第59話 朝の『挨拶』と幼女が消えた日


 あれから数週間。俺達は三人揃って『ミーナ・ロス』を味わった。


 朝起きても聞こえてこない笑い声、屈託のない笑顔。買っても着られない子供服。大人三人で見るアソパソマソ。それからそれから……

 夜は気を紛らわすように酒を飲むことも。健康によくないので最近は控えているが、それくらい俺達はロスっていた。

 しかし、時間と共に徐々に生活を取り戻していき、そろそろ大学も始まるかと思われる九月。ようやく平常運転な日々を迎えた。その翌朝――



 朝起きると俺の上に美少女は乗っていなかった。そして勿論、美幼女も。

 ふと腕にあたたかさ、足に冷たさを感じて横を向くと、涼しい瞳が俺を見つめていた。


「おはよう、咲月……」

「おはよう、哲也君。ねぇ、その前にすることがあるんじゃない?」

「え?」


 瞳の奥に、蒼く燃える炎。俺は直感する。


 ――咲月。自棄糞ビーストモード再臨。


(どうして朝から!?起き抜けに!?俺何もしてないよな!?)


 そう思いつつも圧に押されて視線が泳ぐ。


「することって……何?」

「とぼけないで」


(とぼけてないですいちミリも!)


「すまん……ほんとにわからない……」


 正直に話しているのに何故か小声になってしまう。だって、咲月なんか怒ってるっぽいんだもん。おどおどとしている俺に向かって、咲月は言い放った。


「私にもしてよ。朝の『挨拶』」

「え……」

「『え……』じゃないでしょ。ネタはあがってんのよ?昨日の夜お姉ちゃんにお酒飲ませたら上機嫌になって自慢しだしたんだから。ほんと、お姉ちゃんにお酒は自白剤みたいなものね」


(なんで双子同士で『暗示』かけたり『自白』させたりしてんだよ……)


 あいかわらず、我が家の監禁犯たちは仲がよろしいようで。

 そんな様子は微笑ましいが、今は現状をなんとかせねば。



 咲月の言う『挨拶』ってアレだろ?俺が咲夜にキスしたときの……



 ヤバい。顔が熱くなってきた。お目覚めキッスだなんて、乙女チックにもほどがある。ヤローがやっても犯罪臭しかしない。前後不覚だったとはいえ俺は何てことを……!


「だ、だって……あのときは脳内がスターライトパレードで……」

「意味わかんないから」

「あっ、はい。俺もです……」

「敬語はやめて、よそよそしい。私と哲也君の仲でしょう?」


 咲月の腕に力がこもる。そしてやんわりと密着する身体。すりすりと冷たくなった耳を擦りつけて、まるで猫みたいだ。


(う……どいつもこいつも朝から誘惑してくる……なんなんだよ!?ふたりの間では朝活がブームなのか!?)


 俺がギシギシと揺らぐ心臓を抑えていると、咲月は不意に小さく呟いた。


「私には、してくれないの……?」


「うっ……」


 今度は、捨てられた子猫の目。こいつはマジモンのビーストだ。


「わ、わかった。するする。するから、目を瞑ってくれるか?」

「どうして?」

「いや、恥ずかしいだろ」

「今更じゃない?」

「じゃあ今しなくてもよくない?」

「えっ……やっぱりイヤなの……?」

「そんなことないですから!喜んでさせていただきます!」


 俺は目を瞑って一気に咲月を引き寄せた。

 柔らかい唇が重なり、咲月の呼吸が入ってくる。


(う……いい匂いがする……そんなにすりすりしないでくれ……!脳みそバカになる!)


 咲月のキスは、意外にも結構強引だ。こっちからキスした割に、いつの間にか貪られるような感じになってくる。

 一方で咲夜は唇をちょいちょい食み、それでいて舌先を遊ばせるようなキスを好む。双子だけど、こういうところも違いがあるのかと思うと、なんだか新鮮だ。


 ぷはっ……!


「これで、よかったのか……?」


 問いかけると、咲月は満足そうな笑みを浮かべた。


「うん。やっぱり哲也君好き。朝からわがまま聞いてくれるんだもの」

「そ、それはどうも……」


(こちらこそ、ごちそうさまでした……)


 正面からの好意に思わず視線を逸らしていると、咲月はもう一度だけ頬に口づけた。


「こないだは、ありがとう。ピンチに駆けつけてくれるなんて、やっぱり哲也君は最高ね?」

「えっと……それは家族だから当たり前……」

「でも嬉しかった。惚れ直した。私も、お姉ちゃんも。正直今以上に好感度なんて上がらないと思ってたけど、上がるものなのね?」


 そう言って、くすくすと肩を上下させて笑う。


 そんな俺達の甘い雰囲気を裂くように、インターホンが鳴り響いた。


 ――ピーンポーン。


「は~い!」


 リビングから、咲夜の出ていく声がする。


「……そろそろ起きるか?」

「ふふ、そうね」


 ベッドから身を起こしてリビングへ出ると、咲夜が玄関でなにやら話し込んでいるようだ。

 不思議に思って覗き込むと、元気な声が響いてきた。


「あー!にーにだぁ!」


 玄関で靴を脱いですぐさま駆け寄ってくるふわふわの金の毛玉。


「えっ!?ミーナちゃん!?なんでここに!?」


 驚きの声を上げると、玄関から困ったような声が。ママだ。


「朝早くからごめんなさい。実はあの後、ミーナが夜中泣いて騒ぐものですから、仕事どころではなくて……」

「それで、今日引っ越してきたんだって。ウチの下の階に」

「引っ越し!?この短期間でですか!?」


「追いかけるようで申し訳ないとは思ったのですが、咲夜さんが保育園の空いてない時間は預かってくれるというので……お言葉に甘えて」

「一日中でもいいですけどね?それに、敬語でなくていいですよ。わたしのことは『さくや』と呼んでください。ミーナもそう呼ぶし――ね?」

「さくや!さくや!」


「もう。皆さんが大好きなのね?じゃあ、改めてよろしくね、さくや?さつきさん……と、にーにさんも?」


(ママに『にーに』って呼ばれると、なんか落ち着かないな……)


「私もさつきでいいですよ」

「俺は哲也です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします、皆さん。私は早くに夫を亡くしていますので、皆さんのような親切な方がいてくださって、本当に助かります。なんとお礼を言えばいいのか……」


(ママ、まさかの未亡人だったのか……)


「ふふ、お気になさらずに。母国語で結構ですよ?」


 ママの気持ちを察して、やんわりと躱す咲夜。

 その気遣いに、ママはミーナちゃんとよく似た笑顔を咲かせた。


「皆さん……ダンケ・シェーン(ありがとう)」

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