
ギュレーターは我に返った様子で、聞いてきた。
「なんだ。マリゴットに興味があるのか?」
「あるわけではないが……」
「まあ、そうだな。バジエ家とヴォルダ家なら……確かにあり得るな。お前のところには姉妹はいないのか?」
「妹がいるが……」
「どんな娘だ? 今日は来ているのか?」
「いや、まだ10歳だからここには来ていない」
「マリゴットは13歳だな。あそこにいる……ピンクのドレスだ。先頭はメリー伯爵家のジェルダイラン嬢だ」
着飾った令嬢たちが黒い服の手ごわそうな尼僧たちに付き添われて、広いホールへ入ってきた。
一列に並んで待つ彼らの元へ、乙女たちはやってきて会釈した。
家格順なので、フリースラントの最初の相手はメリー伯爵家のジェルダイラン嬢だった。
しとやかな小柄な娘でメモによると、今年16歳になる。
栗色の髪と茶色い目、目鼻立ちは少し間延びした感があるが普通だった。静かで大人しいところは好感が持てた。悪くない。
次はギュレーターの妹だった。
「まあ、あなたがフリースラントね? マリゴットよ。兄から聞いてない?」
どうも、マリゴットはフリースラントが気に入った様子だった。
「いえ……」
マリゴットはギュレーターに似ていた。そっくりだ。気が強そうなところも、がっちりしているところも。
それから顔立ちも。
急にフリースラントは自分の妹を思い出した。
腰まで伸ばした金色の髪、猫を思わせる細いあごと大きな瞳、すらりと細い体つき。
よく考えたら結構な美人だった。
穴に潜って見たり、グルダを殺しにかかったりするので、そんなところまで気が回らなかったが、この場にいるどの令嬢よりきれいなのではないかと思われた。
あの子がここに来たら、きっと、すべての生徒の目が集中するだろう。
それはまだ数年後の話だ。でも、彼はその頃にはもう学校にはいない。フリースラントは、何か残念な気がした。
彼女にはきっと、青系の服が似合うんじゃないかな。白い肌と金色の髪のコントラストはきっと天使みたいだろう。でも、中身と来たら……。でも、こんなパーティには絶対にすまして出席するに違いない。もし少しでも微笑めば、いったいどんなことが起こるだろう……
「ちょっと聞いているの?」
フリースラントは目の前の少女に視線を戻した。
「後で最終ダンスに選んでちょうだいね。ほかの人は全部断っておくから」
「いや、待って。ぼくはまだ誰とも決めていないので……」
「約束よ!」
これはなかなか困った事態だった。
なぜなら、その後のかなりの数の娘たちから同様のお申し出を受けたのだ。
「ギュレーター、後の部で踊る相手は決めた?」
フリースラントはギュレーターに相談を持ち掛けた。ダンスパーティは二部制で、後の部は、気に入った者同士のダンスになる。誰が誰と踊りたいか、希望のカードを出し、尼僧が整理して、後の部の方は意中の者同士が踊れるようになると言う結構恐ろしいシステムだった。本人の意向だけですべてが決まるので、思いがけないサプライズになる場合がある。貧乏貴族の娘が、大金持ちの貴公子に見染められたり、逆に大貴族の令嬢が眉目秀麗な青年に夢中になったり、これまでも波乱の組み合わせが数多く生まれている。このダンスパーティが、異様に盛り上がるのには訳があったのだ。
前半の部の中休みの時間には、彼ら以外の男子生徒も、それぞれ猛烈に悩みながら、カードに記入したり、書き直してみたりしていた。
「ウン。いや、まだ決めてない。まだ、後半が残っているし。メリー伯の令嬢はなかなか良かった。でも、かなりのお嬢様方から、最後に踊ってくれと頼まれたので……」
ギュレーターは困っているようだったが、同時に得意そうだった。
「去年も出たんだろう? 去年はどうしたんだ?」
「去年も多くの令嬢からお申し込みをいただいたが、とてもきれいな方がいたのでそちらをお願いした。ダーリル侯爵の令嬢のエリーナ嬢だったが、昨年嫁いだ。今年は来ていない」
「ああ、そう」
あまり深刻に考えることはなさそうだった。必ず成立するとか、成婚するとか言う話ではないらしい。当たり前か。よく考えたら、来年でも十分間に合う。
「エリーナ嬢は、ヘリス伯爵家の令息が猛烈にほれ込んで大アタックを開始した。ジェドの兄貴だ。エリーナ嬢の家は金持ちじゃなかったのでヘリス伯爵家でよかったんじゃないかな。ジェドの家は金持ちなんだ。早めに結婚したかったみたいだったし」
「なるほど」
もはや、フリースラントには理解不能な大人の世界だった。
ただ、多分、女の子たちのほとんどは、気に入ったかどうかだけで、彼にカードを押し付けてきていた。後で踊ってくださいと言う意思表示だ。
彼もカードは持っていたが、まだ5枚全部が手元に残っていた。相思相愛でないと踊れないので最大5枚まで配れる。人気の女性ばかりに渡していると、一度も踊れないことになる。
「まあ、いいじゃないか。前半のダンスが全部終わってから、最後に気に入った娘の名前を書いて尼僧に渡したっていいんだ」
フリースラントとギュレーターは、仲良く並んで、もらったカードに、まず自分の名前を書き入れた。後で、気に入った女の子の名前を書き添えて尼僧に提出するのである。夕食が終わった後、後半の部が開催され、お互いが選んだ相手とダンスができる。
「結構深刻なゲームだ」
「でもね、好きな女性を選ぶことができるチャンスなんだよ」
経験者らしく、ギュレーターが分別臭く解説した。
フリースラントは、まずメリー伯の令嬢の名前を書いた。彼女は彼にカードをくれなかったが、彼の方から尼僧に渡しておこう。
休憩をはさんで、前の部の続きが始まった。さすがに慣れて、お互いに相手をじっくり見ることもできるようになった。
フリースラントには全く余裕がなかったのだが、はた目には、そうは見えなかっただろう。
彼は、どう見ても、一番目立つ男子生徒だった。
黒い衣装は、彼の黒髪と黒い目にとてもよく合っていて、印象的だった。すらりと背が高く、ギュレーターと並ぶと、シャープな顔立ちが一層目立った。
そして、とても落ち着いていて、極めて冷静に見えた。
「冷たい感じがするわ」
「でも、それが似合うわ! かっこいい」
「カードを出しましょうよ! もっと近くで見たいわ」
「だめよ! みんなが出したら、確率が下がるわよ!」
貴族の令嬢とは言え、中身はみんなただの女の子だ。フリースラントが彼女たちの近くを通りかかると、娘たちの視線が追ってきた。目が合うと彼女たちは恥ずかしそうに視線を逸らしてしまうが、彼が離れてもヒソヒソ話している声が聞こえてくる。
娘たちは娘たちで、熱心に議論していた。そして、尼僧たちにカードを提出していた。
食事の間、尼僧たちはカードの整理に大わらわだった。
フリースラントはどうしてもカードを3枚以上出せなかったので、最多でも3回だけしか踊れない羽目になった。
母が送ってきたリストの中から適当に2人と、気になった女性を書いておいた。ちなみにギュレーターの妹は省いた。ギュレーターに似すぎている。それにルシアと喧嘩になるに決まっていた。そして、どんなにギュレーターの妹が気の強い娘だったとしても、なんだかルシアには勝てない気がした。
「うちの妹は恐ろしく気が強くて……」
ギュレーターに彼は説明した。
「しかも、喧嘩が強いんだ。マリゴット嬢が城に来たら、大げんかになりそうな気がする」
ギュレーターは、明らかに、自分の妹のことなんか忘れていたが、フリースラントの言い訳を聞いてこう言った。
「なんで、ずっと一緒に住む前提なんだ? 住むところなんか、ほかにいくらでもあるだろう? それにお前んちの妹なんか、あっという間に婚約先が決まって、すぐに結婚してしまうかもしれないぞ。何しろ名家だからな。しかも、母親は王お気に入りの王女だ。お前自身より、身分は高いぞ。王位継承権が付いてくるんだから。とんでもないブス姫でも、人気が出るだろう」
「いや……多分、ここの誰より、きれいだと思う」
ギュレーターは、お前はシスコンかとののしりかけたが、次の瞬間、考え直したらしかった。
「いくつだったっけ?」
「10歳」
「そうか。それはちょっと……でも、まあ10歳年上なことを考えたら、全然いけるな」
フリースラントは余計な候補者を増やしたことに気が付いた。
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