第19話 監禁犯と虜囚の300分クッキング


「さぁて、今日は何をしようか?」


 風邪も治ってすっかりご機嫌な咲夜は、ソファーに座ってソーダバーをかじる俺に咲くような笑顔を向けてきた。

(すっかり調子が戻ったみたいだな)


 俺はあんぐりと口を開ける咲夜の口に食べかけていたソーダバーを突っ込むと、机の上の新聞に目を通す。

(七月十日……火曜日……監禁されたのは三日前だから、七夕か……)

 家から出ない生活を送っていると、どうにも曜日や日にちの感覚が狂ってくる。

 俺がせめて社会との繋がりを絶たないようにニュースを見ていると、不意に画面が暗転した。


「――あ」


 振り返ると、そこにはソーダバーの棒を咥えて不機嫌そうにジト目を向ける咲夜が立っていた。


「今日は一日一緒に過ごす約束でしょ~?」

「そうはいっても、何かしたいことあるのか?咲月は友達とランチするとかで居ないし、夕方からはバイトって言ってたから、俺達ふたりでできることと言えば――」


 一瞬、昨夜の咲月の言動の一部始終がフラッシュバックして、思わず赤面する。

(いやいやいや!ふたりきりだからって、そんなことしない!ならない!させない!)

 そんな俺など気にもせず、咲夜は顔の前で両手をパン、と合わせた。


「今日は!お願いがあります!」

「――お願い?」


 これまでの言動からして、まともなお願いとは思えない。俺は訝し気な顔をする。

 しかし、咲夜の口から出たのは、なんとも可愛いお願いだった。


「その……昨日は大学の講義とか、咲月に色々迷惑かけちゃったから、お礼がしたいの……」

「お礼?咲月に?」

「うん。咲月の好きなクッキーを作りたい……小さい頃、一緒に作ったことがあるんだけど、ひとりじゃうまくいかなくて……」

「それで俺に手伝えと?」

「あのオムレツを作れる哲也君なら、可能かと……」


 いつもの押せ押せな姿勢はどこにいったのか、もじもじと控えめにお願いする咲夜。

 俺は短く息を吐いて返事する。


「そういうことなら、お安い御用だよ。ちょうど咲月は一日いないみたいだし、咲夜からのサプライズプレゼントってわけだな?」

「――いいの!?」

「だから、いいって。咲月にはいつも美味い飯作ってもらってるし。俺からも感謝の意を――」

「ありがとう!哲也君!」


 俺が言い終わる前に、咲夜がガバッと抱き着いてくる。


「やっぱ優しい~!好き~!」


 そういって胸元に頭をぐりぐりと押し付けられる。

 長い睫毛がわしゃわしゃと当たってくすぐったいし、大好きオーラ全開な言動もやっぱり未だにこそばゆい。

 俺は照れ隠しするようにぐいっと引き離すと、ちゃっちゃとキッチンに向かって冷蔵庫を開ける。


「クッキーなら、バターに小麦粉……」

「あ、それならこのレシピのやつがいい!」


 見せられたスマホの画面には、可愛らしい市松模様のクッキーが。

 白と黒が交互に並ぶ様子はどこか双子を彷彿とさせる。

(咲月へのプレゼントには、ぴったりかもな……)


「よし、じゃあ張りきって作るか!」

「おー!」


 俺と咲夜は調理を開始した。


「――ふえっくしゅッ!あ!小麦粉が……!」

「…………」


 ――グシャアッ!


「あ~卵が~……」

「…………」


「えっと、チョコは刻んで……」

 ――ザクザク……

「あああ!なんて持ち方してんだよ!そんなんじゃ指切れるだろ!?」


 ――ジャバアァァ……


「こら!チョコに直接お湯をかけるな!湯煎っていうのは――」

「――え?」

「あ~……このチョコはスクラップだ……」

「うそ~」


「…………」

「…………」



 ――咲夜は、壊滅的にド下手くそだった…………



(咲月の奴、よくこんなのと一緒にお菓子作れたな……)


 俺はげんなりとした表情でエプロンがべちゃべちゃになった咲夜を見下ろす。

 咲夜は、しょんぼりと肩を落とした。


「ご、ごめんなさい……」

「――いいよ。食材はあるから、また作り直そう。時間もたっぷりあるし」

「――っ!」


 そう言うと、咲夜はパッと顔を輝かせる。


(仕方ないな……この顔にはどうにも逆らえない……だが――)


 俺は一呼吸おいて、短く告げた。


「いいか?俺が指示を出すまでは、手を出すな。絶対にだ――」

「イエス、マイロード!」


 咲夜は右手を額に当て、ビッ!と敬礼した。


「そのポーズは、アイアイサーだろ?」


 そう指摘すると、咲夜はわざとらしくぶりっ子なポーズをとる。


「え~?『かしこまりました、ご主人様ぁ~』の方が良くない?メイド服買う?」


(……メイド服か……悪くないな……いや、むしろ絶対似合うと思う。フリルのついたミニスカートの銀髪メイドとか、可愛すぎて神だろ……?)


 ――ハッ……


 ついつい咲夜のメイド服姿を想像した俺は、我に返って指示を出す。


「いいから、俺が呼ぶまであっち行っててくれ」

「は~い……」


  咲夜は指さされたリビングへ足をとぼとぼと向ける。その途中、何を思ったか不意に俺の手を取った。

 不思議に思って視線を向けた矢先――


 ――ぱくっ。


「――っ!?」


指に生温い感触が……


「はむ……んッ……」

「な、何してる!?」

「……?ぷはっ……」


 ぎょっとする俺の問いに、咥えていた指を放す咲夜。ちゅるり、という音と共に俺の指と咲夜の唇の間が艶めかしく糸をひく。


「何って……チョコ、ついてたよ?」


 不意を突かれて赤面する俺に、咲夜は『なんでもない』という風に言ってのけた。


「…………!」


(この家は、舐めとるのがデフォルトなのか!?)

 固まったままの俺に、にっこりとした笑みが向けられる。


「ふふ……美味しい♪」

「…………」


 『絶対わざとだろ……』俺は、出かかった言葉を飲み込んだ。ため息を吐き、未だに咲夜の舌の感触が残る右手を黙って洗う。


「……洗うの?」

「洗うよ……お前、妹に食わすもんに唾液入れるつもりか?」

「それもそうか。危ない危ない。うっかり魔女になるところだった」


 そう言うと、いたずらっぽく笑ってリビングへ逃げていく。


「はぁ……」

(危ないのはこっちもだよ……)


まったく、油断も隙もありゃしない。


 俺は、気を取り直してクッキー生地を作り始めた。



 結局、咲夜に手伝わせたのは材料を混ぜる行程と軽く凍らせた生地を切る行程だけだった。


 ――チンッ!


 クッキーが焼き上がり、リビングじゅうに甘く香ばしい匂いが漂ってくる。

 咲夜は俺の腕に引っ付いて、懇願するような上目遣いで俺を見上げた。


「はぁ……哲也君……わたしもう、我慢できないよ……」

「…………」


(こいつ……狙ってやってんのか?狙ってないなら、それはそれでおそろしい……)

 俺はどこかいやらしい咲夜のおねだりを無視して皿にクッキーを並べる。


「――はいはい、今用意するから。焼きたては熱いからまだ触るなよ?」

「は~い」

「そしたら……ケトルでお湯沸かしてくれるか?紅茶でも淹れよう。俺は出来がいいのを咲月用にチョイスするから」

「あ!それならわたしも選びたい!」

「じゃあ、こっち。――どれにする?」

「おぉ……すっごい可愛い。いい匂い。わたしが作ったとは思えない……」

(だろうな……)


 俺達はふたりでプレゼント用のを別皿に取り分ける。

 ラッピングする為に冷めるのを待つ間、紅茶とクッキーで休憩ブレイクすることにした。

 咲月のおすすめだという白桃の紅茶は香りがとても良く、夏はアイスティーにしても美味しいらしい。


「はー……いい匂い。さすが咲月。いい趣味してるな」

「ね~?香りが甘くて、砂糖なしでも全然イケるよね?」


 そう言いつつもどこかそわそわしている咲夜に声を掛ける。


「もう熱取れたと思うから、食べていいぞ?」

「――!!」

「ほい」

「わ~い!……い、いただきます!」


 待ってましたとばかりに舌をぺろりと出す咲夜。


「――――っ!!!!」


 その顔が、驚愕の色に染まる。


「お、美味しい……美味しいよコレ……!」


 わなわなと震える咲夜に続いて、俺もクッキーをつまんだ。


「――!やっぱ焼きたては格別だな……!」

「こんなに美味しいの初めてかも~!」


 俺達はあっという間にクッキーを平らげてしまった。

 満腹になった咲夜はお昼も食べずに部屋でお昼寝タイムに入る。

『一緒に寝よう』と誘われたが、俺はなんとか誘いを断り、オーブンの天パンに先程乗り切らなかったクッキー生地を並べていく。

 スイッチを入れ、調理器具の片づけを終えた俺はソファーに寝転がった。


(咲夜が起きたら、一緒に咲月の分をラッピングして、新しく焼きあがった分を保存して……)


「それまで、俺もちょっと寝るか……」


 我ながら食って寝ての繰り返しで怠惰だとは思ったが、お昼寝タイムがある生活は一度慣れるとそう簡単には抜け出せない。

 俺は冷房の効いたリビングでクッキーが焼ける匂いを嗅ぎながら眠りについた。

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