第28話 監禁犯との交渉


 朝食を食べ終えた俺は、いつものように食器を片付けるとソファーに腰掛け、ニュースをつける。


 監禁六日目。

 ここに来て、俺はこの【愛の檻ウチ】にどっぷりと浸っていた。

 それはもう、どうしようもないくらいに。


(なんとかして、ここから出よう……)


 そんな俺の気持ちをよそに、咲夜は大学へと出かけて行った。

 出かけ際に『いってらっしゃいのちゅーは?』と催促されたが、そこは『俺は新妻じゃない』と言って鋼の意思で追い払う。

 キッチンで鼻歌交じりに洗い物をする咲月を横目で見やり、俺は思考を巡らせた。


(今日の監視は咲月か……よりによって……)


 咲月は、一筋縄じゃいかない。


(どうする……?)


 ここは双子の【愛の檻】――となれば、この家から出る為の選択肢はふたつ。

 檻を壊すか、鍵を手に入れるか。


(どうする……)

 俺はイチかバチか、可能性に賭けることにした。


「なぁ、咲月……」

「――何?」


 洗い物の手を止めた咲月が、手を拭きながらこっちにやってくる。


「相談があるんだが、聞いてくれないか……?」

「急に改まって何?変な哲也君……」


 不思議そうにしていた咲月だが、俺の様子に思うところがあったのか、大人しく俺の隣に腰掛けた。

 そして、何故かナチュラルに手を握る。


(俺を逃がさないつもりか……?)


 ほんのり洗剤の香るその手は、ひんやりとしてすべすべで、とても気持ちがいい。


「――で?何の相談?」


 俺の目論見に勘付いているのか、俺の手をつるつるとさすったり、軽くつねったりして遊びながらも、不審の目を向ける咲月。


(今更咲月に小細工は通用しない……ここは、正々堂々真っ向勝負だ!)


 俺は、思っていることを正直に話した。


「その……外に出たいんだ。少しでいい。二時間でも、一時間でも……」

「…………」

「……ダメか?」


 咲夜直伝の『お願い目線』も、俺がしたところで効果は全く無い。

 なかなか返事を寄こさない咲月に、俺は追撃を試みる。


「監禁されてかれこれ六日だ。いくらインドア派な俺でも、こうも身体を動かさない日が続くと気が滅入るというか、膝から下がなんかムズムズするんだよ」


 そう言って足をぷらぷらと揺すると足首から延びる鎖がジャラジャラと音を立てた。

 咲月は俺の膝を抑えて『うるさいよ』と一蹴し、ジト目を向けてくる。


「……運動不足ってこと?」

「それは大いにある」

「ふーん。じゃあ、運動すればいいじゃない?」


 咲月は何を思ったか、俺の上に正面から跨るようにして両腕を首に回した。

 柔らかくて程よく筋肉のついた太腿の感触と、弾力のある胸の感触がやんわりと俺を刺激する。


(ちょっ――)



 ――やっちまった。



 腕を絡めて至近距離から俺を覗き込む咲月は『獲物を狙う目つき』をしている。


 ――『咲月、自棄糞ビーストモード』


 俺はこの状態の咲月を心の中でそう名付けた。

 普段は冷静で、裸を見るのも見られるのも抵抗するような咲月だが、何かをきっかけにスイッチが入るとやたら積極的になるところがあるようだった。ちなみに、スイッチが入る理由やタイミングは俺には全くわからないからどうしようもない。


(――ヤバイ。今のどこに地雷があったんだ?まったくわからん……)


「咲月……?重いんだけど……」

「何それ、失礼しちゃう。せっかく人が運動する気にさせてあげようっていうのに」

「運動?」


 訝しげな顔をしてかろうじて抵抗の意をみせる俺に、咲月はいじわるな笑みを向けた。


「――そうよ、運動。そんなになまってるなら、私かお姉ちゃんとすればいいじゃない?――『運動』」

「おい、それって……」

「こないだは未遂に終わったけど、別に今からシてもいいのよ?私の覚悟は、とっくに決まってるんだから」

「…………」


(またそうやって……どうしてこの双子は揃いも揃って挑発的な………)


「頼むからやめてくれって、言っただろ……」


 もはや俺の口からはため息が零れる。


「ふーん、つれないの。どこまでもカタブツなのね?それとも奥手なだけかしら?」

「紳士だと言ってくれ」

「はいはい。私が悪かったわよ、紳士サマ」


 咲月はつまらなそうに頬ずりをすると、俺の上から降りる。


(はぁ……頬ずりだけで気が済んでよかった……)


 俺は胸を撫で下ろして、交渉を再開した。


「――で?いいのか?ダメなのか?少しでいいから、外に出させて欲しい。これは俺の本心で、死活問題なんだ……」


 しばし訝しげな顔をしていた咲月だったが、短くため息を吐くと真剣な眼差しで俺に向き直る。


「その目……本気みたいね?けど、今までまともに逃げ出そうとしなかったんだ。それなりに理由があるんでしょ?聞かせて?」

「ありがとう……」


 ――咲月はやはり、話のわかる監禁犯だ。


(よかった……こないだみたいに一蹴されなくて。やっぱり真摯に向き合って正解だった……)

 安堵した俺は、深呼吸してゆっくりと口を開く。


「詳しくは言えない……けど、必ず戻ってくるし、お前らのことも誰にも言わない!ただ、買いに行きたいものがあるんだ」

「買い物……?それは、私やお姉ちゃんが買ってくるんじゃダメなの?」


 拍子抜けしたような表情の咲月。しかし、すぐに訝しげな顔に戻る。


「お前らが行くんじゃダメなんだ。俺が選んで、買って来たい……ダメか……?」

「それ、無いと死ぬの?」

「…………」


 ぶっちゃけてしまえば、死ぬなんてことはまったく無い。

 だが、俺にとってはこうして『生殺与奪を握る監禁犯に直談判する程』重要な買い物だった。

 俺は、神妙な面持ちで咲月の目を見据える。


「どうしても、必要なんだ。……信じてくれ」

「…………」


 咲月はしばし黙っていたかと思うと、再び短く息を吐いた。


「……わかった。けど、私ひとりじゃ決められないから、お姉ちゃんにも相談させて?返事はそれから」

「――っ!」

「で、いつまでに返事すればいいの?」

「できるだけ早く……遅くとも、明日までには必ず欲しい……」

「それはまた……」

「急だっていうのはわかってる!でも、それを過ぎたら意味がないんだ……頼む」

「――まぁいいわ。こっちには『保険』もあるし、お姉ちゃんに相談してみる」


 どうやら咲月は俺を信じてくれるようだ。そのことが、嬉しくて嬉しくてたまらない。


「ありがとう!許してくれたら、なんでもする!咲夜にもそう言ってくれ!」

「ふーん、、ねぇ……?確かにそれは、お姉ちゃんには『破格の交渉材料』かもね?」

「あ……」


 俺は、口をついて出たその言葉に『やってしまった』ということを遅れて理解した。

 その俺を見て、咲月は舌なめずりをしながらいじわるな笑みを浮かべる。


「男に二言はないわよ?哲也君?」


 そういって、咲月はリビングを後にした。

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