第2話 パンケーキよりも甘い生活

「――っ!?」

「ひゃっ――」


 思わず上体を起こして跳ね起きると、俺の上から咲夜が転がった。

 白いワンピースの裾から覗く脚が真っ白で眩しい――が、今はそれより俺の脚だ。

 ぶんぶんと振ると、ジャラジャラという重たい音が部屋に響く。

 鎖は結構な長さがあるように思えたが、俺が今居る咲夜の部屋から出れたとしても、その先の出口にまでは届かないだろう。


「…………」

「状況、理解した?」


 蠱惑的な笑みを浮かべる咲夜は、俺の頭をぽん、と触る。


「安心して?鎖の長さは、キミが最低限の行動はできるように配慮されている。食事もお手洗いも自由。お風呂だって入れるよ?」

「…………」


 ただ呆然とする俺に、咲夜は告げた。


「ただ、マンションのこの一室からは、出られない」

「…………」


 そんなことだろうとは思っていたが、やはりどうにも信じられない。


(どうして俺が?何の為に?こいつの目的は――?)


 俺は都内で独り暮らしをしている、いたってフツーの大学生。

 金だって持ってない。もちろん実家が裕福なわけでもなく、顔も成績も中の中。ジャスト平均点男子だ。

 今までアブナイ遊びに手を出したことはないし、恨みを買った覚えも、惚れられるようなことをした記憶も無い。無論彼女がいたことも、ない。

 そんな俺が、どうしてこんな目に――


 思考を巡らせていると、不意に部屋のドアが開いてお盆を手にした黒髪の少女が現れた。


「お姉ちゃん、そろそろ朝ごはん――」


 咲夜とよく似たその顔と、目が合う。


「あ、起きたの?哲也てつや君」

「あ――」


「おはよう」

「お、おはよう……」


 流されるままに俺は返事した。


「びっくりしたでしょ?お姉ちゃんが急にごめんね?」


 そういって黒髪の少女は俺達のいるベッドに腰掛ける。

 白のTシャツにぴったりとしたデニムのショートパンツ。そこから伸びる白い脚、膝に乗せたお盆には、湯気を発する朝食――と思しきスイーツが乗っていた。


「パンケーキ、好き?」

「あ、ああ……好き……」


 お前は誰なんだ、とは思いつつも、ついつい無視できず律義に返事をしてしまう。

 咲夜のような破天荒な強引さは無いはずなのに、なぜか流されてしまう不思議なテンポ。


「あー、いいなぁ!咲月さつき、私にも一口ちょうだい!」


 俺の上に跨るようにしてパンケーキに身を乗り出す咲夜。

 咲月と呼ばれた黒髪の少女は、丁寧にパンケーキを切り崩すと、咲夜の口にフォークを運んだ。


「ん~!!」


 咲夜はたまらん、といった至福の表情を浮かべる。

 その顔を見ていたら、つられて腹の虫が鳴いた。


「――あ」

「待って。哲也君にもあげるから。そもそも哲也君用に作った朝ごはんだし」


 器用なナイフ捌きに見惚れていると、俺の目の前にほかほかのパンケーキが差し出された。


「はい、あーん」

「あー……」


(……って!手は使えるんだった!)


 俺は慌ててフォークを掴む……と同時に、口の中には甘いメープルシロップの香りが広がった。


「……んまい。――っ!」


 あまりの美味さについ感想が先に出てしまったが、こんな、パンケーキに満たされている場合じゃなかった。


「そうだ!お前は誰なんだ!?どうして俺にこんなこと――」


 言いかけていると、ハンカチを口に当てられる。


「お行儀悪いよ、哲也君」

「…………」


 俺は黙って咀嚼した。その横で、咲月は咲夜にジト目を向ける。


「お姉ちゃん、なんにも説明してないの?」

「言ったよ?今日からキミはここで暮らす、って」

「それじゃあ、わからないよ」

「わからないかなぁ?」

「わからないって」


 咲月は短くため息を吐くと、俺に向き直る。


「哲也君。薄々気が付いてるとは思うけど、君は私達に監禁されてるの」

「…………」


 続けざまにパンケーキを口に運ばれている俺は、黙って耳を傾ける。


「目的は、君と暮らすこと」

「幸せに、だよ!」


 咲夜が機嫌良さそうに付け加える。


「…………」


「君が一番知りたいのは、どうしてこんなことするのかっていう理由だと思うけど、それは詳しくはまだ言えない」

「……?」


「でも、あえて言うなら、お姉ちゃんが君のことを好きだから。だから、君は身の安全について心配する必要はまったく無い。それだけは信じて?」


 俺を見据える咲月の目は澄んでいて、嘘を言っているようには見えなかった。

 我ながらお人よしだとは思うが、俺はその言葉を信じることにした。


 こうなってしまった以上簡単には逃げ出せそうにないし、かといって女の子相手に暴力的な手段に出るほど俺は激しい気性の持ち主ではない。

 幸か不幸か、バイトも先日辞めたばかりで、俺の身を案じる人間は悲しいことにいなかった。


 それに、咲夜が俺のことを好き、と言われたことに対してまんざらでもない気持ちになってしまったのも事実。

 俺は、少しだけこの状況に身を預けることにする。


(随分と穏やかでない遊びだが、どうせ数日もすれば飽きるだろう……)

 俺はパンケーキを咀嚼し終えると、観念したように口を開く。


「――わかった。無駄な抵抗はしない。その代わり……」

「「その代わり……?」」

「いい加減、俺の上からどいてくれ!」

「あはは、ごめ~ん」


 ――こうして、俺達の奇妙でちょっぴり刺激的な監禁生活が幕を開けたのだった。

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