第9話 ありえない力
「それから、鳥事件があるわ。ルシアが黙って料理場に入り込んで、好物の果物パイを勝手に寝室に持って帰って一人で食べていたの。晩御飯のデザートだったのに。
でも、食べきれなくて、残りを置いたまま出て行ってしまったら、開いていた窓から鳥が20羽ほども入ってきて、パイを食い散らかしたの。
ところが、風で窓が閉まってしまって、鳥はパニックになったのよ。
鳥たちがギャアギャアわめき始めて、女中が驚いて、部屋に入ったら、パニック状態の鳥が彼女に襲い掛かって、つんざくような悲鳴を上げたのよ。すごい騒ぎになったわ。
まだ、宮廷のご婦人方がいた時の話で、ドレスのご婦人方が、鳥を追い回したけど全く捕まえられなくて、結局、窓を開けて鳥を逃がしたの。
ところが、パイを食べた後、パニックになった鳥は未消化のすごく臭いフンを、ルシアの寝室に巻き散らかしてしまって、どうしても匂いが取れないのよ。
彼女たちが苦労して洗ったんだけど、全くダメで、全部捨てないといけないことになったわ。みんなうんざりして、あれのせいで、十人くらいが宮廷に戻ってしまったわ」
ルシア、恐るべし。
「ルシアも反省して……もう、盗み食いはしないと言っていたわ。マデル夫人がカンカンになって叱っていたけど、彼女は逃げ惑う鳥に、フンを頭にかけられてしまって、どうしても匂いが取れなかったのよ。自慢の髪を切らなきゃならなくなってしまって……一生許してもらえないんじゃないかしら」
彼は自分の妹を、少し好きになった気がした。
「他にも、もっと細かいところでいろいろやらかしてくれてるけど、たいして悪気があるわけじゃないのよ。ここに来てからすっかり明るくなったわ。歌も上手なのよ。素晴らしい声だわ」
それから母は、にっこり笑った。
「フリースラント、あなたはどうだったの? 学校の話を聞かせて頂戴」
翌朝から、フリースラントは、まるで生まれた時から一緒だったみたいに遊びに誘ってくる妹に付き合う羽目に陥った。
「いい? 兄さま? これから城壁の外へ出て、お魚を釣りに行くの」
城の中には生簀があった。おいしい高級魚が、そこにはたくさん飼われていた。
「だめよ。そこで釣りをしたら料理番に怒られたの」
食べる方が目的ではなくて、釣りが目的か。そして、もう、やらかした後か。
「ここから出られるのよ。秘密よ?」
彼女が指し示したのは、土塀の下の小さな穴だった。フリースラントの体では通れない。
土塀の高さは2メートルくらいあった。フリースラントは軽くジャンプして塀の上に登った。ルシアは目を丸くして驚いた。だが、たちまち穴に潜って反対側から出てきた。絹のドレスが泥でめちゃくちゃになった。
「どこへ行くの?」
フリースラントは城の外へ出ることなんか考えたことがなかった。
何か楽しくなった。
二人の子供は、城の周りの農村をぐるぐる回っただけだった。農夫が驚いて、二人を見つめた。
帰りは、歩くのに疲れたルシアをフリースラントが背負って帰った。
もう夕方で、おなかが減ってきた。
「明日はウマにしようよ。もっと遠くまで行けるよ」
フリースラントが提案した。
「ウマには乗れない」
「練習すればいいさ。だめなら乗せてやる」
城に入るのは問題だった。
例の穴は、潜れば入れたが、塀の高さは外からだと3メートルを超えていた。
絶対に人間が侵入できない高さに作っているのである。
「がんばれ、兄さま」
何とか塀を乗り越えようと二度、三度とトライする兄を見て、ルシアが応援した。
だが、フリースラントのジャンプ力は相当なものだった。そして指先さえ、何とか塀の上部にかかれば、バカ力の持ち主の彼は、簡単に腕力だけで塀の上に上がることができた。フリースラントが力任せで塀によじ登った時に、ベリッという音がした。上着が破れたに違いない。
もう、薄暗くなってきていた。そろそろ夕食の時間だろう。この冒険が母にばれたら怒られる気がした。
早く戻って、さっさと着替えて、何食わぬ顔で食堂に座っておいた方がいい気がする。
「オーケイ、ルシア。潜っておいで」
だが、この時、異変が起きた。
薄暗闇の中、ルシアが、後ろから近づいて来た誰かに捕まったのだ。
誰かが来ているなんて気が付かなかった。
「フリースラント!」
少女の甲高い声にフリースラントは、振り返り、3メートルを飛び降りた。柔らかな土の上だったので、全くケガなどしなかった。
彼は走り寄って、少女を捕まえている人物を力いっぱい殴った。
その男は、ぶっ飛ばされ、柔らかい土の上に倒れた。
素早く立ち上がったルシアが、男のところへ走り寄り、手を男の額にかざした。
「離れろ、ルシア。危ない」
フリースラントは叫んだ。今さっき、その男に捕まったばかりじゃないか。
だが、男のうめき声が急にしなくなり、ぐったりしたのを見て、フリースラントは驚いた。
「やめなさい!」
鋭い声が響いた。
二人は、暗闇を振り返った。
カンテラを持った人影が急いで近づいてきていた。
「ルシア、やめなさい!」
母だった。
そのあとからゾフや使用人たちが続いていた。
「お母さま……」
母は、脚が早かった。
使用人たちの中から、一人抜けて、ルシアたちのそばへ来ると、ルシアをひっぱたいた。
この光景に、使用人たちはびっくりして、その場に立ち止まった。
「でも、母上、こいつは悪人で、ルシアを……」
母は、フリースラント言うことなど聞いていなかった。彼女は真剣にルシアに怒っていた。
こんな母の表情をフリースラントは見たことがなかった。彼は黙った。
「ルシア、戻しなさい」
母はきつい声でルシアに言った。
ルシアはうなだれていた。
「すぐに! グルダが死んでしまう」
母はルシアの手首をつかむと、男の額にあてがった。
ようやくグルダが、目を開けた。(その男はグルダだった。カンテラの光でフリースラントはやっとその悪漢が誰だか見わけが付いた)
「グルダ、大丈夫ですか?」
「え……。ああ、奥方様……、ルシア様を見つけましたが、フリースラント様が……」
「わかっています。ごめんなさい、グルダ。城に運びましょう。誰かこちらへ」
彼女が振り返って、手招きすると、やっと我に返った使用人たちがぞろぞろとやってきて、男たちがぐったりしているグルダに手を貸して、近くに止めてあった馬車に乗せた。
「さあ!」
母に促されて、子供二人は、他の使用人たちと歩いて門から城へ入った。
当然、予想されたことだが、二人は母親から猛烈に怒られた。
特に、ルシアに対して母はカンカンだった。
汚い服を脱がされて風呂に入れられると、彼女は寝にやらされた。
「さて、フリースラント」
フリースラントはビクッとした。
母がこんなに怒っているところは見たことがなかった。
「あなたの部屋に行きましょう。食事も持っていきましょう。話すことがあります」
説教されることは間違いなかった。彼はしょんぼりして母と差し向かいで座った。
「フリースラント……」
母は、彼の手を取った。
意味が分からなくて、フリースラントは母の顔を見た。そのとたん、彼は力が抜け、血の気が引いていくのを感じた。目の前が暗くなっていく。
「フリースラント!」
母の声がして、次の瞬間、目が見えるようになり、暖かい血が戻ってくるのを感じた。
訳が分からなくて、彼は母を見つめた。
「これがルシアの力です」
「ルシア……の力?」
「そう。こんな力を持つ人間がほかにいるとは思わなかった……」
フリースラントは、母を見つめた。
「父上も知りません」
「なんの……何の話ですか?」
「私の一族だけ、テンセスト家だけに、ごくまれにこの力を持つ女性が生まれることがあるのです。テンセスト家では治癒の力と言われていますが、実は……」
「何の力ですか?」
「生身の人間に直接触れると、その力を吸い取ったり、戻したりできる力です」
フリースラントはあっけにとられた。
「そんなこと……ありえない」
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