19.君がいたから



「やっぱ、いるよな」


呆れ半分に笑ってしまう俺の声に、その背中は振り返る。本当に、約束などしていないのにどうしてわかるのか。いや、わかるとかじゃなくて、ただ単純に会いたいと思うときがお互いに重なっているだけか。


「先輩」


「お前こんなところにいて言いわけ?普通この後クラスのみんなでご飯行ったりするだろ。お前今日活躍してたし、出たほうがいいんじゃねーの?」


どうせ返答などわかっているが、それでも一応言っておかないと。本来はそういうのには参加するべきなのだ。こいつは本気でどうして参加しなくてはいけないのか分かっていないだろうから、教えてやらないと。そういうところって、多分この後社会に出てからも大事なことだと思う。いくら天才でも、周りと付き合うのが壊滅的に下手なのは結構損な話だ。


「いいんです。先輩だってここに来てるじゃないですか」


「俺は嫌われ者だからいいの」


いつも通りの席に腰掛けて、何も映していないスクリーンを眺める。いつもはここで映画を流しているんだよな、なんて当たり前のことを考えながらぼんやりと時間がすぎていく。


「先輩」


「なに」


「ほんとに、格好よかったです」


視線をやった塚本くんの目がキラキラと輝いていた。その綺麗な光が、俺のことを見て輝いているのだと考えるとひどくむず痒い。やっと先輩らしいところが見せられただろうか。あまりに嬉しそうな顔をするから、こっちだって流石に照れる。顔が、赤いかもしれない。でも今は夕方だから。きっと、夕焼けの光がうまく隠してくれる。そう信じて俺は顔を隠さなかった。


「だろ」


「はい」


そうだ。俺がここに来た1番の目的を果たさなければ。


「俺さ、塚本くんにお礼を言いに来たんだよね」


俺の言葉に不思議そうな顔をする。

塚本くんは気がついていない。俺がどれだけその存在に救われているのか。たった一人の後輩が、今日の俺にやる気を出させてくれたことなんて微塵も気づいちゃいないのだろう。本当に鈍感なやつなんだから。そこが塚本くんらしくもあり、いろんな誤魔化しが効くっていう点では嫌いじゃない。でもそういう奴にははっきり言ってやらないと伝わらないのだ。恥ずかしい感謝の気持ちとか。俺は普通こんなこと口にしない。でも言葉にしないと伝わらないと分かりきっているなら、言葉にするしかないじゃないか。


「ありがとう」


俺は、初めてまっすぐ塚本くんの目を見て気持ちを口にした。正直に彼に言葉を伝えたのはこれが最初だろう。後ろ暗いことも、隠していることもなにもない。俺は心の底から塚本くんに感謝している。一生懸命走ったあの瞬間。俺は確かに弟の呪縛から解放されていて、頭の中がクリアだった。余計なことなど考えずひたすら思い切り走る。それがあんなに気持ちのいいことだったなんて。リレーで一番を取れたことがあんなに嬉しいことだなんて。クラスメイトと一緒に笑うことがあんなに楽しいことだったなんて。昔は当たり前に経験していた。それがいつの間にか忘れてしまっていた。本当ならこのままそんなこと思い出すことなく、卒業していただろう。


この経験ができたのは紛れもなく彼のおかげだ。どうか、この気持ちが伝わってほしい。


塚本くんは、俺の顔をまじまじと見返していた。戸惑った顔。

そして俺の表情からなにを読み取ったのか、彼は笑みをこぼした。


「いいえ」


俺たちはそのあともしばらく教室に居座っていた。特になにをするわけでもなく、ただ息をついて。たまに思い出したように何気ない会話を交わす。たわいないその話は力を抜いて、頭も使わず思いのままに笑うことができた。だんだんと教室に差し込む光が暗くなっていくのだけが、時間が経っていることを教えてくれる。だけど、外の世界がどれだけ暗くなっていこうが構わなかった。まるで外界から隔絶された場所であるかのように、俺たちにとって日が落ちることなんてどうでもよくて。そんなこと御構い無しに最終下校の放送が流れるまでずっとそこにいた。





俺と塚本くんは駅で別れる。車線は同じだが方向が違うので、改札を通ってからいつも解散している。


「そうだ、塚本くん。俺が勝ったからなんでも言うこと聞いてくれるんだっけ?」


「あ…そんな話しましたね。欲しいものとかあれば俺なんでも買いますよ」


お金が有り余ってるやつの金銭感覚ってそんなものなんだろうか。人にむやみにお金を使うべきじゃないということも教えてやらないといけないかもしれない。


「お前な…彼氏に貢ぐ女みたいなこと言うなよ。そうじゃなくて、俺お前としたいことあんだけど」


「したいこと?」


「うん。映画見にいこうぜ。お前行ったことないんだろ?それでそのあと普通にご飯とか食べに行ったり…。まあ遊びにいこうぜって話」


これはちょっと前から思っていたこと。だけどなかなか自分からこういうのを誘うタイミングがわからず、先延ばし先延ばしになっていた。バイトをして普段は節約しているおかげで1日遊ぶくらいのお金もちゃんと溜まっている。金持ちのこいつに合わせられるかは不安だが、一般的な金銭感覚を教えてやるいい機会にもなりそうだ。

塚本くんは俺の話に目を見開いた。


「え…いいんですか」


「いいっつか俺が誘ってんだけど」


「でもそれじゃ、俺が嬉しいだけです。なんでも言うこと聞くっていうのはその、先輩がされて嬉しいこととか、」


「だからそれがしたいって言ってんの。めんどくさいやつだな」


「めんどくさい…」


「俺が、お前と、遊びに行きたいんだって!分かった?」


わかりましたの一言で済ましてくれればいいのに、ごちゃごちゃと余計なことをボソボソ言って話が進まないから苛立ってしまう。なんでこんな恥ずかしいことはっきり言わなきゃいけないんだよ。


「俺、なんか今…爆発しそうです。…こう、頭がパーンって」


訳のわからないことを言いながら腕を中途半端に広げてじりじり近づいてくるから、恐ろしいことこの上ない。なんだよその手は。まさか公衆の面前で抱きつくつもりじゃないだろうな。

塚本くんの様子があまりにも気持ち悪いので、俺はさっさと別れを言って塚本くんとは反対方向のホームに降りる。丁度電車が入ってきたのですぐに乗り込むと、向かいのホームに慌てて駆け下りてきたのであろう塚本くんの姿が見えた。いつもクールな彼がキョロキョロと焦ってだれかを探している姿が、なかなか面白い。そして電車のドアがしまった時、運良くも塚本くんとバッチリ目が合う。その時のホッとした顔がおかしくて、俺は吹き出しながら「またな」と言う意味を込めて手をあげた。塚本くんも俺に倣うように手をあげる。いつもはしないその行為がやっぱりおかしくて、俺は電車が発車した後も一人こっそり笑いが出そうなのを堪えていた。

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