没chan

@vitamin-mj

第1話 ご愁傷様

 土曜の朝、家族の靴下を干しているベランダで、遠くに焦点の合わない雲を認めながら、「今日はあいつに会わなくて済む」「明日も顔を合わせなくて済む」そう思って休日を充実させる決意を固める。そして、日曜の夕刻、黄昏風に当たりながら、「終わる、安らかな休日が終わってしまう」「明日はまた、奴に会わねばならない」とBLUE以上のBBBLUEEEな気分になる。

 仕事がらみの人間関係で、二度と一緒になりたくない。二度と顔も見たくない。と思わせる同僚(上司)とはどんな人物か想像できるだろうか。男女関係のもつれ?犬猿の仲?主義主張の合わない敵?利益を奪い合うライバル?違う、そういうことで単に嫌っている相手なのではない。奴はこれらのどれにもヒットしない、ただただ人としてあり得ない悪い男なのである。

 その男に私は悩まされている。そして、今や、非人道ネタの主人公として、奴を『没chan』と名付け、客観視し、漱石作『坊ちゃん』の赤シャツと重ね合わせることで精神的均衡を保っている。

 彼の悪事の数々は、単なる職場の嫌み上司では済まされないものだ。大げさでなく犯罪に匹敵するえげつないもの。これから、私が見聞きした没chanの没chanたる所業を明かすこととする。


 離島勤務を終えて4年ぶりに本拠地に帰ることになった。新しい赴任地は自宅から車で15分ほどの小学校。校区は古くからの漁港と新興住宅地を抱える歴史と開発の両面が見られる地域。児童数400弱、職員数20余りの学校だ。異動の内示を受けて、知り合いにメールを送る。

「市内に帰ります。岩戸小です。近くで良かった」

 相手から思わぬ返信が来た。

「ご愁傷様」

「どういう意味?」

「じきに分かるよ」

 すかさず職員録で調べると、知り合いの名前が数名載っていた。その中でもメアドを知る先輩に挨拶がわりのメールを送った。

「松田です。よろしくお願いします」

「お帰りぃ。こっちに来るのはいつ?待ってるよ」

 友人がご愁傷様という言葉を送ってきた真意は分からずじまいだったが、職員録中の名前に、「もしかして?」と思える人物がいた。


 3月28日、4年間留守にしていた自宅に帰って来た。引越のサポートに新しい職場の男性職員が3名駆けつけてくれた。みんな初対面だったので、軽く挨拶をした。が、自己紹介もそこそこに、3人はてきぱきと荷物を運び入れ、作業後は雑談をすることなく、疾風のように帰っていった。2日後、職場に顔を出すことになっていた。さあ、段ボールの荷物を整理しなければ…。

 夕方になり、荷ほどきに辟易した頃、実家に挨拶に行くことにした。孫が帰ってくるのを心待ちにしていた義父母。夕食を準備してくれているとの連絡が入る。

 娘たちの進級・進学の手筈も考え、分刻みのスケジュールで3月末を乗り越えなければならない。実家でゆっくりできるのは今夜くらいだ。

 長距離移動と引越の疲労を感じつつも、生まれ育った地元に帰って来た嬉しさの方が勝ってテンションが上がっていた。そこへ、携帯の呼び出し音が鳴る。校長からの電話だった。

「今、電話大丈夫ですか?引越は無事に済まされましたね」

「はい、お陰様で。今日はお手伝いに先生方にも来ていただいて助かりました。ありがとうございました」

「ゆっくりしているところに申し訳ないのだが、担任の配置を決めたくて相談です。先生にお願いがあるのだけれども…」

「何でしょう?」

「来たばかりで何なのだが、6年生を持ってもらえないだろうか」

「えっ?飛び込みでですか」

「先生は経験があられるということで、お願いしたい」

「私で大丈夫なんですか?」

「是非、お願いしたい」

「分かりました。私のことをご存知の先生がおっしゃるのですから、悪い配置ではないんですよね。そう思っていいですか」

「………お願いします。ありがとう」

 転任者、しかも島帰りの女に最高学年を持たせる、それも年齢的にいってるから学年主任というおまけまで付けて…。いったいどういう学校なのだろう。


 3月30日、三女が通う小学校と長女と二女が転入・入学する中学校へ手続きに行った。同業だと離島勤務や引越の大変さを知る方も多く、どちらも「お疲れ様でした。お帰りなさい」「お嬢さん方が帰ってくることを友達が話していましたよ」と歓迎の言葉をいただき少しホッとした。中学校では、1年と3年でお世話になるので、部活動のことも含めて、学用品や制服の確認、高校進学の心の準備などもアドバイスをいただいた。そして、その足で、自分の勤務地へ挨拶に行った。

 職員室が2階にあるその学校は、4階建ての鉄筋校舎。開校して50年は経っており、廊下は歩くとミシミシという音を立てる。校長室をノックすると、男性の教諭が2人ソファに腰掛けていた。私と同時に異動して来た2人のようだ。年齢は少し上のように思えた。

 そこで、考えたのが、この人たちは何年生を持つことになっているのだろうかということ。どう見てもこの方たちが高学年向きのような落ち着きと威厳を保っておられる。校長室の壁に掛けられている歴代校長の写真を見ながら、「6年生担任候補は何人でもいるではないか」と、疑問符と渦巻き模様が頭を巡り巡った。

 職員室と繋がっている方のドアがノックされ、女性がお茶を給仕してくれた。

「おはようございます。お帰りなさい」

 顔を見ると、初任校で一緒に勤めたことのある先輩の先生だった。あれ?職員録に名前はなかったと思うが…。

「久しぶりね、また会えるとは」

 廊下に手招きされる。

「離婚して名前が変わったのよ」

「そうでしたか。先生がいらしてくださると心強いです。よろしくお願いします。6年と言われてるんですが、大丈夫でしょうか」

「いろいろ大変だと思うけど、同学年の先生が頑張るよ。分からないことがあったら聞いてね」

「はい、お願いします」

 ほどなくして、新しく赴任する校長がやって来た。そうだ、一昨日電話して来た校長は私たちと入れ替わりで転出するのだった。今年度の異動で、岩戸小は、校長、男性教諭2人、私の計4人が新しく赴任することになっていた。各々が、「〇〇です。よろしくお願いします」と挨拶し、ソファに腰を下ろすも落ち着かない所作をしていると、

「おはようございます。教頭の﨑田です」

 と言って、見覚えのある容姿の男性が入って来た。一目一声で思い出した。


 大学4年生の時に教育実習でお世話になった指導教官!ではないか!!!


 向こうは全く気付いていない。私の名前と見た目が変わっていることと、私に全く目もくれてないことが原因だ。でも、私は、彼の首の動かし方、話し方、声、素ぶり…何もかもが20年前と一向に変わってないことで、

「お久しぶりです。ご無沙汰していました。実習でご指導いただいた宮尾(旧姓)です。その節はお世話になりました」

と挨拶が口をついて出てしまっていた。

「ん?」

彼は、一瞬「誰だ?」みたいな表情を覗かせたが、すぐに

「あぁ、そっかそっか、僕が附属小にいた時の実習生の…、そうか!そうか!」

 驚きとも歓迎とも迷惑とも取れる微妙な反応を示した彼、彼こそが、私がこれまで会った人の中で、2度と会いたくないと思う男なのであった。

 教育実習は4週間、1人の教官に4〜5名の大学生が割り当てられ、それが、AとBの二班実施されるので、大学附属の小学校教諭は、毎年2ヶ月に渡って10名弱の学生を指導することになる。彼は3年ほど附属小学校に勤めていたらしいから、30名ほどの学生に対応したことだろう。20年も経っているし、その間不義理だった私は、年賀状も近況報告も何も挨拶をしていなかったのだから、教官から忘れ去られていて当然といえば当然。

 そして、実習期間は、自分のことで精一杯だったので、彼の性格や性質についてことさら気にすることがなかった。むしろ、教職の魅力や面白さ、学習指導のノウハウを懇切丁寧に教えていただいたので、感謝の念すら抱いていた。

 それが、約20年後に再会し、同じ職場で働くことになって、彼の人間性を疑う様々な出来事に遭遇するとは思ってもいなかった。

 異動に関するやり取りや言葉を交わすうちに、彼の記憶の中の私が次第にその形をくっきりと見せ始めた頃、やっと思い出したみたいな顔になって、何度も何度も頷いていた。長い年月が、お互いに容姿を変化させ、劣化させていることを、私たちはお互いの目の泳ぎようで確認するのだった。


そして、この再会が、私の精神的苦痛・人間不信の始まりとなるのであった。

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