第89話 宴の終わり

グリューネはとても意外そうに首をかしげる。


「そういえば、あの時君はとても良い香りのする料理を持っていたな。なんというか、心を開放しすべての罪を告白してしまいそうになるような」

「それはコウのカツ丼という料理です。カツ丼とは『勝つ』が含まれており、コウでは勝負事の前に食べると縁起が良いとされるものです」


相手は異国の魔物だというのにカツ丼の効果は絶大だ。あの家庭的で しかし脂と糖のがっつりとしたところが人気なのだろう。思い出しただけでグリューネの瞳はとろんとしたものとなる。これでグリューネの追求は少しはかわせたようだ。彼女はもうカツ丼のことしか考えられなくなっている。


「それは食べてみたいな」

「良ければお作りしましょうか? あり物で作る事になりますが」

「……いや、やめておこう。重大な勝負事が控えていないのだ。縁起にまつわるものを食べるのなら、こちらもそれ相応の気持ちでなければ」


そこまでのこだわりは必要ないのでは、と蘇芳は思うが、これ以上グリューネと関わる時間を伸ばしたいわけではない。これで会話が終わればいい。


「鬼の君、名前は何という?」

「蘇芳です」

「蘇芳か。また会いたい。孫がヤキモチを焼かぬ程度にな」


グリューネはそう言い残して颯爽と去る。なんだったのかと不思議に思う蘇芳。本当にあれ程の人物がブランの恋人かどうかを確認するために追いかけて来たというのだろうか。


「……あ」


蘇芳の頭の中で何かがつながる。


もしもグリューネが再び魔王になる事を望んでいたら。きっとブランが一番の敵だ。その敵の力の源がなんであるかは知りたいはず。

それは支えてくれる恋人かもしれないし、気遣ってくれる料理人かもしれない。

グリューネはその存在について知りたかった。そうすれば似た存在を側に置きブラン並みの才能を手に入れるか、存在そのものを失わせて力を削ぐこともできる。


さらにはもしも蘇芳が魔物創作をひらめかせる料理を作れると知られたら、きっとグリューネはなにがなんでも蘇芳を手に入れようとするかもしれない。


蘇芳の背筋に悪寒が走った。もしあのままカツ丼を食べさせて蘇芳の特技に気付かれれば。

蘇芳もブランも今の立場ではいられなかったのかもしれない。それを思うとほっとする。カツ丼が彼の国で勝負事の前に食べるといつ縁起物で本当に良かった。


こうして魔王就任十周年の宴は、なんとか問題なく終えることができたのだった。


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