第56話 きっかけ


「そちらのドレスはまだ公の場ではお召しになっていなかったかと。色も良いし、こちらになさいますか?」

「うん、さっきタヌキツネットで買った石もアクセにしたいんだけど」

「でしたら腕のいい職人を呼びましょう」

「あとこれ、買ったんだよね」


バスローブに袖を通し笑ってブランが差し出したのは手鏡だった。黒漆が塗られ、螺鈿と金細工の見事なものだ。たしかそれは蘇芳に与えたもので、蘇芳はなくしたと言っていた。しかしどういうわけか、ブランの手元にある。


「タヌキツネットのタヌキヤマさんが売ってくれたの。わりと高かったけど、縁だからね」

「さすが国も種族も関係ない商人。やはりあの馬の骨に返してしまうのですか?」

「馬の骨はやめてよ。もちろん返すよ。これからロゼにも連絡役をお願いする事になるかもね」

「……まぁ、連絡先を教えあうくらいなら構いません」


ロゼはエプロンのポケットからそっと手鏡を出した。銀に小さな宝石が散りばめられた鏡だ。どうやら手鏡での連絡を取り合う事については了承したらしい。

しかしブランにとってこの反応は意外だった。ロゼといえば、少女が大好きだが男性に興味がない。そのロゼが男性である蘇芳と連絡を取り合おうとしている。それはブランにとってはにやにや笑ってしまう事だった。


「おっとロゼがデレた。いい傾向だね」

「デレというよりは認めただけです。あの者はブラン様のカンヅメに必要な方ですから」

「そうなの、蘇芳君は私のカンヅメに必要なんだからね! いやぁ、ロゼがわかってくれて嬉しいなぁ」


蘇芳の料理で確実にブランのスランプが解消できるわけではないし、ただのきっかけに過ぎない

。それでもきっと、蘇芳の存在自体がブランには大事なのだろう。

もしブランに頼るだけ頼るつもりの男なら、ロゼは蘇芳を殺していた。適当に吸血鬼をけしかけ血を吸い尽くすところだった。


「まぁ、吸血鬼トマトのきっかけとなった方ですからね」


とりあえず、もう少しは様子を見てやってもいい。ブランは静かに微笑んだ。

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