34.塚本くん家2
黙々と彼が俺の手当てをする中、家はしんと静まり返っている。家に入った瞬間から思ったが人の気配がしない。どうやらこの家に他の住人はいないようだ。金持ちの彼の親にこんなみすぼらしい人間がどんな挨拶をすればいいのかと若干の心配をしていたのだが、その必要はなかったらしい。こんだけでかい家に1人暮らし。だから物が少なく感じるのも当たり前か。立派な一軒家は外見同様中も綺麗で広くて、誰しもが一度は憧れるようなものだった。でもなんとなくガランとして、スカスカしてるような、寒いような感じがする。
「お前、一人暮らしだったんだな」
「はい。1人で生活する方が気が楽だと伝えたら家を借りてくれました。…掃除とかご飯とかは使用人の人が来てくれますけど」
「…相変わらずすげえな」
一般人の常識とはかけ離れた話にはもうそこまで驚きはしなかった。こいつとは基本的に住む世界が違うということは、もうだいぶ前から理解している。
ただこの状態が彼としてなんら不思議ではないとしても、寂しいとかそういう感情もないのだろうか。
自分から好んで1人を選んだとはいえ、1人でこれだけちゃんとした一軒家を与えられても持て余すだけだ。現にだだっ広い室内には生活に必要最低限のものしか置いておらず、空間の無駄遣いと言いたくなるような有様。本当にただここで生活しているだけで、趣味とか性格とか、彼自身の内面を示すようなものが一切見当たらない。
薄暗い今の時間帯なんて、電気がついていても余計に部屋の中の陰りを濃くしている気がする。学校からこんな何もない家に帰ってきて何も感じないのか。誰もいないただ1人の家に佇む塚本くんを想像すると、心が締め付けられる嫌な気持ち。彼が望んだことならそれでいいはずなのに。俺が口を出すようなことでもないのに。
でも彼がなんと言おうと、彼が本当に心の底から1人が好きだとは思えなかった。だって本当に1人が好きなら俺にこんなにくっついてくるようになるだろうか。俺が知っている塚本くんは、いつも俺を探してて、見つけると衝動的に駆け寄ってくるような。そんな、甘えたがりの犬みたいなやつなのに。
1人でも平気だと意地を張っているみたいだ。
「他に怪我は?」
目に見える範囲の怪我の応急処置を済ませ、他に痛むところはないかと確認してくる。
正直に話すべきか俺は悩み、思わず口ごもる。一番痛いのはシャツの下の打撲だ。ズキズキと絶え間無く痛み、何か物が軽く当たっただけでも歯を食いしばってしまうほど。でも、これ以上心配させるのはどうなんだろうかとためらってしまうのだ。ここまで頼っておいて、でもやっぱり遠慮してしまう。洗いざらい自分の傷をさらけ出すのは、やっぱり恥ずかしい。わずか数秒の俺のためらいを読み取ったのか、彼は俺の顔を覗き込む。
「どこが痛いんです?」
「…」
「言ってくれないと分かりませんよ」
決して逃してはくれなさそうな眼光の前で、もう適当なごまかしは通じないことを悟った。仕方なくシャツのボタンを外し、赤黒いあざで醜い肌を晒す。静かに彼が息を飲むのが分かった。俺だって怖くて直接触りたくない。それくらいひどい有様なのだ。
塚本くんはゆっくり、軽くそのあざに触れる。その指に少しでも力が入るだけで、我慢ならない痛みが走り、目の前の彼の腕を反射的に掴んだ。
「さすがに病院に行った方がいいと思うんですけど」
「行かないって言ってる」
「…それは、誰にやられたのかを特定されたくないからですか?」
肯定も否定もしない俺に、呆れたようなため息を漏らす。長々と、わざと俺に聞かせるようなため息。
「先輩がどうしても嫌がるようなことを無理強いするつもりはないです」
「ありがと」
「でも悪化するようだったら気絶させてでも連れて行きますからね」
「……はい」
塚本くんなら冗談でなく本当にやるだろう。
応急処置程度でそうそう痛みが和らぐことはない。家でできることなんて、せいぜい湿布を貼るとか消毒するとかそのくらい。一通り手当を受けてふかふかのベッドに横たえられた俺は、しばらくの間痛みと格闘する羽目になった。身体中を蝕む激痛と、意識が定まらないほどの熱に襲われ、本気でもうこのまま死んでしまうんじゃないかと思う。いっそのことポックリ逝ってしまったらこんな苦痛からも解放されるのに、とも。ベッドの中で丸くなりながら、歯を食いしばり情けなくも涙をにじませながらひたすら耐えた。病院に行かないと決めたのは俺だ。文句も泣き言も言う資格はない。
身体的に疲労していたこともあり、じっとしていると自然と眠りの中へと誘われる。しかし、少しでも身じろぎすると身体中に走る激痛が深い眠りまではつかせてくれない。それでもやっぱり体は限界で、いつの間にか気を失うように意識を手放している。
何度も目が覚めて、またすぐに意識を失ってを繰り返していた。自分の意思じゃどうにもならないそれに、頭がぐるぐると回り現実と夢の境が分からなくなる。
断片的に目が覚めたときの光景が夢の中へと引き継がれる。
誰もいない見慣れない部屋。
その中に時々塚本くんが居て、俺の方によってきては何かを言っている。でも何を言っているのか聞き取れなくて、適当に曖昧に微笑んでおけば彼もまた笑ってくれた。わずかに口角を上げるだけの笑い方。俺くらいにしか分からないだろう塚本くんの些細な表情の差分。俺にはその少しだけ優しい表情がひどく安心できて、力が抜けると瞼が落ちていくように視界が暗転する。なんでもないその夢に幸せを感じる。
昔もそんなことがなかっただろうか。家族があんな風になる前。病気をしたときは決まってこんな風に近くにいてくれた人。母さんに風邪がうつるから近づいちゃダメだと言われながらも、こっそりやって来て心配そうな顔でそばにきては笑ってくれた。熱でうなされる俺の手をそっと握ってくれた。ひんやりとした手がとても心地よくて嬉しくて。
夢の中か現実か。幼い弟の、今はもう見ない無邪気な笑顔を思い出した俺の頬を涙がつたう。
肌触りのいいシーツにシミができてしまう、なんてどうでもいいことをぼんやりと考えていた。
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