好色老媼裏表子作り合戦

沢田和早

 

第一話 大家さんは七十路魔熟女

新生活始まる

 真新しい建物が立ち並ぶ新興住宅地の中にひときわ目をひく家があった。敷地を取り囲む古ぼけた黒い板塀。立派な切妻屋根を上にのせた屋敷門。まるでその場所だけ時の流れから取り残されてしまったかのようだ。


「表札は、鶴亀つるかめ……うん、ここだ」


 もう一度地図をチェックする。目的地はこの家で間違いないようだ。


「チャイムは……見当たらないな。こんにちは、こんにちはー!」


 閉ざされた門扉を叩いて声をかける。しばらく待つ。返事はない。もう一度扉を叩き大声を張り上げる。駄目だ、やはり何の反応もない。


「しょうがないな」


 重そうな戸板に手をかけて右に動かす。ゴトゴトと音を立てながら扉が開いた。


「おじゃまします、うわっ!」


 驚きの声をあげてしまった。目の前に半端ない威圧感を放つバイクが鎮座していたからだ。ガソリンタンクには「Harley-Davidson」のエンブレム。屋敷の和風な外観には似つかわしくない代物だ。


「おかしいな。お婆さんの一人住まいって聞いていたのに」


 奇妙なのはバイクだけではなかった。庭の東側には洗濯物が干されているのだが、タオルや女物の衣服に混ざってトランクスやランニングシャツが干されている。どう考えても男性が住んでいそうな感じだ。


「他にも部屋を借りている人がいるのかな」


 これだけ大きな家なら数人が下宿生活を送っていても不思議はない。あるいは親類が遊びに来ているのかもしれない。いずれにしても大家さんに会って話を聞けばすぐわかることだ。幸い屋敷の玄関にはチャイムがあった。それを押す。


 ――ピンポーン、ピンポーン。


 という心地良い音が鳴りやまぬうちに玄関の戸が勢いよく開いた。と同時にボクの体は何者かによって抱きすくめられた。


「おうおう、よく来た、待ちかねたぞえ。一時間前から扉の裏で待機しておったのじゃぞ。ここはわかりにくかったかな、ああん」

「あっ、いえそんなことはないです。お待たせしてすみません」


 どうやら抱き着いてきたのは大家さんのようだ。確か今年七十才のはずだ。玄関で一時間も待っていてくれたのか。逆にこっちが恐縮してしまいそうだ。


「ほっほっほ、やはり年頃のおのこの体はたまらぬな。見掛けは痩せておるが良い肉付きではないか」


 それより早く体を離してくれないかな。ボクの上半身を締め付けている両腕はまだ我慢できるけど、股の間にねじ込まれたお婆さんの脚が気持ち悪い。


「特にこのプリッとした大殿筋がたまらぬわい。うりゃ」

「ひやっ!」


 思わず変な声を漏らしてしまった。お婆さんの両手は明らかにボクの両尻を鷲掴みにしている。


「や、やめてください」


 両腕に力を込めてお婆さんの体を押し離す。ようやく体の密着を解いてくれたお婆さんは気持ち悪いくらいニンマリと笑っていた。


「すまぬすまぬ。久しぶりの若いおのこゆえ、つい無礼を働いてしまったわい。許せよ」


 お婆さんは両手を合わせると頭を下げた。総白髪の小さな頭が弱々しく見える。考えてみれば相手は今年七十才のご老体。たかが尻を掴まれたくらいで大人げない振る舞いをしてしまったな。


「いえ。ボクのほうこそお年寄り相手に少々手荒なことをしてしまって、すみません」


 こちらも謝る。お婆さんは顔を上げた。謝罪の言葉とは裏腹に不気味なニンマリ笑顔のままだ。本当に悪いと思っているのかな。女は誰もが名俳優。老人だからと言って気を許してはいけない。


「えっと鶴亀さんですよね。はじめまして。江良辺えらべです。先日の入学説明会の時は立ち寄ることができず、初めての訪問が引っ越し当日になってしまいました。いろいろとご迷惑をお掛けすると思いますが、今日から三年間、お世話になります」

「迷惑なんてことあるものかね。青春真っ盛りの男子高校生とひとつ屋根の下で三年間同棲できるんだ。金を払ってもこちらから頼みたいくらいじゃ」


 ニンマリ顔がさらに崩れて福笑いのおかめみたいになった。どうやらこの言葉は本心のようだな。


「それから祖父が鶴亀さんによろしくと言っていました。折を見て挨拶に伺いたいそうです」

「ああ、っちゃんかね。懐かしいのう。尋常小学校を出てから会っておらぬからな」


 内っちゃんとは祖父のことだろう。名を内五郎ないごろうという。ちなみに一人娘である母の名は内子ないこ、そしてボクの名がない。フルネームだと江良辺内えらべない。親子三代にわたって実に安直な名付けられ方をしたものだ。


「それから鶴亀さんはよしとくれ。おまんと呼んでおくれよ。わしは内クンと呼ばせてもらうよ」

「あ、はい、わかりました、おまんさん」

「ささ、中に入っておくれ」


 靴を脱いで家に上がる。外観と同じく内装も一昔前の日本建築だ。畳、襖、障子、欄間。おまんさんは一部屋ずつ案内してくれた。テレビのある居間、庭に面した和室、床の間のある奥座敷。こんな空間で三年間も過ごすのか。心にカビが生えそうだ。


「畳も壁も天井も古びてはおりますが、毎日の清掃は欠かさず行っております。快適な生活をお約束しますよ。ふぉっふぉっふぉっ」


 えっ、どうしていきなり不動産屋口調なの。このお婆さん変わっているなあと思いながら廊下の突き当りにやって来た。


「この屋敷は大正時代に建てられたものでな。祖父母も両親もわしも我が子のように可愛がってきたのじゃ。が、どれほど大切に扱おうとモノには寿命がある。特に水回りの老朽化が酷かった。そこでわしが還暦を迎えた年、思い切って屋敷の一部改築に踏み切ったのじゃ。さあ、見るがよい」


 おまんさんが廊下突き当りのドアを開けた。


「おお、普通だ!」


 そこは別世界であると同時に見慣れた世界でもあった。合板フローリングの床。ビニールクロスが貼られた壁と天井。四人掛けの食卓と椅子。自宅や友人の家でよく見掛けるありふれた風景だ。


「驚いたじゃろう。台所はシステムキッチン。汲み取り式の和式便所はウォシュレットの水洗トイレ。薪と石炭で沸かしていた風呂はユニットバスに交換したのじゃ。洗面台には朝シャン用のシャワーも付いておる。どうじゃ、まるで平安京の貴族にでもなったような気分じゃろう」

「あ、はい。これなら快適な高校生活を送れそうです。は~、よかった」


 別に気分は平安京の貴族ではないが安堵したのは本心だ。特にトイレだ。もし汲み取り式のままだったら学校か公園のトイレで用を足すことになっただろう。運が良かったな、ウン。


「さあて、次は内クンの部屋がある二階へ行こうかね」


 おまんさんに続いて階段を上る。ふと、ここに来た時の疑問を思い出した。


「すみません、ちょっと訊きたいんですけど、ボクの他に部屋を借りている人がいるんですか」

「いいや、おまえさん一人だけだよ。どうしてそんな風に思ったんだい」

「庭にバイクが置いてあるし、男物の洗濯物が干してあったので、もしかしたらと思って」

「ああ、そのことかね。ふっふっふっ」


 おまんさんが不気味に笑う。何が可笑しいのかよくわからない。


「あれは防犯対策さ。か弱い女性の一人暮らしとわかれば泥棒、強盗、夜這いなどに狙われるだろう。だからいかにも男がいるように偽装しているのじゃ。あっ、でも内クンなら夜這い大歓迎じゃよ。わしはいつも床の間のある奥座敷で寝ておるから好きな時に襲うがよいぞ、ふぉっふぉっ」


 こういう冗談は無視するのが一番だ。取り敢えずバイクと洗濯物の謎は解けた。考えてみればよく聞く話だ。そこまで思い至らなかった自分が恥ずかしい。

 一階に比べると二階は格段に狭い。北、東、南の三部屋だけだ。その中の南部屋に通された。


「ここを使っておくれ。二階は改築しなかったので幾分古びてはいるがその分だけ和風情緒に溢れておる。届いた荷物は全て運び込んであるから荷解きは内クンがやっておくれ。なんなら手伝ってやろうかね、うん?」

「いえ、荷物は服と本と布団くらいしかありませんから大丈夫です」

「そうかい。小腹が空いたら下りて来な。茶菓子くらいは出してやるよ。そんじゃ、頑張りなされ」


 おまんさんを見送った後、ボクは自分の部屋を見回した。六畳の和室、擦り切れた畳、漆喰の壁、勉強机代わりのコタツ、本棚。片隅に積み上げられた段ボール箱。今日から三年間、ここがボクの住処となるのだ、そう思うと訳もなく嬉しさが込み上げてきた。

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