10.土曜日の訪問
土曜日の昼過ぎごろ。
コンコンというノックオンで、俺は教科書から目を離した。土日は基本的にバイト以外にすることはない。特に今週は土曜日はバイトが入っていなかったから一日中暇だ。することがないから勉強をしている。趣味もなければ休みにわざわざ呼び出して遊ぶような友人もいない。そもそも家族に鉢合わせないように部屋から出たくないから、やれることも限られてくる。勉強は別に嫌いではないから、やろうと思って机に向かえばしばらくは没頭できた。そんな俺を邪魔をするのは生きていくため、最低限の食事を促す空腹感。しかし今日はまた珍しく訪問者がきた。と、言っても弟以外ありえないだろうが。
またしても返事をする前に入ってくる。ノックをする意味があるんだろうか。
「兄さん、ってうわ勉強してんの」
机の上に広げられた教科書とノートを見て顔をしかめる。成績がいい割に、弟はそんなに勉強を好き好んでやるタイプじゃない。点数を取るために最低限の努力しかしない男だ。それで結果が出せるやつはそれでいいと思う。俺は弟のようにそう上手くいかない。日々予習復習くらいはしておかなければ、すぐに周りに置いていかれてしまう。
彼の哀れみの視線は、恐らく俺が両親に気に入られたくて必死になっているとでも思っているんだろう。前回のテストが10位以内に入れなかったことはすでに報告済みだ。俺がわざわざそんなことを両親に話すわけがないので大方弟がチクったんだろうが。
あの順位はわざととったものではあるけど、彼の思っていることもまあ、別にあながち間違いではない。これ以上嫌われたくないとは思っているから。
「このあと高校の俺の友達が来るからさ、一応言っとこうと思って」
こいつは俺が兄弟がいると知られたくないのを知っている。それでわざわざそんなことを言いに来てくれたのだろうか。
「そう。分かった」
少し疑問に思いながらも返事をすると、直ぐにインターホンの音が鳴った。弟は駆けて部屋から出て行く。
開け放したドアを閉めて集中し直そうと机に向かった時だった。
廊下から聞こえる数人の声に、気を取られる。友達って一人じゃないのか。弟はコミュニケーションの上手いやつだ。昔から大勢の友達に囲まれていた記憶がある。
ー人当たりがよく、太陽みたいな笑顔だ。一緒にいて楽しい。
ー頼りになる。みんなの自慢の存在だ。
ーそれに比べてお兄ちゃんは…。
どうしてみんな弟を褒める時セットで俺を傷つけていくのだろう。なんでもできて、僻まれることがなく好かれる彼。一方で、全てにおいて弟に劣り落胆される兄。
せめてもっと歳が離れていたら。せめて兄弟じゃなかったら。何百回と頭に浮かんできた言葉をまた今思い返してしまう。考えても無駄だとわかっているのに、この思考に落ちると下がった気分からなかなか抜け出せない。
とりあえず気分を変えようと休憩用に用意していたお茶に口をつける。冷たい麦茶がすごく美味しい。落ち着いてきた俺はホッと息をついた。
『ほんと広い家だな!羨ましいわ、マジで』
『普通の家って言ってたくせに、全然嘘じゃねぇかよ』
『そうかなぁ。でもほら、塚本くんからしたらそうでもないっしょ?』
思わずお茶を口から吹き出すところだった。慌てて口に手を持っていき、ゴクリと飲み下す。なんだって?塚本くん?塚本くんって…やっぱあの塚本くんか??そんなに同学年に何人もいるような名字じゃないよな。
いつ友達になったんだよあいつら。
……いや、つーか友達なのか?散々俺の部屋で言い散らしていた弟の姿が浮かぶ。それに先日成績順位の発表がされたばかり。リビングからはやたらうるさい愚痴の声が響いていた。どう考えても弟は塚本くんに対していい感情を持っているとは思えない。それなのに急に友達になったっていうのか。ただでさえあいつは勘違いされやすい性格しているのに。
こっそりドアの方に近づき耳をそばだてるが、もう声はあまり聞こえない。
嫌な想像をしてしまう。
兄でありながら正直俺は弟の性格がよくわからない。俺が弟のことを羨んでいるせいで歪んだ見方をしてしまっているのかもしれないし。でも、もし俺が思っているような奴だったら。塚本くんに何かするつもりだとしか思えない。
隣の部屋がガチャリと締まった音を確認すると俺はこっそり部屋を出た。しかしこっからどうしたものか。そもそも弟が何かをしでかすつもりだという確証はない。ないからといって予防線を張って部屋の前でじっと見張っていれば、突然ドアを開けられたら気まずいことになるし、なんだか変態じみていて気持ち悪い。
例えば俺がこの部屋に入っていって塚本くんに用事があると言えば、彼は直ぐにこっちに来るだろう。そうすれば彼が万が一にも何かをされる心配はない。しかし、弟に彼と知り合いだとバレたくないし、塚本くんにもこの家に俺がいることを知られたくない。塚本くんは俺の苗字を知らないから、弟と俺が兄弟だってことは知らないはず。そうだよな?あまりの偶然にもうバレてるんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。
考えに考えた挙句、俺はおとなしく部屋に戻った。よく考えたら、塚本くんのために俺がそこまでしてやる必要もないのでは。ただの同好会の先輩後輩。しかも塚本くんに至っては俺の名前すら知らない。俺だって塚本くんの下の名前は覚えてないし。…この前成績順位表で見たけど。
そんな浅すぎる関係性じゃないか。そう考えると気持ちがスッとして楽になった。半ば無理やり自分を納得させているような気もするが気のせいだろう。これは事実だ。塚本くんがどんな目に遭おうが俺には関係ない。
机に向かって気合いを入れ直すと、俺は勉強を再開した。
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